●朝の風景●
日曜日の朝9時頃。
爽やかな空気に包まれたシーサイドタウンの北寄りの通りは静かなもので、休日という事もあってか車通りもあまりなく、散歩や犬を連れて歩く人がいるくらいだ。
時折、寝子島高校に向かって歩いていく少年少女達の姿がちらほらと見掛けられる。
今日はオリエンテーションの一環として開催される、新入生達のトレッキングの日。
眠たげに目を擦っていたり、期待に胸を膨らませていたり、重そうなリュックを背負って顔を赤くしながら歩いていたりと、道行く生徒達の姿は様々だ。
校門前に並ぶ桜の木に迎えられて、彼らは広い校庭の一角に集まっていく。
「御機嫌よう諸君……げぇっ、高野!」
やって来た新入生の顔を見ながら、レイズ・トレイシアはそばかす顔を緩ませて明るく挨拶していたのだが、バインダー片手に参加者の確認をしている高野 有紀(たかの ゆうき)先生の姿を見掛けるなり思わず口にしてしまっていた。
「げぇっとはなんだ、げぇっとは」
高野先生は大きな声で笑いながら、小柄なレイズの肩を叩く。
「今日はトレイシアも後輩達のサポートだったな。うんうん、サボってばかりだと思ってたが、先生は嬉しいぞ」
「あ、うん……あそこら辺はサボ……休日によく遊びに行くから新鮮味はないけど、サポートは任せてくれよ」
「頼もしいな! よし、今日は頼んだぞ」
と言いながら、高野先生が彼女をずるずると引っ張って行くのを、新入生達は呆気に取られて見送るのだった。
少しずつ日が昇っていくにつれて、空気が暖まってくる。
集合時間も迫り、そろそろトレッキングに参加する生徒全員が集まろうという頃になった。
(なんだか視線を感じますけど……そんなに袴が珍しいのかしら?)
風呂敷包みを手にわくわくしていた2年生の篠月 藍香(しのづき らんか)は、袴に運動靴という自分の姿をちらちら見られている気がして不思議そうに目を瞬かせた。
動き易い服装でという指示を受けて、生徒達の大半は学校指定のジャージに運動靴だ。
けれど、中には藍香のような服装はまだフツウに見える、変わった格好の生徒も紛れている。
メイドのような服装だったり、これで山登りに行くのかと首を傾げるようなファッション性重視だったり、果ては忍者や山伏のような格好をしている者もいる。
極めつけは、円筒形の物体を着込んでいる生徒だ。
側面には、香ばしそうな焦げ目の模様が付いている。
(なんだアレは……ちくわか?)
眼鏡のツルを摘みながら、今日ばかりは高野先生と同じようなスポーツブランドもののジャージに身を包んだ桐島 義弘(きりしま よしひろ)先生が、謎の物体を凝視して眉間に皺を寄せていた、が。
「俺が初めてあの桜を見たのも――4年前か」
いきなり背後の男子生徒が渋い声色で呟き始め、ぎょっとして振り返る。
そこには、黒のレザージーンズを穿きやたらめったら先の尖った、いかにも平坦でない道は歩き難そうな革靴を履いたX 我威亜(くろす がいあ)が立っていた。
「だが懐かしさに浸っている暇はない。新入生に高校生の振る舞いってものを教えてやる! 今日の俺は情熱伊達ワルティーチャーだ」
明後日の方角を見遣りながら、ビシッと言い放つ我威亜。
(意味が分からん……)
桐島先生はそんな服装で大丈夫かと大いに突っ込みたかったが、とりあえず黙っておいた。
「みんなどこだろー?」
ちょっと重い登山用リュックを担ぎ、緑野 毬藻仔(みどりの まりもこ)はきょろきょろと生徒達の間をスパッツを穿いた足で歩いて来る。
「あ、緑野さん。もいー♪」
頭にサングラスを乗せ、派手なシャツの上に黄緑のパーカー、ハーフパンツ姿の汐崎 キミ(しおさき きみ)が部のマネージャーの姿を見付けて手を挙げ、存在を示した。
彼らはサッカー部で、トレーニングも兼ねてこの行事に参加する事にしたメンバーなのだ。
「おはよー」
毬藻仔はほっとして歩み寄っていったが、それを迎えた少年達のひとりを見て浮かんでいた笑みが少し曇る。
「トレッキングがトレーニングって、体育会系らしいよな……っておい、大丈夫か?」
彼女の様子に気付いて隣に顔を向けた工藤 耀(くどう あかる)が見たのは、リュックのストラップを握り締めてプルプル震えている飛田 俊也(ひだ しゅんや)の姿だった。
「うぐぐ……」
顔を赤くして歯を食い縛る俊也が背に負っているリュックはやたら大きく、パンパンに膨れ上がっている。
「どうした、具合が悪いのか?」
そこへ桐島先生がやって来た。
「とりあえず、荷物を降ろすんだ」
仲間達に手伝って貰ってリュックを地面に降ろした俊也は、やっととんでもない重さから解放されて脱力し、膝に手をついて息を吐いた。
何が入っているんだと中身を確認したところ、おにぎりとサッカーボール以外に2リットルのスポーツドリンクが何本も出てきた。
「おほっ、沢山!」
「こんなにどうするつもりだったんだよ」
驚くキミと呆気に取られたような耀の視線が痛い。
「みんなの分も……と思って」
「あらら、私もみんなのスポーツドリンク、持って来たんだよぉ」
力なく呟いた俊也に毬藻仔は苦笑した。
俊也は体育科のメンバーの中、自分だけ普通科である事を気にしていた。早くみんなに溶け込みたい、少しでも追いつく為にこういう機会には頑張らないと、という気合が裏目に出てしまったようだ。
「どうしよう、これ……」
少しくらいの重さなら、確かにトレーニングにはなるだろう。でもこれを全部背負って行ったら途中でリタイアするのは目に見えている。
途方に暮れていると、思わぬところから助け舟が出された。
「ふむ……持って行けない分は、学校に置いていくと良い」
申し出たのは、状況を見守っていた桐島先生だ。
「いいんですか?」
恐る恐る俊也が訪ねると、桐島先生は眼鏡を光らせて頷いた。
「下山してから、職員室に取りに来なさい」
厳しくて怖い印象が強い桐島先生だけれど、ひょっとして良い先生なのかな……? と彼らがちょっと思い始めていると。
「生徒がきちんと行事に参加し、安全に帰って来られるようにするのも、教師の務めだからな」
桐島先生は仏頂面のままそう言って、数本のペットボトルを両手に提げて行ってしまった。
集合時間が過ぎ、生徒達の前では高野先生が校庭に響き渡るような声で、ざっくばらんにアバウトな説明を展開している。
「ちょ、ちょっと……緊張してきちゃいました。だ、大丈夫かな……」
太い黒縁眼鏡の奥の目を伏せて、笛吹 音花(うすい おとか)は首を竦めた。
身体を動かすのは得意じゃなくて、皆から置いて行かれないかとても心配なのだ。
「大丈夫ですよ。先生も、サポートしてくれる先輩達もいますから!」
音花を励ましているのは、メイド服のようなエプロンドレスに履き心地の良いブーツを身に着けた木斗 菫(もくと すみれ)だ。
「山の景色を楽しみながら、一緒に歩きましょう。桜も沢山咲いているそうですし……ワクワクしませんか?」
優しげな笑みを浮かべる菫に、音花は弱々しいながらも頷いた。
「新作のパンも持って来たんですよ!」
「は、はい……楽しみですっ」
そんな会話を横に、神薙 焔(かみなぎ ほむら)は先生の話を聞いていた。
初めて作ったお弁当は、作りすぎた分も重箱に詰めてきてしまったせいか、ちょっと重い。
「……で、野々さんはどうしたの?」
同じ列にいた七夜 あおい(ななや あおい)は、クラスメイトに寮で同室の野々 ののこ(のの ののこ)の事を聞かれて困ったような笑みを浮かべた。
「ののこちゃんったら、何回起こしても起きないのよ。遅刻しちゃうから結局先に来ちゃったけど……」
まさかの寝坊である。
「それに、お布団直してあげてもすぐに蹴飛ばしちゃうし、いびきも結構凄いし……そういえば、寝言でポン太って言ってたのはなんだったんだろ?」
首を傾げるあおい。ののこと同室というのもなかなか大変そうだ。
「しゃあないなー……っと、もう出発みたいやね」
西野町 かなえ(にしのまち かなえ)もやれやれと肩を竦めたけれど、高野先生の号令を先頭に、生徒達は校門に近い集団からぞろぞろと動き始めてしまった。
先生達も出発時間を少し待ってくれていたけれど、間に合わなかった生徒は仕方がない。
少しの間に気温も上がってぽかぽかと暖かな陽気の中、トレッキングが始まった。
「よーし、いくでー♪」
かなえの元気な声に合わせて、あおい達のグループも校門を潜って裏山を目指し、歩き始めた。
そんな生徒達の集団に誘われるように、眠そうな顔をした篠木 昴(しのき すばる) ものそりと付いて行く。
なるべく女子のグループは避けるようにして、男子の多い辺りを目指して。
傾斜のある坂道を登る湯浅 月子(ゆあさ つきこ)のリュックに付けられた鈴が、チリンチリンと可愛らしい音を立てている。
「寝子島に来てから日も浅いから、トレッキングで色んな場所を見て回れるのが嬉しいな☆」
「私もだよ。みんなと一緒に色んな景色を見るのが楽しみだね」
並んで歩くあおいも笑顔で頷いた。
(あおいちゃん達はゆっくり歩くみたいだから、大丈夫だよね?)
背後の楽しげな会話を聞きながら、川原 にれ(かわはら にれ)は自分を奮い立たせた。
方向音痴で逸れてしまわないか心配だったけれど、生徒達の集団は何人かの列を作って長く続いている。この人の流れを見失わないよう付いて行ければ、きっと大丈夫だろう。
まだ殆どが学校脇の道を登っているところで、大概の生徒は元気いっぱい。
でも、中には元気のない生徒もいる。
「大丈夫ですか?」
最後尾につけた桐嶋先生と一緒に歩いていた藍香は、あまり顔色の良くない常盤 四月(ときわ しがつ)に声を掛けた。
「うー……分かってたけど、徹夜明けの登山はキツいなぁ……」
実は彼女、しばしば徹夜で作業しなければならないような活動をしているようだ。友人達には内緒だけれど。
「睡眠不足で登山は良くありませんね……こまめに休憩を取るようにしましょうか。もし気分が悪くなったら、すぐに言って下さい」
眉を下げた藍香がそれで良いかと視線を向けると、桐島先生はうむと頷いた。
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