遊園地の敷地内にある野外音楽堂
石造りのステージでは嘗て手品やお芝居、ヒーローショーが演じられていたが、今は演者も観客もなく静まり返っている
ステージには壊れたピアノが一台打ち捨てられている……
ありがとう。じゃあ今度一局。……場所はどこがいいかな。俺の部屋に呼ぶのはまずいか……
イリュージョンランドの事務所はどうだ?チェス盤をもってくる
釣った魚ね……鑑賞に値するなら泳がしておくが。熱帯魚は結構好きだ
……聖書に詳しいな。全部暗記してるのか?
彼方は……まさに冷たく燃えている男だった。冷静と情熱の表裏、傍観者の仮面を被った情熱家。君も同類かな
勉強家だね。難しい言葉を知っている。
箱を開けてみるまでもない、君のお兄さんはお兄さんだ。生きてても死んでいても、そこに確かに在ると信じることが実在を保証する。その存在を空想で贖っているんだ
……さてな。子供時代の自分に会いたいなんて考えた事もなかった。だから正直面食らったが……
でも貴重な体験だった。自分を客観視するのもたまにはいい、新鮮な気持ちになれた
可愛げのない子供だったが……あれも確かに過去の俺だ。
パラレルワールドの存在と会って何が変わる訳でもないが、少なくともそう、自分を見直すいいきっかけにはなったよ。おかげで子供全般への苦手意識も薄らいだ
過去と向き合うのはトラウマやコンプレックスを払拭する上で避けて通れない通過儀礼なのかもな
よく言う。既に巻き込まれてるんじゃないか?他人の事情に嬉々として首を突っ込み饒舌に考察する、むしろ巻き込まれたがっているように見える。
……傍観者を気取ろうが、観察する対象がいつまでもその立場に甘んじているとは限らない
気をつけたまえ。あまり俺を……人をなめないほうがいい(不敵に笑って)
時任が死んでも俺は死ねない、抜け殻のように生きている……か
そう、それが事実だ。
死んでからもなお俺を縛り続ける……まったく、どうしようもない男だ。
死んだ彼方を抱いて生き続ける事が可能ならば……死者を利用しきる事が許されるなら
……もう少し、生きやすくなるのかな(諦観の滲んだ寂しげな笑みを浮かべ)
無視するにはあいつの言葉は蠱惑的すぎた。催眠術だよ。俺はその手の暗示にかかりやすい人種らしい……自分じゃ現実主義者のつもりだったんだが
言葉は福音であり呪詛、どちらも人を縛り、時としてその人生を狂わす。君にも覚えがあるだろう。
……君の人生を変えた一言があれば聞きたいね。おそらくそれは君に近しい人間、お兄さんか恋人の言葉だろうが。
悪魔にだまされたふりをしてやりこめる人間の寓話は古今東西に流布してる。人間は知恵の実を齧ったからね……機転と洞察、悪魔に対処する術をおのずと身に付けている。けっして食い物にされるだけの無知で無力な生き物じゃない。悪魔に弄ばれるのが嫌なら常に懐疑を呑んだしたたかさを隠し持つことだ。
君は厭世的だがまだ生きている。
生死を勝敗で語るのは愚かだが、どちらが真に救済されたといえるのか……俺にもわからない。わからないことだらけだ
……生死とは有無、それだけだ。それだけの違いしかない
自分の感覚しか信用できない、か。確かにな……他人の感覚など共有しようがない。それができたら面白いが……
他人の目に映る光景は俺が見ているものと同じなのか?他人が聴く音は俺が聞くものと同じなのか?
叶うのならば君の捉える世界を見てみたいね。
「誠実な皮肉屋」と言ったぞ、俺は。別に褒めた訳じゃない。どちらかといえば揶揄だ
自覚はないだろうが、君は誠実だよ。考察に妥協しない。たとえ答えなどなくても答えをさがすのをやめない、愚直な求道者だ。それをさして誠実と言ったんだ。
なるほど……愛する人の健やかな魂ね。ロマンチックだな。誠実な上に純情ときた。ならば俺はその魂が手遅れにならないよう祈ろうか。純粋なものほど世俗の毒に染まりやすいからね
……彼女は共犯だ。それ以上でも以下でもない。少なくとも最初は
彼女に技巧と駆け引きを試す気にはなれない。そこまで腐ってはいない。……翻弄されているのは俺の方かもな
君が恋人に向ける気持ちと同じだ。彼女は純粋すぎて……俺が触れたら汚れてしまう
もっとも相手は高校生だ、現状なにをするつもりもないよ。犯罪になってしまう
……君は頭がいい。だからよく考える事だ。自分の事、お兄さんの事、周囲の事を
「自分の底はここまでだからこれ以上は詮索するな」……か。さて、どうかな。とにかく、人の心に興味本位で踏み込むものじゃないぞ。澱みに足をとられて溺れてしまう
賢い君ならそんな失敗はしないだろうが
僕で良ければ喜んで。僕も相手を探していた所です。
釣った魚に餌はやらない主義ですか?
『善悪の彼岸』146節ですね。有名な言葉です。
91節には確かこんな言葉もありましたね「かくも冷たく!かくも氷のごとく!他人は彼に触れてその指を焼くーー。彼を捉える手は脅えるーー。まさにこのゆえに、おおよその人間は彼を燃えていると思っている。」
二重スリット問題も忘れてはなりませんね。電子レベルの観測不能のミクロなものなら、何処にでもある可能性はあった。だが兄さんは可視化可能だ。猫と同じマクロなものだ。やはりそういう意味では兄さんは兄さんでしかない。
蓋を開けなくても、分かりますね……。
神魂で、ふむ。やはり神魂は解せないな。子供時代の自分になんて会いたくないです。斑鳩さんもそうでしたか?
良く言われます。
人に指摘されるよりかは余程いい。治す気も無いなら居直るしかありません。
成る程。そう言えば共犯でしたね。僕も巻き込まれるのはごめんだから、ここは秘密と云う事で
時任彼方が死んでも……あなたは死なないんです……。あなたが生き続けても……時任彼方は死んだままだ。
それが事実です。
直ぐには……無理だと思います……時間は……痛みを増幅させるだけかも……
けれど
時任彼方を抱えたまま、生きる事も悪くはないと思うのです。
利用するなら、死ぬまで利用してください。振り回されるなら、死ぬまで。
時任彼方無くして貴方が存在しないのなら、それが貴方です。
受け入れてもいいのかもしれません
死んだ時任彼方と生きる事を……
真相は闇の中ですが……ただ僕ならそうするな、と思ったので
何気ない言葉は人を苦しめもするし楽にもする。その両方もある。呪いなのか免罪符なのか分かりませんが、どちらにしろあなたに現実を突きつけたのは時任彼方。貴方は無視する事だって出来た。それを未だに拘っている。逃避の口実にしているのならば、向き合う覚悟も半分出来ているようなもの、ですよ。
ふむ。あれだけ振り回されていたのに、利用していただけだなんて、おかしな話ですね。悪魔に騙された振りをしてやりこめる人間の話はよくあるものです。
保険ですか。そうかもしれません。彼らに出会って居なければ、僕はどうなっていたかわかりません。
僕は生きるのは苦手です。だが死んでしまった者よりかは幾分得意なのでしょうね。
内部の音……ですか……。言われてみれば興味が沸きますね……
試すにしても、自分で試すしかないでしょう。他人の感覚は信用できない。僕もそんな度胸はありませんよ(にこりと笑って)
捨てられない理由……か
そうですね、その理由が僕が僕である理由なのかも知れませんね……
誠実……ですかね。僕は自分自身をそんなふうに思った事はない。他の人たちが僕を素直だとか真面目過ぎるだとか言うのはまあ、彼らが優しさがそう言わせているのだと分かりますけど、斑鳩さんにまで言われるとは……
必要とされなくなっても……容易く生を捨てるほど、死に期待してもいませんが
簡単に生死について決断できるなら、生きる理由など求めませんよ
僕の命より大事なものですか……?(困った顔で言いにくそうに)、、、、愛する人の健やかな魂です、、、そ、そんな事どうだっていいじゃないですかー
「技巧」や「駆け引き」はどうしました?欲望の捌け口なら幾らでも探せるでしょうに
しかし少女とは……やれやれ、何もそんな面倒な相手を選ばなくても……頭の良い斑鳩さんならそんなミス犯さない筈ですよね?
それと、貴方の気持ちなんて関係無いかもしれない。
澱んだ深海の底に沈んでも、なお諦めず引っ張り出された時は、もう観念するしかないかも知れません。
(斑鳩さんの話す言葉一つ一つに、心配そうに見つめたり、俯いたり、縋るような目をしたり、困った顔で考えたり、まるで子供)
はい……そう、ですね。……僕自身、自立しないといけません
いえ、まだよくは分かりません。「自分の底はここまでだからこれ以上は詮索するな」そう言っているようにも聞こえます。
チェスや将棋も好きだ。なかなか相手が見つからないのがつらいところだが……付き合ってくれるかい?
恋愛はゲームだ。相手をどう口説くか、喜ばせるか……考えるのは楽しい。達成への意志はあっても継続への情熱はないがね
深淵を覗きこむときは深淵もまたこちらを見返している、か。君を見ているとニーチェの格言を思い出すよ。せいぜい他人の闇に囚われないようにな
お兄さんは博愛主義者か……いや、究極の自己愛主義者なのか?
世界中全ての人間とわかりあえると夢想するのは、自分と同じ前提を相手も共有していると思わねばできないことだ
他人の認識の中にしか存在しない……まるでシュレーディンガーの猫だな
量子力学の有名な思考実験だ。箱を開けてみるまで猫の生死はわからない。さて、お兄さんはどうだろう
だろうとは思ったが随分と極端だね>偏食家
耳が敏感なせいか騒音には拒絶反応をおこす。子供は……先日神魂の影響で子供時代の自分と会ってね。
少し耐性がついたんだ。幾分かマシになった程度で苦手なのは直ってないが……
いや、君の話は興味深い。難しいとは思わないよ。俺と同じで些か回りくどく衒学的なきらいはあるがね
苛烈で傲慢か。自分で言いきるとはたいしたタマだ。君のそういう所は嫌いじゃない
いや、彼女が追っているのは違う事だ(そこで言葉を切り、眼鏡のブリッジを中指で押し上げて)
……これ以上は言えない。彼女が与り知らぬ場所で秘密を口外するのはマナー違反だ
いくら憎くても嫌いでも自殺は奨めない。遺された人間の気持ちになれ
そう……君が自分を赦せばそれがお兄さんを開放する事に繋がる。
すぐにはむずかしいだろうが……
幽霊は二度死ぬ、か。ミステリー小説のタイトルみたいだな
本当に……殺せればどれだけいいか……(後半の言葉は独白じみてフェードアウトし)
どうかな。今となってはわからない。永遠に……何を思って俺に声をかけたのかなんて
免罪符か……なるほど。面白いことを言うな。なんだか腑に落ちたよ
確かに時任のせいにすれば自分を責めずにすむ、責任逃れの装置だ。あいつがこう言ったから、呪いをかけたから。そう言えば自分の人生に向き合わないでおく口実ができる、逃避の建前をもらえたようなものさ
俺はあいつを利用しているだけかもな。生前も死後も……利己的すぎて吐き気がする
思ってくれる人が沢山いるのはいい事じゃないか。それが君の保険になる。ざわつかせないでほしいという気持ちもわかるがね…生きるという事それ自体が夾雑物に塗れることじゃないか
完璧な静寂なんて耳を潰しでもしない限り得られないのさ
……個人的に興味がある。耳に鉛や蠟で封をしても心臓の鼓動は聞こえるのだろうか。外部の音は聞こえなくても内に響く音ならあるいは……
さすがに試す度胸はないが
捨てられないモノには捨てたくない理由がある。今の君を形作る総決算だ
義務と演技か。……君は誠実な皮肉屋だな
生きる理由を他人に因る事は否定しない。俺自身がそうだからな。必要とされてるうちは生きる意味がある
本当に気にしなくていい(「買って返す」という従夢君にやんわりと)
交際相手に?言えるわけがないだろう
防衛本能か……そう、かもな。まったく、死にたがりなのか生きたがりなのか。
君の命より大事なものは何だい?
彼女に対してもそう思う。素直に認めよう。……欲望を隠し立てしてもしょうがない
……だけどこれが恋愛感情なのかそれ以外の何かなのか、よくわからないんだ
時任が死んで、謎解きも煮詰まって、自暴自棄になってるのかもしれない。その捌け口を無意識に彼女に求めているのだとしたら……最低だな。度し難い人間のクズだ。自分を慕う少女を汚い欲望の対象に貶めて
……堕ちるのは俺だけでいい。暗く澱んだ深海の底に彼女を道連れにしたくない
どうしたらいいか……それは自分で考えろ。
一つアドバイスするなら……「何もするな」。
君は君、お兄さんはお兄さんだ。お兄さんが誰とどう関わろうが君に束縛する義務はない、過干渉はやめたまえ。お兄さんは大人だ。彼の進路や将来には彼自身が考え抜いた上で決断をくだすべきだ。
君はそれを見守るんだ。時にもどかしいし辛いだろうが……自立する、とはそういうことだ
俺はつまらない男だよ。君ならもう底なんて見抜いてるんじゃないか
駆け引きと技巧ですか……ゲームですね。マンツーマンでならチェスや将棋がありますよ?
僕も昔はそうした遊びをしていたけれど、今は、もっと違う……
僕は他人が内側に秘し隠している何かに興味を持つ。本人すら気づいていないかもしれない……大概それは僕の傷を刺激する。僕と彼とで自慰と自虐をさせている。僕はそれを眺めて満足する。
根底は……似ているのだと、思います。
本人は暇だし落ち着きがないとか言いますが、実際は違う。兄さんの対象は世界ですから。気味の悪い言い方をすると、世界中の人間と仲良くなりたいんです。兄は誰も憎めない。家畜のように扱った人間でさえ。あらゆる悪意を自分にぶつけようとして、それすら出来ないので憎むべき本来の自分を無視したんです。きっとそれが兄さんの歪み。自分を無視した人間が一人でいる事は存在の消滅を意味する。だから人と関わる。兄さんは他人の認識の中にしか存在していない。それをなぞって存在を証明し続けるのです。
僕は偏食家です。嫌いなものを口に入れるぐらいなら飢死を選びますよ。
質問はそのままの意味ですよ。何かの暗喩でもなく。言われてみれば不合理や騒音は嫌いそうですね……子供は克服出来たのですか?……どうして?
気を付けます……。僕も、普段ならもっと愛想もいいし淑やかですよ。苛辣で傲慢なのは僕の本性です
斑鳩さんと同じ反応の方が難しいですよ
僕は自意識過剰ですから。人嫌いの自分嫌いの分析好きです
僕も斑鳩さんとの対話は充実感があります。僕の発言は哲学すぎて難しいだとか理解できないと言われるので……
共犯者……ですか、いい響きです。斑鳩さんらしい関係だ。彼女も時任彼方の死の原因を……?
僕は首輪の片割れか……成程。そうか、そうですね。
僕はさしずめ自分を殺そうとしていたのかな……
僕が自分を許せば、きっと彼も開放される……
そうですよね、斑鳩さん。
……本当の意味で、殺す必要があるんです
僕も、兄も、貴方も、死ななくてはならない
一度死んだ人間でさえも――
やっぱり時任さんの方からですか
最初は気紛れだったのかも知れませんね。想像ですが、皆が時任彼方に吸い寄せられる中で、貴方だけは本に興味を示していた……だとしたら、時任彼方にとっては面白くなかったのかも。それで本を取り上げた……
むう、そうですか……(参ったなと云う顔)
では失礼を承知で発言します。
貴方は彼に囚われていた。そう思ったんですが、何か違う……もっと別の言葉……閃いたのが『免罪符』
『時任彼方に薄情だと言われたのだから、自分は薄情でも仕方がない。あの言葉は呪いのように自分を縛る。責められる理由はない。もう時任彼方に責められているのだから』
……詮索好きの曲解です。聞き流してください
(「自重したまえ」と言われてしょんぼりと項垂れ)
……愚かだと……思います。とても困らせてしまった。僕には大切に想ってくれる人や、見守ってくれる人たちがたくさん居るのに……僕はそれが時々嫌なんです。満たされる度、同じだけ虚しくなる……
僕をざわつかせないで欲しい……そう、思うのだけれど……捨てきれません
生きる理由は僕にもあります。僕を慕ってくれる人の為幸せを演じる。そこまで皮肉めいた言い方をしなくても、望まれているうちは、死ぬ気にもなれません。
では似たようなものを新しく買って返しますよ……
体液が嫌だなんて……それを交際相手の前でも言ってみてくださいよ……
知ってしまえば貴方が生存する理由がなくなる、無意識の防衛本能かも知れません。
(穏やかに目を閉じ息を吐くように)……彼の事はよく知らないけれど……命より大切なものはあります……
少し、ですか……その彼女に対してもそう思います?
貴方にも制御できない“衝動”がある。自分で驚きませんでした?……僕は驚きです。時任彼方を喪った後なのに。
もし実行に移すなら、お気を付けて
失望するのかされるのか……それとも二人で堕ちるのか……
僕が兄さんを……見守る……?
でもどうしたらいいんだろう……
……努力、ですか。……僕はただ理想を押し付けていただけ……
兄さんの歪みの原因は殆ど僕で、僅かに両親。僕たちの安寧と罪の肩代りと気慰みのために飼育された生贄。それも個性なら、受け入れるしかない、か
この世界は狂人の集まり……理解するなど到底無理……そう思った方が楽なのかもしれません
秘密があった方が魅力的……ですか?はは、そうですね、斑鳩さんがすべて解明されてしまったら、僕も興味を失いそうだ
大の大人を子どもに、悟った少年を少女にする、それが恋だよ
お兄さんは君の歪みを許し受け入れてる。なら君もそうするんだ、そうする努力をしろ
君がかつて憎み嫌悪したお兄さんの歪み……無理矢理に矯正するんじゃなく、それも彼の個性、一つの人格だと認めたらどうだ。
歪んでいようが壊れていようが、それが生き抜くために得た鎧なら貶める資格はない。
皆とわかりあうなんて幻想だ。親しい間柄でも秘密はある、全てを明かす義務も暴く権利もないと俺は思う
月並みだが秘密があったほうが人は魅力的じゃないか
鏡に映った自分を眺めて愉しむか……ナルシストだね。その外見なら無理もないか
俺が没頭するのは駆け引きと技巧だ。でもその間も常に頭の片隅で計算しているから……没頭とは違うのか
へえ。君とは正反対、のように見えて根底は似ているのかな、お兄さんは
どこにでもいるのか……随分とアクティブだね。暇なのかい?それとも落ち着きがないだけか
君は偏食家だろうな。美意識が高く好みがうるさい
俺の嫌いなものか……あまり考えた事はないが。大抵は可も不可もなく、好きでも嫌いでもない。
でも騒々しい音や不合理な人間は嫌いだな。あとは……少し前まで子供が苦手だった
油っこい料理も好きじゃない。……質問の意図がずれてるかな?
君の分析は的確だ。人間観察が趣味というだけあって洞察力が鋭い。あるいは俺以上に俺のことを見抜いている、それが気に障る人間もいるだろうね。
人の弱みやトラウマを指摘する時は特に言葉を選んだ方がいい
君は鏡が好きみたいだな。でも俺は君と話してる方が楽しいよ。似ていても違う反応をする、鸚鵡返しは芸がない
彼女は……共犯者だ。
上手く説明できない……同じ謎を追う間柄、とでもいえばいいか
そんな顔、か。俺自身意外だよ
そうだな。君が自分自身を許せた時、初めてお兄さんは解放される。献身と束縛はよく似ているから……
俺には君たちの首に同じ輪が嵌まっているように見える。運命共同体呪いだ
君は飼い主じゃない、主人でもない、同じ首輪に繋がれた片割れさ。
お兄さんを縛る呪いは君の首も絞め続けている
時任の気まぐれだ
大学に入って間もない頃、階段教室で座って本を読んでたら取り上げられて、振り向けばあいつがいた
「つまらない本だな。俺と話した方が楽しいぞ」と……
それがきっかけだな。あの時無視していたら腐れ縁は始まらなかった。学部が違うのに聴講にきていた物好き……あの頃から人のモノを取り上げるのが好きだったな……
貴方は彼に……なんだ?言いかけてやめられると気持ち悪い、最後まで言ってくれ
君はわがままだね。弱音じゃなければ愚痴か繰り言か……いずれにせよみっともない
なら君も死を仄めかす言動は自重したまえ。恋人がいるなら大丈夫だろうが…死を仄めかして対象の関心を引き止めるなら駆け引きとしては下の下だ。手段として卑しい。
……ああ、すまない。君は死にたがっている訳じゃない。俺と同じ、死ぬ事も生きる事もできずにもがいているだけ。だからこれは自虐なのかな。
心なんてなければいいのにな……どうしてこんな煩わしいものがあるんだろうな
おそらくそう思ってくれる人はいる。俺の思い上がりじゃなければね
彼らの為にも当分は生きるべきだ。……俺自身、このピアノが直る所を見届けたいしね
それに彼女が謎を解くところも見届けたい。
よくわかったじゃないか
他人の体液が染みついたハンカチに未練はない。返されても困る(どこまで本気かわからぬ言動で肩を竦めて)
わからない……。
時任が死んだ理由も。いや、本当は見えているのかもしれない。わからないフリをしているだけで、答えは案外すぐ近くに転がっているのかも。
自ら命を絶っても永遠など手に入る訳ないのに。手に入るとしたら永遠の代用品、粗悪な紛い物だ。彼方は命と引きかえても惜しくないものを手に入れようとしたのか?馬鹿だな
君だけの秘密ね……その気持ちは少しわかる。手に入らないなら壊したい、ぐちゃぐちゃに汚したい
彼女は……どうなんだろうな。知人以上友人未満の曖昧な間柄だ。どう定義したらいいのか
頭の中でどんな非道な事をしても実行してなければ正常か。でもそのうち実行に移すよ。予感がするんだ。そのうち衝動がおさえきれなくなる……
かつてお兄さんは身を挺して君を庇った、今度は君が守る番だ。それができるだけの知恵はあるだろう
過干渉は人を追い詰める。放任して見守るんだ。お兄さんが本当の意味で依存から脱却し自立できるように、今度こそ共依存の罠に嵌まらないように免疫をつけさせるんだ
そう、ですね……どうしてだろう、僕はあの人といるとただの子供で。少女みたいで、気恥ずかしいです。兄さんの歪みを許すだなんて……考えた事もなかったから……僕が許される事……僕の醜さを知ったうえで僕を好きでいて欲しい……そんな独りよがりの望みしかなくて……
ああ、でも、兄さんもずっと僕に秘密にしてた……
(おぞましい回想に、憎悪と嫌悪で吐きそうな顔。下がった拳を爪が深く刺さらんばかりに握りしめ)
兄さんは僕に言えていない事、まだあるんだろうか……?
遊ぶの好きな方ですか。僕だって、からかいはします。誰かと恋人ごっこをするかもしれない。でも没頭するなら、好きな人じゃないと出来ないな。僕が他人とそうするのは……鏡に映った自分を眺めているようなもの……ですからね
僕の兄に会いたいですか……?笑顔で人懐っこくて、無神経なふりをして人を気遣う不器用な人間ですよ……僕と斑鳩さんが似ているのなら、兄さんと話すのは神経に障るかもしれません。僕はそれだけではなかったけれど。
兄さんは行動範囲が広いから、寝子島になら何処にでも遍在しますよ。なんて。
斑鳩さんの苦手なものって、興味がありますね。好きはないけど嫌いはあるのですか?
僕、苦手なものの方が多いですよ?自分でも辟易します。
……僕は斑鳩さんのように、これと云った感情も持たず人と接する事ができないのです。僕の趣味は人間観察で、その分析には多少の自信はあります。けれどそれ故に深入りすると相手に共鳴してしまうから……
有意義な対話ですか。鏡との対話は退屈ですか。僕は鏡を見るのに鏡を使うから……どうかな。
先ほどの女性、ですか……?泣かせたいほどの?
そのひとは、貴方の、何ですか……?恋人……?そんな簡単なものではないですか?
ごめんなさい、、、珍しいというか……僕にそんな顔は見せないだろうと思っていたから
おかしくなって?……今までのからかいや社交辞令の時の笑顔とは違って見えたので……
僕も人に言えた事ではないのですが……
僕は自分が傷ついていると認める事は、兄さんを踏みにじる事だと思ってました
でも僕自分を縛り続けていると、永遠に兄さんは僕のために生きなくてはならなくて
僕はどこかでそれを望んでいたのかも……
僕が楽になる事は兄さんを楽にする事なのかなって思ったら、少しは……
魅入られて……か。お二人はどうして出会ったのです……?
責任。ならば言い逃れは出来ませんね。僕は責任を取るべきだ。僕は兄さんの吐きだす闇に耐えられない……それが僕の罰なのか……
時任さんのその言葉は、呪いだったんでしょうね……それ程までに貴方は……彼に……
(自分で言葉を並べながら、小首を傾げ、居心地の悪そうな顔をする)
……?
(その理由に気付いた顔をして、ああ、と思わず呟くが)
いえ、さすがにこれは……失礼です
分かっているのなら生きてください……僕以外の誰かが死をほのめかすなんて我慢出来ない。
弱音には感じませんでしたが。僕はそこまで割り切れませんし、諦められません。死ぬことも、生きることも。ただ心なんて無ければいいのに……そう思うことはあるけれど
……けれど……残り滓でも、何者でもない貴方でも、居なくなったら哀しいという人はいるのでしょう?
貴方に生きる目的は無くとも、死ぬ決断もしないのであれば、彼らのために延命していると、考えてもいいでしょう。
どうせ汚れたからもう要らない、そう思っているのでしょう?
(ハンカチで涙を拭きながら、ふて腐れて斑鳩さんを見る)
分からないん……ですか?本当に?
それならば、それが原因だ。
悪魔が人の魂を奪って何が悪い。それが生業なのだからしょうがない。結末が見えずに契約した訳ではないでしょう?
そうですね……時任彼方は、あながち不幸では無かったのかな……
僕は彼は苦痛から逃れるために死んだのだと思っていた……
けれど、永遠を手に入れるために死んだのであれば、それは彼にとっては……
人間すべてが、ではないようですよ。
すべて手に入らないのなら、何一つ手にはしたくない。僕だけの秘密が欲しい。それだけですよ
貴方にもそんなひとが……いるんだ
意外です
お仲間ですかね?でもどうだろう、思うだけなら誰にだってある。斑鳩さんは正常ですよ。まだ実行に移していないのだから。それに泣かせぐらいなら、まだ……
兄さんは僕の神だった。僕の両親や僕自身、世界中のすべての人間が醜く穢れていても、兄さんだけはそうではないと思いたかった。だからこそ貶めようとした。
でも、兄さんは……僕よりも傷つきやすかった。僕は兄さんの優しさと云う安全な籠の中で世界を嘲笑っていた……僕が泣き虫で、すぐ涙を流してしまうけれど、僕がこんなに泣けるのは兄さんが守ってくれたから。僕の魂が、穢されぬように
きれいはきたない、きたないはきれい、か。
君はお兄さんを特別視していた。神聖視といってもいい。でもお兄さんも普通の人間だ。哀しければ涙し痛みを感じる平凡な人間……君を守らなければいけないからその素顔を押し込めていただけさ
歪みを許し合う、譲歩し合う、妥協し合う。相手との差異を受け入れる。言葉にするのは簡単だが実際はとても難しい、でも挑戦する価値はある。
実際君は君の好きな人物と許し合えてるじゃないか
既に一度できた事を今度はお兄さんに成せばいい。
事前に予告しておく……なるほど、そういう手もあるのか
無性愛者か……興味深い指摘だが、それとも少し違うと思う。自己分析だが。共通項があるのは認めるよ
交際相手と長続きしなくても遊ぶのは嫌いじゃない。どちらかといえば好きな方だ。没頭している間は余計な事を考えずにすむ。
……君のお兄さんも?……それは会ってみたいな。どんな人物か興味がある。ここには来ないだろうが……寝子島に住んでるならどこかでばったり会うかもしれないね
人に触られるのが怖い事実を恥じなくていい。俺だって苦手なモノはあるさ。
人間は完璧じゃない方が可愛げがある。苦手な事の一つ二つなければできすぎているだろう、君は
(「僕とは違う」という言葉に少し笑い)だろうね。だから面白い。
鏡と喋ってても退屈なだけ、君と俺は違う人間、だからこそ有意義な対話になる
(「こんな気持ちになったことがないからそんな事が言える」という批判を受け)
そんなことはないさ。
俺にだって気になる人くらいいる。
(動揺する従夢くんを穏やかに見守り、ゆるやかに首を振る)
別に慌てる事はないだろう。そんなに俺の笑顔が珍しいか?
……まあ、今みたいに自然に笑えたのは久しぶりだが。君があんまりうぶだからおかしくなった
楽に生きるか。……むずかしい注文だな。でも、そうだな。まわりを見倣って肩の力を抜くのも悪くない
俺はとっくに堕落してる。あいつに出会った時から……たちの悪い悪魔に魅入られて
そんな資格がないと決めつけたのは君だろう。……言い方を変えよう、君にはそうする「責任」がある。ほかならぬ当事者なんだから責任をとるべきだ、たとえ手を吐瀉物で汚してもね。
潔癖症の君にとっては覿面の罰だ。
悪い関係じゃないか……そうかもな。人にはそう見えるんだろう
腐っても親友だった。憎しみだけじゃない……わかってるんだ、本当は。でも消化しきれない
いつだったか彼方に言われたよ、「お前は根が薄情だから家族を作るのに向いてない」と
女性と付き合っても……何をしててもその言葉が脳裏を掠めるんだ。呪いみたいなものだ。俺を人並みの幸せから遠ざける呪い。実際その通りな訳だが……身近な人間に本性をつきつけられるのはいやなものだね
疲れたよ正直。逃げ出したい
……こんな事を言うと自殺志願者と誤解されそうだが。ああ、いや。案外そうなのかもな……俺は深層心理で死にたがっているのか
だがこんな俺でも惜しんでくれる人がいる。いなくなったら哀しいと思ってくれる人間が
だから彼らの為にも生きる。……それが義務だろう
結局の所生きる理由さえ他人に依存している。生きる目的を捏造して自分をごまかし続けているんだ。消極的な延命さ。弱音を零してすまない
夢の中で窒息する理想的な死に方かもな。亡霊に首を絞められた事なら何度もある
……遙(はるか)じゃない俺は何者でもない。ただの残り滓だ。何の目的もない逍遥だけが人生なら……(言葉は沈黙のうちに消え、透明な諦観を帯びた笑みだけが残る)
ハンカチは返さなくていいぞ
生きたから死んだ、か……箴言だな。そう、死んだのはあいつの決断。あいつの選択だ。死んでないから生きている俺とは対照的だ、どこまでも
……でも、わからないんだ。俺のなにがそこまであいつを追い詰めたんだ?
俺はあいつを殺したくなんてなかった、それは自殺と同義だ。事実彼方が死んだときに俺の半分も死んだ、あいつは俺の魂と心中したんだ
なんで人間は好きな人が見せてる顔だけで満足できないんだろうね
独占欲が昂じると自分に見せない顔も暴きたくなる……そんなことをしても誰も幸せにならないのに
君の気持ちはわからないでもない。俺にもそう思う人がいる
……時々彼女を泣かせたくなるんだ。嗚咽も涙も手にいれたくなる
彼女はきっと綺麗に泣くだろう。
ほら、君が狂ってるなら俺も狂ってる。お仲間だ
狂ってる……
(吐き出す声から感情が抜けていく。虚ろな瞳、過呼吸気味に上下する肩)
僕は……自分が、特別だと思わないと不安だった……でも、どこかで、普通の家庭というものに憧れて、いたのかな……
(静かに首を振って、目を伏せる)
違う……壊し……たのは、僕
僕は……僕たちは、愚かだった。この世界に、信じられるものは、兄さんだけだった
兄さんだけはきれいなままでいてほしかった
でも違った。
歪んでいる人間など、いない。ああ、どうしてこんな簡単な事に気付かなかったんだろう……
その歪みを……許し合う……
簡単には、できない、と思います……けれど、今まで僕がしてきた事より、挑戦する価値がある
貴方が傷つくなら僕も自分を傷付ける。そう言っただけですよ。
大事に、します……言われなくても。僕にはそれしかないのだから
(斑鳩さんの冷たい態度にやっぱりかと少し恥ずかしそうに笑って)
はは、やっぱり。斑鳩さんには通じないかと思ってました
えっと、ですね、例えば斑鳩さんが淡白な性質の人間であると予告しておく、なんていうのはどうでしょう?
斑鳩さんは無性愛者かも知れませんよ?人口の1%しかいないそうですが。エイセクシャルには性的魅力の対象と恋愛感情の対象で表現が様々で、どちらにも興味を示さない人もいます
……ああ、いえ、僕の兄さんが多分そうなのかなって思って、少し調べました。あまり気にしないでください
ただそういう人間もいるから……斑鳩さんは斑鳩さん、まさにそうなのです
いえ、僕が人に触れられるのがこわいから……。もう、お気づきでしょうけど。
(気恥ずかしさを押し殺した顔は少し赤らんでいた)
割り切ってなら……ですか
(考えて)……僕とは少し違うなあ
むぅう……振り回されろだなんて……。
斑鳩さんはこんな気持ちになった事がないからそんなふうに言えるんですよ(口を尖らし)
斑鳩さんには、今は少し違う態度になってしまうような人っていなんですか?
(謝る準備をしていた所の斑鳩さんの微笑みに、子供っぽく驚いて、照れ気味に慌て)
あ、いえ、そんな
ええっと
少しでも、ご自分を赦せたら
きっと、ご友人のことも、素直に見つめられると思うんですっ
あの、僕もそうだから
だから、斑鳩さんも、、、
もう少しだけ、楽に生きて……いいと思います……
……貴方も堕落させられた?
消化不良……まさしく、そうだ。
(影を宿した瞳は切なさを秘めて、遠い記憶を反芻する)
……そうだ、僕は兄さんを悪意から守るべきだった。毒は毒だと。何でも口にいれたらだめだよって……
手伝い……僕にはそんな資格、ないな……
心無い慰めは得意だけれど、そんな言葉聞きたくもないでしょう?
(斑鳩さんの語る思い出に心地よさげに目を閉じる。眠りながら聞くピアノに微睡むように)
……
度し難いなんて思いませんよ。僕にはそこまで悪い関係には感じない。貴方を苛つかせる事が出来るのは時任彼方だけで、時任彼方を必死にさせる事が出来るのは貴方だけ。それが煩わしさや劣等感でも特別な感情である事に変わりはない
……もう、疲れましたか……?
対になるその名を葬っても、まだ貴方は生きています。
惰性で呼吸し、ぽっかりと空いた虚無を友人の死の原因究明で埋めようとしている。生きる理由を探すように。今迄何の疑問も抱かなかったそれを貴方は遅れて気付いたような……
死ぬよりも苦しい蟻地獄から抜け出そうと
砂の中に埋もれて窒息してしまう前に
(斑鳩さんがハンカチを取り出すのを見て、理性を取り戻そうと、涙を堪える。叱られた子供みたいに何度も頷きながら。聞き終わると少し黙り、無垢な瞳を潤ませて深く頷く。本当に斑鳩さんの言葉を理解した証に、ハンカチを受け取って)
……はい。そう、ですね。
(ハンカチをきゅっと握りしめ、決意の表情)
何もしなかった、かもしれません。けれど助けを求めている事も知らなかった
それこそ、零れた砂の量を推し量るようなもの
酷い言い方ですが……彼を殺せるのは貴方だけだった。ならば生かしたのも貴方です。歪んだ人間の戯言ですが
生きたから死んだ。死んでいないから生きている、それよりはましだ
ええ、だから貴方は苦しんでいる。彼からの贈り物が、幸か不幸か貴方を変えた。変わったなら、別の人間になるしかない
挫折……か。そうですね。僕は自分が完全たる自負があった。僕が嫉妬したのは平凡さ……か
僕は、兄さんの笑顔以外の顔が見たかった。最初は妬み。醜い本性を暴きたかった。それが次第に別の意味へと形を変えた……。僕は兄さんの笑顔は好きだったけど、それ以外の顔も見たかった。別に意地悪だけじゃなくて……
悲しみを、痛みを、僕に教えて欲しかった。僕はそれが知りたくて
涙を見ると嬉しくなったし、声をあげると胸がはずんだ
痛みなら、感じたから
(従夢君の話に静かに耳を傾け)
何もしないのは一番狡い。だってそうだろう、言い逃れができるんだから
……少なくとも俺はそう思う。俺は彼方を救えたかもしれない。でも何もしなかった。むざむざ見殺しにした。何もしなかったのとできなかったのは違うんだ
……間接的に殺したようなものだ
(従夢君の指摘に少しだけ笑い)
得たものがあれば失うものもある、か。そう……その通りだ。少なくともあいつと出会って初めて諦めたくないものができた。あいつの音だけは諦めたくなかった。
反応実験か……
虐げる側に回るか虐げられる側に回るかと迫られたら大半は前者を選ぶ。生存本能に従えば自然とそうなる。
君はお兄さんの平凡さに嫉妬した。そして自分と同じ所へ引きずりおろそうとして挫折した。
……俺に言わせれば君もお兄さんも不器用すぎる。本当に抗うべき相手は別にいたろうに。
歪んでない人間なんていないさ。俺も君も彼も……誰でも。その歪みを許し合って生きていくのさ、きっと
……簡単にできれば苦労しないがな
脅迫とは穏やかじゃないね。
手遅れか……だろうな。見てればわかる。せいぜいその相手を大事にすることだ
(従夢君に愛らしく微笑みかけられるも淡々と受け流し)
媚態は出し惜しみしたほうがいいぞ。軽く見られる
互いを尊重する対等な関係でしか愛情が育まれないなら、俺が長続きしないのも仕方ない
……淡泊すぎるとはよく言われる。でも、これが俺だ。君が君であるように
……お互い恋愛の真似事しかしてないなんて笑えるな。ああ、違う、先を越されたか。
……察しが良すぎる(ばつが悪そうに)
失言は詫びるから軽蔑の目で見ないでくれ、結構刺さる。
ましてやに深い意味はない。……本当に。
まあ、人に触られるのが気持ち悪い……とまでは言わないが、潔癖症のきらいはあるかもな。
なんとなく警戒してしまうんだ。割り切って遊ぶ分には問題ないが
君は好きな人について語る時だけ年相応になるな。
さっきみたいに科を作って媚びるよりそっちのほうがずっといい。……ああ、変な意味じゃなくて
空回り、大いに結構じゃないか。所詮この世はから騒ぎで空回り、恋に落ちたら存分に振り回されてみるといい。
(従夢君の言葉に虚をつかれ、一瞬目を見開いてから)
……自分を赦せ、か。
むずかしいな……善処はするよ
(従夢君と対峙、柔らかく微笑んで)
……ありがとう
相対化は人の習性だ。人は常に自己と他者を比較する社会的な生き物だ。
だからだろうか、自分と比較して確実に勝っている天才という存在に憧れと嫉妬を抱くのは。
……君を堕落させる天才か。なんだか似ているな、あいつと。
優しすぎる人間に世界が優しいとは限らない。君のお兄さんは沢山の痛みを抱えすぎて消化不良をおこしている。
……酔った人間の喉に指を突っ込んでえずかせるように、誰かの手伝いが必要かもしれない
否定しないんだな(苦笑い)……薄情だと気付けただけマシか。
(従夢くんの言葉に聞き入り、自分の内側をさぐるように目を伏せ)
……煩わしかったよ、いつも。あいつは俺を惨めにさせる。
でも……それだけじゃない。発熱したら甲斐甲斐しく看病してくれた、感謝もしてる。あいつの手は冷たくて気持ちよかった。
ピアノの鍵盤と同じ冷やかさと滑らかさで、俺の熱を吸い取ってくれた
……もちろんピアノを弾かない時も一緒にいたよ。ピアノを弾かない時のあいつはただのとてつもなく嫌な男で、俺をいらつかせる天才で、その事をわかった上で愉しんでいた
……俺もあいつも度し難いな。本当
(従夢君の問いに無感動な眼差しを返し)
……理解したとして、今更どうなる。手から零れ落ちた砂の分量を量るのは無意味だろう
その砂にどんな名前がついていたかなんてどうでもいいじゃないか
知った所で時は遡れない。時任彼方はもういない。這い蹲って砂をかき集めても虚しくなるだけだ
……もう疲れた。本当は投げ出したい。でもできない。自分で自分を縛ってるんだ。馬鹿馬鹿しい。
彼方と対になる、あいつにだけ許した呼び方……
その名前は葬った。彼方が死んだ時、遥(はるか)も死んだんだ
(声を詰まらなせ涙を流す従夢君に困惑、白衣のポケットから几帳面に折り畳んだハンカチを取り出し)
……なんだか告解に似てるな。懺悔を聞く神父のようだ
君が自分を責めてる事はよくわかった。お兄さんに君を責める気持ちが微塵もない事も
それで?
俺にどうしてほしい。頬でもぶてば気が済むのか
随分と安易な贖罪だな。謝罪する相手を間違えてるんじゃないか
自ら虐げた他者の為に安い涙を流すのは自己満足、自慰の手伝いをさせられるのはごめんだよ。本当に悔やんでいるのならきちんと対象と向き合え、今君が考えている事、正直な気持ちを話すんだ
……俺と君と彼と、誰が一番可哀想か順位をつけても意味がない
(従夢君に清潔なハンカチをさしだす)
(「不快にさせたら」と謝る斑鳩さんに首を振って)
いいえ。それが貴方です。僕は貴方が無意識の内に時任彼方に縛られているのを、知ってほしかっただけです。貴方が喪失した事によって、得たものものあります。時任彼方に出会う前はどうでしたか?
歪んでいない……僕はそれが気に入らなかった。同じように酷い目に遭っておきながらどうして……。その疑問は僕を苛つかせた。だから、僕は歪めたかった。しかし反応実験はことごとく失敗した。それもそうだ……初めから歪んでいたのなら
流されがち、だと思います。いつもふらふらしてますから。
いや、まあ、最近は……僕が脅迫まがいに懇願したおかげか、以前よりは気を付けてくれるようにはなったんですが……。
手遅れですよ。僕が。
ええ、斑鳩さんとお話するのは刺激になります。意地の悪いところもありますし。ただの理屈屋という訳でもなさそうです。
女性恐怖症の僕が言うのもおかしい話ですが、その淡白さが原因なのでは。僕だって女性と付き合った事はありますよ。軽蔑していた頃の方が女性の扱いはうまかったですよ。特に母のような女性の扱いは。彼女たち好みの装飾品を演じるのは本能みたいなものでした。
ほら、こんなふうに
(白くか細い首を傾け、淡く愛らしくも艶やかな笑みを作って見せた)
若かった……そういう事でしょうか。僕はまだ高校生ですから、何とも
(口を噤む斑鳩さんを見て冷たい目で、疑るように)まあ、それで経験が無い方が驚きますけど、ましてや、なのですね。貴方も、人に触れられるのが怖い……気持ち悪い?のかな
僕自身が最も意外です。自分で言っていて不気味ですよ。(げんなりした顔を見せて)
う~ん、そうでしょうか……?(眉をひそめてうーんと上を見て)
結局僕が一人で空回ってるだけの気がする……。最近、からかわれるし……。わざと無視したりして、僕が焦ってたら笑われて……そんなにぷるぷる堪える程面白いのかなぁ……僕本気にして泣いてしまうし、そしたら慌てて慰めてくれて……なんだかなー
(はっと、気づいて、顔を紅潮させて押し黙る)
……あ、いや…………すみません
やり直し……そうですね。僕は、まだ喪っていなかった
……斑鳩さん……あの……
ある植物学者の言葉です……
赦す事で過去は変わりませんが、未来は広がる
……だから斑鳩さん……
赦してください……ご自分を
凡人は天才を作り自らの怠慢を誤魔化し、劣等生を見つけては優越感に浸る。
優しいですよ……僕の兄は……僕を堕落させる天才だ……。
(「生き辛いだろうね」その言葉に、)
そう、だと思います……。自分の痛みにはひどく鈍感だが、他人の痛みは感じる。けれどもまだ生きている。
薄情ですかね……そうかもしれません
(少し穏やかに微笑して)
それに、気づいただけでも、薄情ではないですよ……
彼の魅力はピアノだけ?彼と話した時間は?風邪で看病された時は?煩わしかったですか?
時任彼方だってピアノを弾かない時間はある……その瞬間だけしか貴方を繋ぎとめられないなら、呪われていたのは……
(不快感を露わにする斑鳩さんの視線は覚悟していたがそれでも怖い。自分と相手に落ち着きを取り戻そうと、溜息をつき冷静に喋る)
……。斑鳩さん。失礼なのは分かっています。
僕は、悪戯にその名を使った訳ではありません
貴方は言った。所有格で呼ばれるのはぞっとしないと。けれど先ほどの貴方はこうも言った。あだ名をつけるのは愛らしい発想だと。貴方は彼が貴方にしたことの意味が本当に理解できないのですか
時任彼方に物のような扱いを受けたから、その名を聞くと虫唾が走るのか。それとも、その名は彼と自分の特別性を示す神聖な言葉だったのか……
僕は弱虫の卑怯者。誰も僕を罰しない。だから自分でそうした。けれど自傷は自慰に似ている
僕に虐げられた人間が、言えるわけがない……ですよ
(息が上がり、口調は怒気を持って早くなり、涙混じりに訴える)
自らが虐げられていた事実を、認めないとそれは出来ない……あれは愛ではなくただのなぐさみものにされていたんだと、せめて愛があった……ただ、未熟だった……そう思いたい……そう思わないと……精神が持たない……だから……
(激情に駆られ流れる涙を拭う事もせず、ただ項垂れて嗚咽を漏らし)
……ぐ、斑鳩、さん……ぼくとあなたは、違う。貴方は、友人の事、分からなかったかも、しれない。でも、でも、今は、分かりたいと、そう、願っている……何も感じないなら、罪悪感も、自己嫌悪も、憎しみだって、ない
(子供のように涙を拭いて)
僕は貴方の事最低だとは思わない。同族嫌悪とも。貴方は何か、求めましたか?貴方はただ、受動的にピアノを聴いていただけなんじゃ、ないですか?
あなたは……自分が何も感じない、そう諦めている。本当に何も感じない人間は、そもそも諦めも、しません