●ランブル・オン●
よく言われますように、理由なき反抗が若者特有のものだとすれば、桜崎 巴(さくらざき ともえ)こそ、若者の象徴であると言えましょう。まずそのスカート、なんとくるぶしまでという超ロングなレトロ感ある扮装です。口元にも反抗のメッセージとして煙草のようなものがありますが、シガレットチョコというあたりは健康志向ですね。
彼女はいずれ、『この腐った世界』を改革するという野心を抱いておりますが、現時点ではまだその野心を実現する方法を模索中(とりあえず日本最高峰の大学に入るべく勉強はしていますが)といった次第で、今日もやり場のない気持ちの行き場所を探すように、学校内を闊歩しているのでした。
「これが、らくがお仮面とやらが狙う胸像ねぇ……」
このとき巴は、胸像に近づいていました。よく磨いだ剃刀のような眼で、胸像に近づいていろんな角度から観察します。
緊張したかのように、胸像が頬を引きしめたような気がしました。
次に巴がとった行動の大胆なこと。なんと彼女は、人がまだ集まっていないこの隙を狙ったのか、いきなり胸像に黒いゴミ袋を被せたのです。
胸像が身じろぎしたような気がしますが気のせいでしょう。彼女の被せたゴミ箱には、白いペンでひょっとこみたいな顔が描かれてありました。
「ムカつく顔しやがってー!」
自分でやったにもかかわらず突然激昂、これが若さの理由なき反抗でしょうか。
いきなり彼女は右フックを胸像に叩き込みました。同じく左で肘打ち、右左右左、交互にリズミカルに殴っていきます。普通、ビニール袋越しでもブロンズ像を殴ったりすれば、自分の手のほうが破れ血だらけ骨折になるところですが……彼女は平気な風でした。
「おいお前、何しやがんだ!」
血相を変えて駆けてくる少年がありました。白鳥 悠大(しらとり ゆうだい)、高校二年生です。
「なかなか怪しいやつが見つからねぇ……と思っていた矢先これか!」
悠大は、見た目からしてすぐにわかる相当な不良ルックです。制服はまともに着ず着崩していますし、眉は細いし眼光は鋭い。ただ、巴のオールドファションド・スケバン・ガールな外見とくらべますと、二十一世紀を生きる現役不良というイメージといえましょう。
「何って? へっ、見るがいいさ」
「……見ろだと?」
悠大は巴を一瞥すると、ぐいとビニール袋を取り上げました。すると下から、赤や黄色や青、緑、とカラフルに彩色された胸像が姿を出したのです。胸像は、なんだかぐったりしているように見えます。
「実はこのゴミ袋には仕掛けがあって、内側に、インクを入れた小さな袋が幾つも接着してある。あたしが殴るとその小袋が破れて、誰かが慌ててゴミ袋を外した時にゃ、既に像に模様がついてるって寸法さ。マジックみたいで面白いだろ?」
「面白いわけあるかテメェ!」
言いながら悠大は血が、沸騰するように熱くなるのを感じました。女性だからといって加減はしません。両手でグイと巴の襟首をつかんで持ちあげました。
「このやり口、さてはらくがお仮面か!」
悠大がらくがお仮面に怒りと憤りを感じているのには理由があるのです。たまたま彼は、教室に生徒手帳を置き忘れていたことがありました。半日ほど放置した後に思い出し、慌てて取りに戻ったものの……そこには悲劇が展開されていました。
彼の写真ではありません。悠大自身の写真はどうでもいい。
許せないのは彼が生徒手帳に挟んでおいた、弟の写真……愛してやまぬ自慢の弟の可憐な姿が、ピカソさながらの芸術的な顔にらくがおされ改変されていたことなのです。
「てめぇは俺の大切なものを踏みにじった。上手いのがまた腹が立つ……許さねえ!! 弟の写真に落書きした罪、償ってもらおう! 俺の弟に土下座しろ外道が!!」
吼えるようにいや噛み付くように一気にまくしたて、突き刺すような視線を彼は彼女に向けます。
ところが、あっははははは、と巴は哄笑したのです。
「あたしはらくがお仮面でも、その後継者でも、ましてや模倣犯でもないよ! あたしの名は桜崎巴……奴を越える人間さ。よーく覚えておきな!!」
「んだとぉ!」
言い逃れる気か、とハンマーのような拳を振り上げた悠大を止める声がありました。
「待て! そいつはらくがお仮面ではない!」
少女の声です。彼女は双葉 仄(ふたば ほのか)、小柄でツインテールな頭、顔つきは高校生というには幼いですが、どこかカリスマといいますか、強い印象を持つ外見でした。たとえ集合写真で端っこに写っていようと、つい視線がいってしまうような姿です。もちろん美少女でもあります。
「お前も一年か、言いがかりつけて邪魔しようってんなら……」
「聞けい。私は前からこの『らくがお仮面』の噂を耳にし、沙穂教員に協力願うなどしてその技量、作品タッチを独自にしらべていたのだ。主観だがプロファイリングした結果、自信家のようでいて抑圧されており、大胆なようで小心、という特性もわかった」
「あー! 面倒くせぇ!! 簡単に言えや!」
「よし簡単に言おう。繰り返すがその者、桜崎巴はらくがお仮面ではない! なぜなら!」
くわっ、と仄は眼を見開きました。その眼光は本物、さしもの悠大も息を呑み次の言葉を待ちます。
「らくがお仮面の方がセンスがあるからだ!」
くわっ、くわっ、さらに眼光が飛びました。まるでビームのように。
「なんだとぉ!」
怒鳴ったのは悠大……ではなくて、巴のほうでした。
「センスだと! これのどこが不満ってんだ!」
巴と仄は知り合いのようです。巴は難なく悠大の腕を振りほどくと、今度はそれまでの自分とは逆に、仄の襟首をつかんで吊り上げました。
「よかろう。教えてやる。らくがお仮面作品の、どこか抑圧されたような不安、小心さの現れか繊細なタッチ、そのいずれもがお前の作品にはない。ていうか、作品というより小袋内のインクを破裂させただけのものだろうが!」
チッ、と舌打ちして巴は、ぽいと仄を投げ捨てました。仄はなんなく着地してにこりと笑います。
「便乗するアホが出てくるだろうと思ってはおったがお前だったとはな……まあ、冤罪を被るなど無駄なこと。らくがお仮面を超えるならヤツと同じ路線で争っても無益だな」
「一部始終は聞いたけど」と、ここで新たな登場人物が出現しました。
人なつっこい笑顔を浮かべつつ、なんだかフワフワと雲の上を歩くような足取りで少年が近づいて来ます。
「オレ? 芸術科一年の針ヶ谷 夕市(はりがや ゆういち)、って言うんだ。『ハリー』って呼んでくれていいよ」
でもその上に『ダーティ』ってつけないでね、とよくわからないことを少年は言って、
「ロングスカートの彼女……桜崎君、だっけ? 彼女が渦中のらくがお仮面じゃないことはわかったけど、銅像にやらかしたのは事実だよね。不幸中の幸いというか、なんというか、オレってこういう人だから……」
と、何気なく夕市は、自分の鞄をガバッと開けて中身を開示しました。
数種類のカラースプレー缶があります。よく使い込まれているのかはたまた洩れたか、新しい鞄でありましょうに、もう内側は色々なカラーが付着してなかなかサイケデリックです。よく見れば、夕市の手や顔には塗料が付着したまま乾いていたりもするのです。
「ハリーとか言ったな! テメェがらくがお仮面か、弟の写真に……!」
凹んだ卓球ボールに熱湯をかけたように、怒りを再発させた悠大ですが、「待って待って」と夕市は言いました。
「オレのは、スプレー缶やペンキを使ってのいわゆるストリートアート、描く場所は壁が中心だね。わざわざ特定対象ばかりねらうらくがお仮面とは違うよ」
「そうだな。見てみよ。夕市とやらのスプレーでは、生徒手帳に挟んだ写真のような小さなものには落書きできんわ」
仄も口添えました。
「だったら何の用だ」
不服そうに悠大が腕組みすると、夕市はまた人なつっこい笑みを浮かべたのです。
「そんな趣味である関係上、塗料消しも色々持ち歩いていてね。よかったら、胸像を巴君が汚した分、落とすのを手伝うよ、と言おうと思って……」
「不要です」
と、胸像が言いました。
「おい、いらねー、って胸像が言ってんぞ……ん?」
ごくナチュラルに受け答えしようとして、巴はぎょっとなり胸像を振り返りました。
さすがに彼女も驚きました。発泡スチロール製のハリボテの台座をバリバリと壊し、顔面ボコボコ塗料まみれにされた『胸像』が、よろよろとまろび出てきたのですから。
「待って、怪しい者じゃないから……」
「説得力のねー台詞言ってんじゃねえ」
この『胸像』は人間が化けていたものだったというわけです。化けていた少女(そう、少女でした!)は鬼河内 萌(おにこうち もえ)と名乗り、普通科一年であることを明かしました。
「いたた……胸像完成の報を聞いて、明け方から変装してここにいたの、ボク。ある偉大なるコメディアンを見習って、伝説の銅像コントを再現しようとしたんだけど……うう、らくがお仮面に会うまではボク泣かない、って頑張ったんだけどそろそろ限界なの~」
くるくる目を回して萌は座り込みました。するとその背後に隠してあった『本物』の胸像が出てきます。丁寧に背景に似せた幕がかけてあったので、一見しただけでは気づきにくいでしょう。
萌はごしごしと顔を布で擦ってブロンズ色をある程度落とし、被っていたハゲヅラをころりと落としました。
このとき、ぱたた……と小鳥が羽ばたくような音がしたかと思いきや、萌の背後にラッセルが姿を見せています。どこから来たのか、と萌は驚きますが、読者の皆さんは、ラッセルがさっきまでどこにいたかご存じですよね?
「あんまり面白いんで出てきちゃったよ。いやあ、あんたももの好きだなあ」
簡単に自己紹介すると、ラッセルはしゃがみ込んで萌の顔を調べ、
「結構殴られてるなあ。腫れると困るし、ちょっと保健室まで行って看てもらおう。場所なら知ってる、連れて行ってやるから安心してくれ」
と手を貸して彼女を立たせました。
「うう……ありがとう」
「それにあんた」
さらにラッセルは巴に言いました。
「いくら知らなかったとはいえ、人の顔バンバン殴ったら駄目だろう」
ちぇっ、とでも言いたげな顔を巴はしたものの、
「まあ……悪かったよ」
案外素直に頭を下げ、
「保健室、付き合う」
とぽつりと言いました。それなら、と仄も同行を申し出ます。悠大は、「ならば真犯人捜しだ!」と言い残して走っていきました。
かくて萌たちが行ってしまうと、胸像の前は夕市のみという状態になりました。
「うーん、らくがお仮面か……鷹取先輩のやられた写真も、結構センス良かったんだよなぁ。この像がどうなるか、見てみたい気もする」
不謹慎かもしれないけれど、といいながら、夕市は相棒(こと、スプレー缶)を取り出して振ってみました。
「待つがいい」
そのとき夕市の前に出現したのは、がっしりとした体格の少年でした。制服の上からでも肩の筋肉がパンパンに引き締まっていることがわかります。脱がせてみればギリシャ彫刻のようなボディをしているに違いありません。
「お前はらくがお仮面ではないようだが……そのスプレーの握り方に振り方、汚れ……年季の入った表現者と見た」
「表現者? うん。そうだね」
「まさかその胸像に、スプレーを振りかける気ではあるまいな?」
「今のところそのつもりはないんだけど……うーん、オレ、わりと思いつきで行動するところあるから、場合によっては、といったところかな」
「それはいかんな。おっと、俺の名は平田 恵一(ひらた けいいち)という。趣味は筋トレ、生き様はプロレス、そんな男だ」
プロレスこそ生き様、言い切った彼は決して冗談を口にしている顔ではありませんでした。見ていて気持ちがよくなるほど真っ直ぐ、真剣な表情です。
「俺はらくがお仮面のような悪戯は感心せんが、ヤツも燃えたぎるような情熱を我慢できなかったのだろう、とは思う」
「同感だね」
面白そうな人です。夕市も名乗って彼の話を拝聴することにしました。
「そして針ヶ谷夕市、お前にもその情熱を感じる……違うか?」
「そうかも……いや、きっとそうだね」
「よし、お前こそその気なら俺がカンバスとなろう! この鍛え抜かれた肉体と白いマスク、白いマント、白いタイツを針ヶ谷、お前の色に染めてみろ」
言うなり恵一は制服をかなぐり捨てました。美しい逆三角形の筋肉がついた肉体、その下半身は白いタイツでぴっちり覆われています。肩に白いマントを装着した上、彼はさらにルチャドールのような覆面を被ったのです。覆面もやはり白でした。
「これらリングコスチュームは元々染めるつもりだったものだ。勝負しようじゃないか。表現者を名乗るなら自分のリング……つまり、お前はそのスプレーで己の表現を行うといい。ただし俺も黙って描かれはしない。身につけてきたプロレス技術で抵抗するぞ」
「すごいな。まるで異種格闘技だ」
夕市は悪い気がしませんでした。いえ、恵一に煽られたか大いに乗り気でした。夕市も勝負事には燃えるほうなのです。壁にアートを描いては逃げるということを繰り返してきた経歴があるゆえ、フットワークには少々自信があります。そうそうは捕まりますまい。
「そう、今日の俺はバーリトゥード、何でもありの異種格闘技モードだ。逃げも隠れもしない。お前の熱いパトスを、俺というカンバスに描いてみろ!」
ぐぐぐっ、と恵一は拳を握り前屈みの姿勢になりました。
やはり夕市も前屈みになっています。彼はスプレー缶を両手に握り、不敵な笑みを浮かべました。
実際にゴングはありません。ですがこのとき、二人の頭の中に同時に、激しい鐘の音が鳴り響いたのです。
さあ、互いの表現をかけて……今、試合開始!
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