「……あれ、ここ何処だっけ?」
あおい達のいる最後尾よりもずっと前の方で、寿美礼は手にした地図と今いる場所を見比べている。
ここに至るまでにあった幾つかの分かれ道の間で迷い掛けていた新入生達を見付け、「あたし地図持ってるから、これ見て上まで一緒に行こう!」と胸を張ったまでは良かったけれど、自分も何処を歩いているのか分からなくなってきた。
彼女と出会ってほっとしていた新入生達も、これには不安顔だ。
「なんか、熊が出るって聞いたし……」
「大丈夫、ちゃんと鮭の切り身持って来たの。これ投げて熊が食べてる間に逃げれば良いんだから」
熊の噂を気にしていた生徒を元気付けながらも、自分が辿ってきた道が正しかったのか心配になってきた寿美礼。
いっぺん戻った方が良いのかな……と弱音を零しそうになった彼女は、少し遠くの木々の合間に見慣れた赤色の集団がいるのに気付いた。
一緒に歩いていた先輩達と休憩を取っているようだ。
「あ……! 良かった、この道で合ってるよっ」
促された新入生達は、やっと明るい笑みを見せた先輩にほっと緊張を緩めるのだった。
「これはカタクリっていうんだよ。……そう、昔はこの花の球根から片栗粉を取ってたんだって。このお花には『初恋』とか『嫉妬』っていう花言葉があってね? えへへ、可愛いでしょこのお花」
その頃、道際に咲いた花を携帯電話で撮影しながら、芽莉依は後輩達にその説明をしていた。
俯き加減に咲くピンクの花は、とても可憐で可愛らしい。
「可愛くても摘んじゃダメよ、メリーちゃん」
「うっ、分かってるよ~。裏山ならともかく、ここはもう誰のお山か分からないもんね」
渚に目敏い忠告を受けて、芽莉依はぴょこっと肩を跳ねさせた。
学校所有の裏山と呼べる辺りなら、ひもじい思いをした猫鳴館の寮生が山菜や、時には雑草まで採って食べたなんて話を聞かないでもないけれど、山歩きでは生えているものを勝手に摘まないのがお約束だ。
「でも、渚ちゃんの髪に飾ったら、絶対似合うと思うんだよね」
芽莉依は新入生達と一緒に渚から貰った飴玉を舐めながら、むぅと唇を尖らせた。
「あら、ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわね」
「さぁ、もう少しがんばっちゃおー! 渚ちゃんお勧めのお花いっぱいルートだからね」
渚に頷くと、芽莉依はぱっと立ち上がって新入生達に元気な声を掛けた。
「そろそろ桜の木もちらほら見えてくると思うわ」
あんまり気を取られすぎないように注意しなくちゃ、と自分に言い聞かせ、渚も歩き出そうとすると。
「おーい! 水城ちゃーん、佐伯ちゃーん!」
下の方から耳覚えのある聞こえた。見れば新入生達を連れた寿美礼がこちらに向かいながら手を振っていた。
そんな彼女達の、もう少し後方では――
「あ、ありがとうございます」
白いショートヘアの小さな女の子が、お重の入った風呂敷包みを持ってくれた豪に恐縮気味に頭を下げていた。
「いいって! これくらいなら、ろっこん使うまでもないしな」
「え?」
「いや、なんでもないよ」
きょとんとした小石丸 蚕(こいしまる かいこ)に首を振ると、豪は鋭い視線を和らげて笑った。
「オラ、田舎から出てきたばかりで心配でしたけど、こんなに先輩に優しくして貰えるなんて……」
小動物のように瞳を輝かせている蚕に、豪は「俺は弁当っていったらおにぎりだけだな」と話す。
「おかず? 野外の弁当はこれで良いんだよ。スカウト弁当っつってな。食べ易いし、食べた後の容器も残らねえ」
蚕が感心げに頷いている脇で、天野は息を切らして重い足を懸命に前に出すように歩いている。
「お前も大分疲れてきたみたいだなぁ」
流石に豪も気に掛かり、声を掛けてみた。
もしもの時を思ってリュックに多めに詰めてきた応急処置用の道具が、仇になってしまったようだ。
「これ、凄くしんどくないですか?」
「し、しんどいですうぅ」
「僕、体力はないんですよ。運動は人並みなんですから……うぅ」
「オラも体力は、とっても自信なくて……」
弱音を吐きながらじりじりと進む天野と蚕に、豪は明るい笑い声を上げた。
「慌てなくても桜は逃げねえよ。休憩取りながら、のんびり行こうぜ」
歩みはゆっくりでも、一歩一歩確実に進んでいく彼らが目指す先で、ある事件(?)が起きていた。
「登山と書いてセクシーと読むのが高校生だ。漆黒のモードが山のマイナスイオンで輝いてるぜ」
と気取ったスタイルで、意気揚々とトレッキングを始めた我威亜だったのだが。
平地でも歩き難そうな先の尖った革靴のお陰で、あっちでは滑り、こっちでは転びを繰り返し、自慢の革パンも土塗れで艶を失っていた。流石に服が破れるまでには至っていないけれど、新入生達も彼の様相や、転倒に巻き込まれないように遠巻きに見ているしかない。
滑り、転び、時にぐきっと音をさせながら、次第に何人もの生徒達に追い越されていく我威亜の姿が、ゆっくり歩いていた豪達にも見えてきた。
「何やってんだよ、そんな格好で」
明らかに山に向かない格好を土だらけにさせた我威亜に、豪も呆れ顔だ。
しかし二度目の3年生を謳歌している男は、後輩の冷ややかな視線も気にせずフッとニヒルに笑う。
「場違い、なんて俺の辞書には載ってないんだよ。伊達ワルが俺のスタイルだ。どのストリートでも俺は俺らしく歩く。フツウ、なんて『大人』しい生き方をするのは『大人』じゃねえよ。ソウルが導くままに俺流でシーンの最前線を切り開き続けるんだよ。
世の中とうまくやってくのが『大人』じゃねえ。ストリートで生きる信念を持ってるのが『大人』なんだよ。
それが伊達ワルの美学だ」
ここが山道で、彼が土塗れでなかったら格好良かったかも知れない。
しばし、爽やかな風に木の葉が揺れる微かな音と、遠く聞こえる鳥の鳴き声だけが流れる。
「――お前らが分かったなら、俺は帰るぜ。足の裏にマメできたから」
くるりと踵を返した我威亜。
そこに桐島先生が付き添う最後尾の集団がやって来た。
「……私は言った筈だが。動き易い服装で来いと」
桐島先生は眉間に皺を刻み、非情に渋い顔をして言った。
「それを聞かなかったのはお前の責任だ。それに……お前は団体行動というものの意味を理解しているか? 上級生のお前がそんな体たらくでは、後輩に示しがつかないだろう。
……逆巻、お前は確か応急処置の道具を持っていたな?」
「あ、はい」
「Xの手当てをしてやれ」
結局、我威亜は1年生の天野に擦り傷や軽い捻挫などの手当てを受け、桐島先生に付き添われて山を登り続ける羽目になった。
だが、これしきの事では彼の伊達ワル魂は潰えないのだ!
……多分。多分ね。
ひらりと零れ落ちた、薄紅色の花弁が舞っている。
多くの者が時折花を綻ばせている桜を見掛けた時には、まだかまだかと心待ちにしていた景色が、そこに広がっていた。
猫又川源流付近。
とはいえ、まだ川までは距離があるようで、水の流れる音は届かない比較的なだらかな場所に、無数の桜の木が競うように満開の花を咲かせていた。
本来は丈の低い草と剥き出しの地面があるだけの山肌は、散った花弁で所々薄紅色の絨毯が敷かれたようになっている。
桜の森はかなり広いようで、奥行きのある光景に吸い込まれるように五郎丸 冬子(ごろうまる ふゆこ)は夢中になってシャッターを切った。
桜の花を透かして降り注ぐ陽光が作り出す陰影。
所々に混じっている、白い桜とのコントラスト。
人の気配を感じて飛び去る小鳥。
楽しげに歓声を上げながら、周囲を歩き回る元気な女子生徒。
疲れた様子で丁度良い岩に腰掛け汗を拭う男子生徒。
気持ち良さそうに伸びをしている高野先生。
写真撮影が好きで、色々なものを撮りたいと思っていた冬子のカメラは、次々と風景を切り取っていく。
「って、あら? もう到着どすか」
急にファインダーに飛び込んできたのは、拍子抜けしたように目を瞬かせている楠葉の白い装束。
うっかりズームしたまま胸元を撮ってしまったけれど、冬子はそのまま視点を引くと彼女にピントを合わせた。
和の装束を纏った黒髪の品のある少女が一面の桜を背景に佇む姿は、幻想的で何処か妖美な雰囲気を醸している。
「うちとしてはちょっと歩き足りんのやけど……あら、写真撮ってくれはりますのん?」
「ああ、そのまま、そのまま!」
何枚か撮影させて貰った楠葉に礼を言ったあと、冬子は明太子のおにぎりと冷凍食品で済ませたおかずをさっさと腹に収めて、更に被写体求めて歩き出した。
暫くの後、懸命に後方を歩いていた生徒達も、その美しい桜の森が広がる様子を垣間見られる場所まで来ていた。
励ましてくれる先輩や仲間達の支えを感じながら、少しずつでも確実に、目的の場所は近付いていた。
その集団の中に、ともすれば埋もれてしまうくらい控えめな雰囲気の、痩せた黒髪の少女がいた。
浅山 小淋(あさやま こりん)。彼女は辛い道程にも弱音ひとつ吐かず、もとい吐けずに歩みを進めていた。運動には慣れていないから、体力が持つか心配だったけれど、なんとかここまで来られたのはひとりではなかったからだろう。
霞のように広がる淡い薄紅色は、遠巻きに見てもなんだか心が躍る。
そして、綺麗な桜の森を見ていると、小淋の胸には先程先輩達が話していた、樹齢300年の桜の事が過ぎるのだった。
ある人は噂にしか過ぎないと言っていたけれど……。
ともあれ、あと一息。
朝から頑張ったお弁当を、桜の下でみんなに食べて貰うのが今から楽しみだ。
先に到着した生徒達は、のんびりと一休みしたり早速お弁当を広げる場所を探し始めたりしている。
そんな中で、手袋をしたベリーショートのちょっと逞しげな男子が黙々とゴミが出そうな生徒達のところを回っては、手にしたゴミ袋の口を広げたり、地面に不要なものが落ちていないか確認して回っていた。
山道でもゴミを集めがてら歩いてきた志波 拓郎(しば たくろう)の手には、少し膨れたゴミ袋があった。
登山者のマナーが良いのか、落ちているゴミは然程でもなかったけれど「皆も帰る時の荷物は少ない方が良いだろう」という思いで率先してゴミを回収していたのだ。
「ああ、またダメだった……」
殊勝な活動をしている拓郎をよそに、失意の呟きを漏らしたのは加藤 信天翁(かとう あるばとろす)だ。
その童顔や小柄な身体には、何故か大量の花弁がくっ付いていて、自慢のアホ毛もへにょりと下がっている。
というのも、女の子と見るや寄って行っては、
「一緒にお弁当食べない? アクシデントを装って君のお尻やお胸様にタッチしたい、あわよくばむしゃぶりつきたいとかそんな風に僕は思ってるんだけど、それでもよかったら!」
なんて思いっきりセクハラ発言をかましながら誘うものだから、女子達は嫌がって逃げてしまうわ、挙句の果てには我慢ならなかった女子から背負い投げをかまされてしまったのだ。
けれど、途方に暮れつつ男子を探そうかと重い腰を上げた信天翁は、視界に入ってきたものにぱっと表情を変えた。
ひとつ結びの赤い髪に目深に被った帽子、首から下は忍者ルックの少年だった。
「おおー! ニンジャ! ニンジャがいるよ!」
感激しながら、信天翁は忍者に歩み寄る。
「ほう、あなたは忍者に興味がおありか」
「ああうん、特別好きって訳じゃないけど! なんか今ニンジャを見たらテンション上がったっていうか!
もうね、うなぎのぼりさ! ハイだよ、ハイ!」
よく分からないテンションでまくし立て、「ハーイ!」と腕をYの字に伸ばす信天翁。
彼のアホ毛もぴこぴこと上下している。
「でもやっぱり、僕ら男の子の夢の詰まった胸の話とか! 希望に溢れた胸の話とか! そういうのが好きかな!」
あまりの様子に若干引き気味だった忍者だが、その言葉にくすりと笑った。
「そうでござるな、やはり胸は良い、夢が一杯詰まっているでござるよ」
「分かってくれるかい!!?」
「近い近い近い」
目を輝かせながら思いっきり詰め寄ってきた信天翁を押し戻して、忍者は頷くと弁当の包みを掲げた。
「我輩は宗愛というのでござる。ご一緒して良いでござるかな」
「勿論、勿論だよ!」
こうして信天翁と忍者こと宗愛・マジカ・ベントス(むねちか・まじか・べんとす)は共にお弁当を広げ、思う存分語り合う事になった。
「お尻もいいよね。安産型に頬ずりしたい!」
「なるほど、我輩はやはり巨乳に惹かれるでござるが、そういったフェティシズムもなかなか……そういえば、我輩お気に入りのサイトでこの間……」
二人は大いに盛り上がっていたが、近くを通った生徒達(特に女子)は「うわぁ……」という顔をして離れていった。
暫くして一回りしてきた拓郎が耳にした会話の内容も、相変わらずだった。
(そっとしておこう……)
小さく息をつくと、またゴミ回収に戻っていく。
寛いだ様子の生徒達を尻目に、釣り道具を手に川に向かって歩き出した生徒もいる。
登山情報誌を開きながら差し掛かった桜の木の横で、彼は突然足首を掴まれた。
「うぼぁー」
「!?」
驚いて足許を見ると、落ち葉で覆われたダンボールと地面の隙間から、人間の手が出ている。
通り掛った新入生を驚かせようと思った、悪戯好きの五百部 遥(いおべ よう)の仕業だった。
遥はこの桜の下に自分が潜むのに丁度良い窪みがあるのを見付けて、穴を掘るより手っ取り早いとばかりにダンボールと落ち葉で身を隠し、今か今かと獲物がやって来るのを待っていたのだ。
しかし、地面から出てきた手に足を掴まれたというのに相手の反応はいやに静かだ。
気になって、遥がダンボールの端から覗いてみると。
「……」
「……」
そこには熊がいた。
否、自分が掴んでいた足が、その熊のものだったのだが。
熊は徐に威嚇のポーズをとった!
「クマアアアァァ!?」
慌てて飛び出した遥は、ダンボールを引っ掴んで逃げ出した。
残された熊……の着ぐるみは、その姿を見送ってから投げ出した釣り道具と情報誌を拾い、また小川方面へ歩き出す。
因みに着ぐるみ熊さんの釣果は、餌が魚と合わなかったのか、そもそも釣れる魚がいなかったのか、芳しくなかった。
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