●胸像周辺春模様●
時間軸をいくらか戻します……ちょうど、鷹取先輩が熱弁をふるっているあたりまで。
まずここで、今回問題となっている『初代理事長 桜栄万吉』氏の胸像をご紹介しましょう。
胸像はブロンズ製で、こういうものの常として彫りの深い、なかなか立派な顔立ちになっております。着ているのは燕尾服でしょうか。胸ポケットからハンカチーフがちょいとのぞいていますね。
胸像の最大の特徴はその頭でしょう。両サイドの申し訳程度の髪を別にして、ほぼ完璧、見ていて清々しくなるくらいさっぱりと禿げあがっています。ぴかぴかと光って、まるでおろしたてのボーリングの球ではありませんか。つるりとしたその大平原を眺めていると、らくがお仮面ならずとも、なにか彩色を施したくなる……かもしれません。
さてこの胸像の頭上には、ほぼ満開の桜の大樹があるのですが、その枝にカナリアが一羽、胸像を見下ろすような位置に止まりました。
チチチチ……とカナリアは美しい声で鳴きました。けれど少し動きが妙です。両足をそろえてちょんちょんと跳んでは、なにやら場所を品定めしているようで、さらには片足ずつ、抜き足差し足して立つべき場所を模索しているようです。
あまり、カナリアらしい動作ではありませんね。それもそのはず、このカナリアは桜井 ラッセル(さくらい らっせる)が、その『ろっこん』を使って変身した姿なのでした。
――なにか賑やかだな。
ラッセルはついさっき、鷹取先輩が熱弁をふるっているのを聞きました。けれど早々に抜け出して、こうしてその、渦中にあるらしき胸像を見に行くことにしたのでした。
潜入するとか追跡するとか、そういったことにラッセルはあまり興味がありません。けれど、危険を冒してまで落書きいや『らくがお』にチャレンジするという、仮面氏の生きざまには何か、スリル狂の自分に近いものを感じています。
――ご大層な名を名乗りながら、胸像に落書きできずに終いつーことはねーだろ。
きっと来る、とラッセルは期待しているのです。きっと、らくがお仮面は来ると。
ラッセルは胸像そのものよりも、その周辺がよく見える位置取りをしていました。なので、わずかながらとはいえ胸像が、振動しているのがわからなかったとしても無理はありません。
さて鷹取先輩の話が終わるや否や、真っ先に胸像のところへ着たのは、常凪 現(とこなぎ うつつ)でした。現は実年齢よりずっと幼く見えるその顔に春の陽気さながらの穏やかな笑みを浮かべ、持参したゴザを敷くと胸像から十数メートルほどの位置に陣取りました。
桜が花をつけております。お花見、と言っても通りそうです。
でも現はお花見に来たわけではありません。
――せっかくなので、第三者としてまったり見物させてもらおうかな。
そんな心境なのです。この日これから起こるであろうドタバタあるいは事件を眺めたい、そう望んでいるのでした。
らくがお仮面は誰なのか?
胸像の前で、どんな追跡劇が行われるのか?
その他、胸像の前で……どんなドタバタがあるのか?
期待で胸が膨らみます。
「一枚、いい?」
陽差しが遮られました。
見上げる現の目に入ったのは、すっと背の高い少女でした。短く切り揃えた薄茶色の髪、同じ色のつり目、どことなく、猫じゃらしを追っているときの猫のような真面目な表情をしています。
「一枚って……?」
ここで彼は、少女が手にしているカメラに目を止めました。大型の一眼レフです。おそらくはプロ仕様、カメラのことはよくわかりませんが、きっと価格を聞けば、目玉が飛び出して月に軟着陸するくらい驚くことでしょう。けれどそのようなカメラが、彼女にはすっぽりと、あつらえたように似合っています。
「あたしは五郎丸 冬子(ごろうまる ふゆこ)、入学したばかりの一年さ。これが趣味でね」
と、冬子はカメラを軽く持ちあげて、
「色々と撮影してまわってる。なんであれ、興味のあるものを」
「僕なんか撮影してどうするの?」
「言ったろ? 純然たる興味。聞けば『らくがお仮面』なんてのが出没するってことだろ? 仮面君は仮面君で撮らせてもらうとして、その出現前の光景、つまり、平穏が続いている場面も記録させてもらおうと思って……嫌かな?」
「別に嫌ってことはないよ。うん。いいよ」
「ありがとう。なら、さっと一枚撮らせてもらおう」
現はやや照れ気味に、はにかんだ笑みでフレームに収まりました。
「うん、これでよし。胸筋がもう少しあればもっと良かったんだけど……」
「胸筋?」
「あ、ごめん、無意味な独り言。君、ええと……」
「常凪……常凪現だよ」
「じゃあ現君、あたしはとりあえず、屋上当たりにでも陣取っておくつもり。胸像周辺を見下ろしつつ、何か琴線に触れるモノがないか探してみたいからね。らくがお仮面が現れたらもちろん撮りたいと思ってるけど、それがかなわなくても、面白いものが撮れるといいな、って思ってる」
じゃあ、とジャスミンのような香りだけ残して、冬子は手を振りました。
春風、つむじ風のように、来たかと思えばもう立ち去っている。
こんな出会いがこれから三年間、何度もあるのかなあと現は思いました。
そうだったら、いいな。
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