●春風、やわらかく●
柔らかな春風が頬をなでます。事件というから張り込みをしているわけですが、そのような殺伐とした思いは、この春風に溶けてしまいそうです。
伏見 多香紀(ふしみ たかのり)はうんと伸びをしました。彼は噴水の縁に腰掛けて、胸像付近を通る生徒を観察していました。いつまでも注視しているのは変なので、あえて真正面には座らず、時々観察するくらいに押さえていました。
ほんの少し前まで胸像の前には、偽の『胸像』とその正体、それに関連する生徒たちがいたのですが立ち去りました。またその直後、白覆面のプロレスラーらしき少年と、カラースプレーを持った少年がバトルを展開していましたが、やがて二人は固い握手を交わして解散しています。(ちなみにレスラーは雷光を内包した鮫のようなデザインに塗られていました)
――あれだけ目の前で騒げば、らくがお仮面とやらも出てこれないだろう。
その後も人の行き来は途絶えませんが、とりあえず危険はなさそうです。
「そろそろ昼食にするか……」
多香紀は鞄を開け、弁当箱を取り出しました。あらかじめ買っておいた炭酸飲料のペットボトルも置きます。
この弁当は、彼のはとこが作ってくれたものです。ちなみにそのはとこも、この寝子島高校に通っているのです。
しかしまあ、その弁当というのが、なんともつつましいものなのでした。これではまるでダイエット中の女の子です。
今は授業も部活もちゃんと始まってないからこのくらいでいいけど――海苔の入った玉子焼きをつまみながら彼は思いました。授業が本格的に始まったら、この量じゃ足りないよな、と。
しかしその玉子焼きはとても美味しいものでした。多香紀は、砂糖を混ぜたような『甘い』玉子焼きは苦手です。お菓子を食べさせられているような気がするからです。かといって、どんよりと茶色っぽい色をしているものも食欲をそそるものではない。ところがこの玉子焼きに卵本来の甘さ以上の添加物はなく、それは実家で、彼の母親が作ってくれた味に近いものでした。ひよこのような黄色も綺麗で文句なしです。作ってくれたのが、母方のはとこという事情が関係しているのでしょうか。
「あなたソレ、美味しソウ、デスネー?」
このとき多香紀はふいに声をかけられ顔を上げました。
上級生のようです、彼はシャルティ・ヴァルクリス(しゃるてぃ・ばるくりす)と名乗りました。北欧系なのか、透き通るくらい肌の色が白く、髪も白に近いプラチナです。長い前髪で左目を隠しています。これはファッションなのか、それとも目に怪我でもしているのか……?
「あ、コレ、私のおやつデース」
シャルティは言って、手にしたシュークリームを指しました。見た目はちょっと冷淡そうですが、なかなか人なつこい性格のようです。
しばし二人は言葉を交わしました。最初はらくがお仮面の話題でしたが、いつしか多香紀の弁当に関する話に変わっています。
「私、それだけ量があれば十分デース。でもあなた、足りないデスカ。育ち盛りデスネ」
「そうかもしれない。あいつにもっと多めに作ってもらうか、それか足りない分は購買で買ってすますか……? だが、買い食いはどうしても偏るからそれは困るし……」
「たとえば自分で作る、できマス?」
「それできればいいんだろうけど、家事全般苦手なんだよなー……。あいつに相談してみるしかないか…」
と、ここで多香紀は、買った炭酸飲料が随分ぬるくなっていることに気づきました。
するとシャルティがにこりと笑って、
「貸して下さい。私、冷やすの得意デス」
「得意……?」
ペットボトルを手渡して、多香紀は驚いて目を見張りました。どういう原理なのか、シャルティが握っただけで、みるみるペットボトルが冷えていくのです。
「おっと、冷やしスギてしまったデス」
シャルティが返したボトルは、表面に霜がつき、半ば凍った状態なのでした。
これが彼の『ろっこん』というわけですね。
なんだか弁当のことを考えたり驚いたり……楽しく過ごせはしましたが、なんとなくらくがお仮面のことを忘れてしまう多香紀なのでした。
ちなみにシャルティのほうはといえば、やたらとゆっくり食べているので、まだシュークリームが半分以上残っていました。
本日、白柳 さえ(しろやなぎ さえ)は一日、部活見学をしてすごすつもりでした。
らくがお仮面の話が飛び込んでこなければ、見学に専念していたと思います。けれど学校の一大事が発生(?)とあっては、そうもいきません。
そこで彼女は考えました。部活動探しとらくがお仮面探し、その両方をこなせば一挙両得、一石二鳥、一世風靡(……あ、これは違うか)ではないかと。
――お、面白そうだとか思ってないよ!? ほんとだよ!?
それにしてもこの高校には、興味をそそる部活がいっぱいです。
無難に美術部? でもjardin des angesやお菓子研究会なんかもいいと思いました。錦織彩という先輩が一生懸命説明してくれた家庭科同好会だって楽しそうです。はたまた、途中で知り合った春日野日向という一年生が「非公式新聞部をやるつもりなんだ。編集・校正の仕事もあるよ。一緒にはじめない?」と誘ってくれたことも記憶に残っています。ただ、エクストリーム帰宅部というのだけはやめておきたいと思います。なぜって彼女は、『部活に入る』って決めたんですから。
興味をそそる部活はたくさんありますが、注意を惹く不審人物はまだありません。
「怪しい人、怪しい人……どこかなあ?」
このとき一瞬、気まぐれのように強い風が吹きました。
桜の花びらが、空に巻き上げられていきます。
「綺麗……」
さえはしばし足を止め、吹雪のような緋色に心を奪われるのでした。
武道場と部室棟の間、木が植わっているだけでなにもないその場所に突然、相楽 茉莉花(さがら まりか)が姿をあらわしました。本当に、『忽然』としか言いようのない出現ぶりです。どこかから歩いてきたわけではなく、もちろん空から飛び降りてきたわけでもありません。
「……っと、だんだんとこの力にも慣れてきたな」
そうです。これこそが茉莉花の『ろっこん』こと『貌無き行進』なのです。わずか十メートル前後とはいえ、彼女は瞬間移動することができます。行きたい場所を目視しながら念じれば、ぱっと転移することが可能なのです。
茉莉花は小学生時代、いじめられっこでした。そのとき感じた『逃れたい』という思いが、この能力として結実したのでしょうか。それとも、いじめられ引きこもっていた頃にはまったオカルトなどの神秘主義がもたらしたものでしょうか。
こうやって練習しておけば、いざらくがお仮面と出逢ったとき、逃れられても先回りできるでしょう。といっても、茉莉花は仮面を捕らえるつもりはありません。正体を知りたい、という想いがあるだけでした。彼女はらくがお仮面に対し、『自分を表現するのが下手な人間』というイメージを持っています。あれだけの技量を持っているのであれば堂々とすればいいのに、恥ずかしがるように姿を見せない彼ないし彼女の姿と、この能力を得ておきながら、それでもひっそり暮らすことを選んでいる自分とに、相通じるものを感じているのかもしれません。
このとき、パキッ、という音が背後からしました。
――見られた?
瞬間移動の力を知られた可能性があります。茉莉花はすこし青ざめて振り返りました。
「……あ、あの……あの……」
詮索好きそうな人間であれば面倒と思ったことでしょう。しかしそこに立っていた少女は、むしろその逆のようでした。怯えた小動物のような目をしています。
「誰だ」
少し強く言ってみると、ますます少女は怯えたように言うのです。
「は、はい!? 何でしょう……? わ、私……こんなところに人がいるなんて思ってなくて……それで……」
どうやら『見られた』わけではなさそうです。軽く安堵した茉莉花は、彼女に近づきました。
「この春に入学したばかりの普通科一年、相楽茉莉花だ。驚かせたのならすまない」
「……わ、私も……ふ、普通科一年生で……勅使河原 悠(てしがわら ゆう)って言います……」
「こんな場所で何を?」
自分のことは棚に上げて茉莉花は訊きます。
「体験入部……行ってみたい、けど…勇気が……出なくって……部室棟の付近を、どうしようか、どうしようか……って、迷ってて……それで……」
決心がつかなくて、単にこのあたりを通りかかっただけのようです。
かなり迷ったようですが、意を決したような調子で悠は訊きました。
「……さ、相楽さんは、ここで何を……?」
彼女の顔は赤く、しかも涙目です。このような質問を自分からするのためには、よほどの勇気が必要だったのでしょう。
茉莉花は簡単に答えます。
「秘密だ」
「……ご、ごめんなさい!」
殴るぞ、とでも言われたかのような極端な反応を悠が示したので、勢い、茉莉花の言葉は優しくなります。
「別に謝る必要はない。私は魔女だからな」
これは冗談でも何でもないのでした。もともと『魔女』の名はいじめネタとして使われていたものでしたが、中学校に上がってから茉莉花は自らそう名乗るようになっているのです。
怖がるかと思いきや、なぜか悠は落ち着いたようです。
「じゃあ、もしかして占いにお詳しいとか……?」
「そうだな。西洋占星術を始めとした占いが得意だ。あとはタロットとかな……」
世の中、何が幸いするか判らないものです。これを聞くなり悠の涙は消えていました。そればかりか明るくなって、
「私、梅花心易という占いに興味があって……少しずつですけど色々と調べているんです」
「東洋の占いだな。どんなものか教えてもらっていいか」
「……で、でも、私まだ勉強中で……じ、実際の占いなんて……まだまだ」
言いながらふと、彼女に好意を抱いている自分に茉莉花は気づきました。
「占いを勉強中なのは私も同じだ……よかったら、だが……お互いの占いについて教えあわないか……」
人付き合いが苦手なはずの自分なのに、こんな言葉が自然に出たことには、茉莉花自身も驚いています。
でも、これが今、自分の一番言いたいことだと彼女はわかっていました。
それはきっと、悠も同じだったのでしょう。
「はい……歩きながら、でもいいですか?」
茉莉花と悠、その背を押すように、やわらかな春風が吹きます。
もしかしたらこれは二人にとって、この学校ではじめて友達ができた瞬間かもしれません。
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