●満開の桜の下で ~楽しいお弁当タイム・前~●
「豆腐さん、勘弁したってやー。これも平和なお花見の為やさかい」
かなえはさっき思わず投げてしまった豆腐に、手を合わせる。
「サル達、もうこの辺にはいないみたいです。先生も見回りして下さってますし、大丈夫でしょう」
そこへ、白っぽいカジュアルシャツの少女が戻って来て報告すると、心配げだった同級生達もほっとしたように顔を見合わせた。
彼女、折口 ゆづき(おりぐち ゆづき)はサルに遣ったのだろう、手にしていたパンケーキや干し芋を入れていた包みを畳んだ。
餌付けになってしまわなければ良いけれど、と思いつつもあまり妙案もなく、懸念は残るけれど。
「なんとか着いたと思ったらこれやもん、もうヘトヘトやー……」
と言いつつ、レジャーシートを出して敷く場所を探すかなえ。背が低く、カーディガンにハーフパンツという格好も相俟って小学生にも見えるけれど、結構しっかり者だ。
「ありがとう、西野町さん。本当なら私が……」
石に腰掛けた八重崎 五郎八(やえざき いろは)が、溜息交じりに呟いた。
先輩としてしっかりしなければと思いながらも、気持ちに体力が付いて来てくれなかったようだ。
「うー……近場とはいえ、私みたいなか弱い大和撫子にはきつかったね……」
「でも、先輩や先生達のお陰で迷子にならなかったから、良かったよー」
ね、と同意を求める にれに、あおいもにっこり頷く。
「あおいちゃんやみんなとお喋りしながらだったから、私もここまで登って来られたんですし」
一緒に座っていた綾辻 綾花(あやつじ あやか)もそうフォローて「飲みますか?」と五郎八にお茶を入れた水筒の蓋を渡した。
後輩に世話を焼かれてしまっている事に肩を落としながらも、お茶を飲んで人心地ついた彼女は、かるたなら得意なんだけどね……なんて呟いたりして。
「ともあれ熊にも遭わず、新入生が逸れる事もなく無事に到着出来て良かったですね」
五郎八の脇でしゃんとした姿で立つ藍香は、皆無事に到着した事に安堵しながら優美な風景を見渡していた。
久し振りのお花見だ、胸が躍らない筈がない。
「皆さん、あちらの生徒さん達が一緒にどうですかって」
かなえと一緒にシートを敷く場所を探しに行ったゆづきが休んでいた面々に呼び掛ける。
示された方を見れば、女子を中心にした賑やかそうな集団がお弁当を広げ始めているところだった。
こちらを見て手を振っている生徒もいる。
「わぁ、賑やかそうだね」
あおいは嬉しそうに友人達と連れ立って歩き出した。
「さ、あなたも」
「えっ?」
藍香が促したのは、たまたま近くにひとりでいたリナ・石瑛(りな・せきえい)だった。
リナが返事をする前に、声を掛けた先輩は背を向けて歩き出している。
人見知りで臆病なリナは、楽しげな様子の生徒達を眺めて、結局身を縮めるようにして付いていった。
「よし、うちらもお弁当食べよかー♪ あおいちゃんも、座って座ってー」
先の集まりの横にシートを敷いたかなえが、笑顔で迎える。
「うう、たくさんの人の中に混ざるのは入学式以来です……」
わいわいしながら車座を作るみんなの背後、シートの隅っこにリナはちょこんと陣取った。
どんな顔をした生徒にも、桜色のヴェールを通した優しい光は降り注いでいる。
「絶好のお花見日和ですね」
「ほんと、こんな綺麗な桜の下でご飯を食べられるなんて嬉しいね!」
神田 涼子(かんだ りょうこ)が皆に話し掛けると、にれは明るく頷いた。
いつか自分のろっこんの力で、この桜みたいにいっぱい花を咲かせられたら良いな。
キャラじゃないかも知れないけれど、とちょっと自分に笑いつつ、にれはそんな決意を胸に秘めたのだった。
大人びた雰囲気の少女が、お弁当を広げながら口を開く。
「ああ、春ですね……桜を見ていると、そんな気分になりませんか?」
「うん、山道も色んな景色が見られて楽しかったけど、やっぱりお花見ってこういう感じだよね……ん、どうしたの?」
自らも弁当箱の蓋を開けながら答えた五十嵐 颯太(いがらし そうた)だったけれど、話題を振った月ヶ瀬 朔夜(つきがせ さくや)の表情が若干沈んでいるのが気になった。
「さっき、変な人が話し掛けてきたから……あ、変な人といっても、トレッキングに参加してる同級生だけどね」
それに答えたのは涼子だった。
所謂ナンパだろうが、その文句が女の子にはあまりにも耐え難い内容だったものだから、朔夜は思わずその生徒を背負い投げしてしまったのだ。
控えめな性格の涼子には、流石に背負い投げの話までは説明出来なかったけれど。
朔夜はふっと遠い目をする。
「今はその事は忘れましょう。折角のお花見なんだから」
「うわっ、弁当忘れたー!!」
彼女の言葉を掻き消さんばかりに、小柄な男子生徒が声を上げた。
火野 燎原(ひの りょうげん)は道中、自分の荷物は軽いからと女子達の荷物を進んで運んでいたのだけれど。
「肝心なモンが入ってないなんて、どおりで軽い訳だ……」
がっくりと肩を落とす燎原の前に、可愛らしい猫の柄のお弁当箱が差し出された。
一段目には並んだおにぎりが8個。二段目には猫の形に切れ込みが入ったねこさんウィンナーやちくわの穴にきゅうりを差したもの、玉子焼きが詰められている。
「……食べる?」
「い、いいの?」
お弁当の主、夏朝は無表情のまま少年に頷いた。
「沢山作ってきちゃって、ひとりじゃ食べきれなかったから」
「僕もいっぱい作ってきたんだ。お弁当持って貰ったし、お礼代わりにどう?」
ボーイッシュな口調の名義 冰(みょうぎ こおる)も、そう申し出た。食べる事も作る事も好きだから、ついつい沢山用意したものの重さに困っていたところ、燎原が荷物持ちを請け負ってくれたのだ。
「私も結構持ってきましたから、お分けしますよ」
藍香や他の生徒達も、快くお弁当を分けてくれるという。
良い事はしておくものだと燎原は思った。
まあ、女の子と仲良くなりたいなんて下心がなかった訳じゃないけど。男子としては至極健全な考えの範疇さっ。
そんな和やかな遣り取りに、朔夜も気を取り直したようにお弁当の中身を見せた。
新しい出会いの季節に咲く桜、こうして集まった人達と楽しまなければ勿体無い。
中身は焼き鮭、ほうれん草とベーコンのバター炒め、ブロッコリーに唐揚げ。玉子焼きはちょっと不恰好だ。
「手先があまり器用ではないので……」
他のお弁当を見てしまうと少し恥ずかしいけれど、唐揚げは自信を持って勧められる。
辛めのタレで味付けしたものの、そこまで辛すぎず鶏肉の旨味がよく引き出されていて、冷めても美味しいらしい。
「辛いものが平気なら、一度食べてみて下さい」
「私も唐揚げは沢山作って来ちゃったの」
何を入れて行ったら良いかと悩み、ここはやっぱり肉だろうという事で月乃のお弁当箱にも唐揚げが沢山詰まっていた。
定番の唐揚げや玉子焼きは大体みんなのお弁当に入っていたけれど、それぞれの家庭の味だったり、レシピを見て頑張った形跡があったりで、違いを比べて色々言い合いながら食べるのも楽しい。
早起きして作ったという五月のお弁当は鮭のおにぎりと出汁巻き玉子にたくあんとシンプル。
「でも、蕎麦茶って珍しいね。私、初めて飲んだよ」
「香ばしくて美味しいでしょう? うちでは定番なんですよ」
煎った蕎麦の独特な香りを嗅ぐあおいに、五月は言う。
彼女は蕎麦屋すすきのという、参道商店街にある蕎麦屋の娘なのだ。
「まろやかで少し甘味があるんだね。和食によく合いそう」
蕎麦茶の味わいを楽しんでいた冰のお弁当はかなりレベルが高く、唐揚げは時間が経っても衣がサックリしているし、仄かに甘い玉子焼きも形崩れせずふんわり柔らかい。
タッパに詰めてきたカツサンドやBLTサンドも、本格的な味がする。
「五十嵐君のも、なかなか本格的だね」
綺麗な焼き色の付いた玉子焼きやカリッと香ばしい唐揚げなどが並ぶお弁当に冰が話を振ると、颯太もちょっと嬉しそうだ。
「下宿を営む一家の息子としては、やっぱり料理も出来ないとね。野菜炒めも本格的に作ってみたよ♪」
「私も今日のお弁当は結構自信作なんだよ」
涼子のお弁当には刻んだガリとごまを混ぜたご飯を詰めた稲荷寿司、あられ衣の鶏の唐揚げと汁気を飛ばして味を含ませた筑前煮、ふわふわの出汁巻き玉子。
季節のものをアクセントにと、ふきのとうのてんぷらに、抗菌作用や箸休めの為の、蕪と大根の甘酢漬けが入っている。
「ご飯を寿司飯にする事で酢の殺菌力で腐敗を防ぎ、砂糖の保温力・保水力で冷めても美味しいご飯にする事が出来るのよ。ガリの酸味とゴマの風味が油抜きをして、甘く炊いた油揚げと合うから稲荷寿司にしたの」
唐揚げにあられ衣を使ったのは、油が酸化する匂いをあられの香ばしさが抑えてくれるからだという。
「よく知ってるねぇ」
彼女の知識には、冰も感心げで、彼女達は暫く料理の話で盛り上がった。
その頃、彼女達から少し離れた場所に佇む男子がいた。
(ひとりで寂しそうな子がいたら声を掛けて一緒に……と思ったけど)
3年生のカナトだ。
やっぱり上級生が声を掛けるのは気まずいかな、なんて思っているうちにぽつんと取り残されてしまった彼は、独り寂しくコンビニで買ったおにぎりのパッケージを剥いているところだった。
「さて、いただきま……ん?」
食べ始めようとしたところで、カナトは熱い視線に気付く。
じーっと彼を凝視していたのは、後輩の華蓮だった。
「おや、財前君じゃないか。どうしたんだい?」
「馬頭先輩こそ、こんなところでひとりでお昼ですの?」
カナトが尋ねると、華蓮はちょっと突っ掛かるような物言いをしてしまった。
「いやまあ、なんていうか……空気に負けたというか。桜の花と地上の華を眺めながら……というのも一興じゃないか。フフフフフ……」
挑発めいた言葉に取り合わず、哀愁を漂わせながら遠い目をするカナトを見て、華蓮は言い難そうに地面を睨みつけ、恥ずかしそうに頬を赤くしながら口を開いた。
「お……お弁当を忘れてしまいましたの。その、分けて下さらないかしら?」
「なんだい、君はそれで気が立っていたのかい」
「そ、そういう訳じゃありませんわ!」
なんだかんだと言い合いつつ、結局カナトは華蓮にお弁当を分けてくれた。
といってもコンビニおにぎりだけど。
食べ物にはありつけたけど、寂しい昼食だ。
頭上の桜はこんなにも咲き誇っているのに。
二人並んで妙にしんみりしたお弁当タイムに入ろうかと思った時だった。
「あれ、華蓮さんじゃない。どうしたの?」
カナトが見ていた集団から、聞き覚えのある声がした。
新入生に囲まれた五郎八がこちらを見ている。
「お友達なんですか?」
「うん、華蓮さんは寮で同室なんだよ。ねえ、一緒にお昼食べようよ。みんないいよね?」
隣の新入生に聞かれた五郎八は華蓮の事を説明して、カナトと一緒に集団に招いた。
「八重崎さん、こちらにいらしたのね」
「ん……面倒見るつもりが面倒見られちゃってねー」
呆気に取られた様子の華蓮に苦笑する五郎八。
ともあれ、華蓮もカナトも美味しいお弁当を分けて貰い、お腹も心も寂しい思いをせずに済んだのだった。
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