●それは、はじまりの月●
桜の花びらが一枚、ひらひらと舞いました。
花びらは緋色の小舟のように優雅に風に泳いで、姫ノ扇 勇里(ひめのおおぎ ゆうり)の肩に音もなく乗りました。
勇里はそれに気がつきませんでした。目に入ったところで、意識もしなかったでしょう。
無理もないことです。
現在、彼の頭は、突然ふってわいたようなこの事件に占められているのですから。
四月、このはじまりの月の、しかもその限りなく最初に近い一日に、こんな事件に遭遇することになるとは、勇里は昨日まで、いや、ほんの十数分前まで想像すらしていませんでした。
「何をしたらいいんだろう……」
謎の怪人『らくがお仮面』、正体不明、奇想天外の落書き魔……これを徒手空拳で捕まえようというのです。雲をつかむような話であることは言うまでもありません。ただ、こちらにも有利な条件はあります。
それは勇里をはじめとする追っ手が一人ではないということです。そればかりではなく、周囲の協力も仰げそうということもあります。
「えっと……小説の探偵だったら、まずは聞き込みですね!」
ぽん、と勇里は手を打ちました。
「といっても何を聞き込みしたらいいんだろう……?」
と心がさっそく挫けそうになりますが、なんということはない、まずは同志を探すところから始めればいいと彼は気づきました。鷹取 洋二の話を聞いたのは自分一人ではありません。
そこで勇里は勇気を出して、胸像の周囲にいる少女に話しかけました。
「新入生の方ですか? ……あの、僕、例のらくがお仮面を探しているんですが」
なんとなく間の抜けた言い方のような気もしましたが気にしません。そんなことばかり気にしていたら最初の一歩も踏み出せないでしょう。
「え? 私?」
呼ばれた少女は振り向きました。
栗色の髪はセミロング、色素が薄めの黒い瞳、理知的な顔立ちをしたなかなか可愛らしい子です。
「えっと、そうです。らくがお……」
「うんうん、らくがお仮面よね! 私もちょうど『ネタになるかな~』って思ってたの」
「ネタ?」
「そう! 実はね、私、この学校で非公式新聞部を立ち上げようと考えてるんだ。そのためにも何かしら記事のネタがほしいなぁ……と思ってたところなんで、ちょうどいい話だと思ってるわけなのよ」
少女は春日野 日向(かすがの ひなた)と名乗りました。やはり一年生のようです。
二人はしばし、自分の考えを交換しました。
「僕は物陰に身を隠して、らくがお仮面が落書きにじっと現れるのを待とうと思ってます」
「張り込みというわけね。それもいいとは思うけど、張り込む前に色々と情報集めてみよっかな……って私は考えてるわ。相手のこと調べておけば、どういう動きをするかもわかるかもしれないしね。春休みっていっても人はけっこういるみたいだし」
そう言われてみればそうかもしれません。まさか数分後に仮面が現れるとはさすがに思えないからです。なんとなくですが勇里は、仮面が出現するのは夕方ごろになるような気もしてきました。
「ね? こうして知り合ったのもなにかの縁、一緒に情報集めに行かない? 勇里ちゃん」
「勇里ちゃん……?」
「あら、そう呼ばれるのイヤ?」
「いえ、別にイヤでは……ないです」
けれど少し照れくさいので、勇里はほんのりと頬を染めています。
「じゃあ行こっ! 私のことも『日向』って呼び捨てでいいよ」
「え、いや、『春日野さん』でいいです……」
というやりとりが終わる頃にはもう、日向は小走りで校舎に向かおうとしていました。
「うふふふふ……非公式新聞部、最初のスクープをモノにしてみせるわ」
「あっ、待って下さいよー!」
勇里は駆け出します。
彼の肩にとまっていた桃色の花びらが、ひらりと風に乗って、またどこかへ翔んでいきました。
「ハーイ、そこのユー。オーイエス、ユーのことデース。ユー、新入生デスネ?」
ベンチに腰掛けていた西桐 歩美(さいとう あゆみ)は、声をかけられて本から顔を上げました。
「ええ、その通りですけれど。ユー……いえ、あなたも?」
「イエス! ミーはミラといいますねー。アメリカからやってきました新入生ですよー」
サファイアのように青い瞳をきらきらさせて、ブロンドの少女が満面の笑みを浮かべていました。制服はまぎれもなく寝子島高校のものです。彼女はミラ・オルダースン(みら・おるだーすん)、『COOLな怪人らくがお仮面』なる者の噂を聞いて、本人いわく『探偵活動にイソシンデ』いるとのことです。
歩美もやはり、らくがお仮面を探しているのでした。といっても、正体もつかめない人をすぐに捕まえようとするのは少々骨が折れそうなので、まずは胸像がある中庭で、それらしき人物が来ないか見張りをしているのです。ベンチに腰掛け、読書しつつの張り込みというわけですね。なお、彼女が手にしている文庫本にはカバーが掛けられていますが、隅に『ベルツの日記・下巻』と記されています。
「ここ座ってOKデスカ?」
「どうぞ。よければ少し、お話ししない?」
発育状態が大変よろしく、はちきれんばかりの印象があるミラと、黒髪黒目にきりりとした目つき、いかにも委員長風の眼鏡という歩美は実に対称的な組み合わせですが、なんだか相性は良かったようで、話すうちにすぐに親しくなることができました。
「ミラさんは、らくがお仮面はどんな犯人像だと思う?」
「ゲイジュツ家だと思いますネー! スタイリッシュな天才肌想像しマース」
「そうね……一種の天才というのは確かでしょうね。芸術性は一定の評価はするけれど、らくがきは良くないと思うわ」
「そうだ。絵の分析、してなかったデスネー。彼の作品、どこかに残ってないでショウカ」
このとき、
「それならここにある」
と少年の声がしました。
「話に割り込んでしまってすまない。俺は普通科一年、百足 千十郎(むかで せんじゅうろう)という者だ」
色の白い少年です。ただ白いだけではなく、白磁のように綺麗な肌でした。加えてロングの黒髪なので女性的な印象もあります。けれど彼は、硬質の男性的な口調で言いました。
「二人ともらくがお仮面を探しているようなので、参考までに、と思ってな」
実は鷹取先輩の生徒手帳を撮影させてもらったんだ、と千十郎は言いました。
「加えて、過去の『作品』もひとつ見つけて撮影している」
千十郎は素早く美術室に向かい、らくがおされた彫像も発見したというのです。
ミラと歩美にスマートフォンを手渡し、腕組して彼は言います。
「筆のタッチの濃淡からして、利き腕は右手のようだな。美術的なセンスはもちろん、技法も学んでいるようなので芸術科の生徒かもしれない。彫像のあった位置から判断して、背は低くなさそうだ。もっともこれは、台を使った可能性もあるが……」
「なかなかの推理力ね」
歩美は、見えるか見えないか程度の微笑を浮かべるだけでしたが、ミラはオーバーです。
「オーノー! ユー凄いデス! 現代のアケチコゴロウ! もうらくがお仮面は見つかったも同然デース!」
手放しで激賞し、抱きつかんばかりの勢いなので、千十郎はむしろたじろいだくらいです。
「そ、そうか……そこまで褒められると面映ゆいな……ところでなぜ、明智小五郎なのか……?」
けれどその質問の答を、千十郎が聞くことはできませんでした。
「にゃあ」
そのとき彼は、天敵の声を聞いたからです。
まるで全身の毛が逆立ちました。自慢の黒髪だって、もう少し堅い髪質ならピンと天地逆になっていたかもしれません。白磁の肌はたちまち鳥肌、振り返って千十郎は、猫が一匹、こちらに近づいてくるのを知ったのでした。ころころした三毛猫です、少々太り気味、人間を見ても怖がることなく、アクビしながらのそのそ歩いてきます。
「さすが『ねこじま』高校、猫が多いわね」
歩美はなんともないのですが、千十郎にとっては危機到来なのでした。
もうおわかりでしょう。実は彼は猫が『超』苦手なのです。さいぜんまでの、どこか不遜な物腰はどこへやら、千十郎は青ざめ、じりじりと下がって行きました。
「よ、用事を思い出した……し、し、失礼する……」
「顔色悪いデス、どうかしましたデスか?」
「何でもない……何でもないんだ……では!」
言い置くと、猫に視線を固定したまま千十郎は後ろ歩きでその場を去っていきました。
猫だらけのこの島です。これからの千十郎の高校生活の課題は、『いかに猫を避けるか』になるのでしょうか。
そろそろ仮入部が来るかもしれません。坊主頭の森 蓮(もり れん)は、校門の道を急いでいます。
――らくがお仮面が活躍しているようですね。
蓮も鷹取先輩の話は聴きました。噂の怪人については、どうも嫌いにはなれないのですがなんとかしたいという気持ちもあります。ですが今は、部活動の仕事を最優先したいのが事実。スーパーマーケットに食材の買い出しに行かなくてはなりません。簡単にできる料理ですが、食材はあればあるほどいいので……。
「?」
彼はポスターに目を止めました。
ずらっと何枚も、連ねるようにして校舎に貼られたポスターです。それがすべて、校長先生をはじめとした先生たち(と思われる)の似顔絵を描き、さらにその上から落書きを加えたものでした。顔に落書き、すなわち『らくがお』ですね。
らくがおはバラエティーに富んでいます。某UKの元祖アナーキーなバンドのように目線を入れたり、無闇にモザイクを入れたり、ガーンとショックを受けていたり、浮世絵風になっていたり口裂け女になっていたり……と多種多様なのです。いずれも手描きなので、それぞれ一点物でしょう。
らくがお仮面のしわざ――と、思ったものの、そうではないと蓮は気がつきました。
これらのポスターの落書きにはもれなく、漫画の台詞のようなフキダシが加えられており、『らくがお? NO! IT’s MUSIC』『NO、らくがお。YES! MUSIC!!』など、らくがお仮面を挑発するような内容が書き込まれています。うちひとつは、『らくがおJACK BY 軽音楽部』と明記されていました。
どうやら、軽音楽部から『らくがお仮面』への挑戦状のようですね。本日、中庭でライブをやる旨もばっちりと書かれていました。さてさて、らくがお仮面はこれに対しどう行動するでしょう……?
この学校の軽音楽部はつい先日まで活動停止中だったそうですが、この春にどっと新入生が入り、活動再開したと蓮は聞いています。それに比べて、入学するなり蓮がマネージャーとして飛び込んだ部活は、まだ生徒が足りずほとんど活動できていないというのが現状です。
これは負けてはいられません。部員を獲得しなくては。
そのためにも、今日の頑張りは必要でしょう。蓮は納得するように頷いて、再び買い出しの途につくのでした。
蓮の所属部が何か、という話については、『数ページ後をお楽しみに』とだけ書いておきます。
籐條 智(とうじょう さとる)は周囲を見回し、誰も見ていないことを確認してからしゃがみました。
茂みを探せば……ほら、見つけた。
春ですもの。ダンゴムシにバッタ、蝶やカマキリ、小さな虫たちが沢山います。
闇雲に探しても意味ないよね――これが智の考えでした。『ジャージ姿』『変装している』という条件だけで犯人を探すのは難しいでしょう。特にジャージ姿なんてそこいら中にいるわけなので。
だから智は聞き込み調査をすることにしたのです。ちょうど暇でしたし、散歩に行こうと思っていたということもあります。
――ここら辺に住み着いてる子なら、見かけたって子も多いんじゃないかなって思うんだ。
ただ、聞き込みといっても智の聞き込みは一般的なものとは少し違います。
「こんにちは。僕、籐條智っていうんだ。人を探してる」
彼には『ろっこん』能力がありました。それは昆虫と会話することができるというものです。『ピクシートーク』と彼はこの能力を呼んでいます。
虫は人間のように嘘は言いませんし、そもそも言葉に悪意がありません。人間に対してはどこか冷淡な智なのですが、虫が相手なら博愛主義者です。
虫は口を使って話すわけではありません。虫の声は念じる声、頭に直接響いてきます。
「……そうか、君たちには人間の顔の違いがわかりにくいのか」
色々と聞きだそうとしましたが、なかなか難しいのでした。虫からすれば人間は大きすぎる存在で、その細かな相違を見出すのはできないようでした。
「うーん、だったら……最近暖かくなったと思うけど、どうだい?」
それならそれで仕方ない――智は雑談に切り替えました。捜査に協力はしたかったけれど、どうしても、というわけではないのです。それなら、この未知なる場所の虫たちと、仲良くなるほうを優先するとしましょう。そんな一日の過ごし方だって、ありなのです。
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