●満開の桜の下で ~攻防! グルメなサル~●
群生地は、到着した場所から見ても結構な広さがあるようだった。
桜を眺めながらお弁当を食べるのに丁度良さそうな場所も多くて、生徒達はあちこちへ散っていく。
一緒に山を登って来た生徒同士や、その場で誘い合ったり、なんとなく向かった先が一緒だったりという流れで、輪を作って腰を落ち着ける姿が見られるようになってきた。
中には馴染めなかったりひとりが好きなのか、ぽつんとしている生徒もいるけれど……。
ともあれ太陽もそろそろ中天に近く、山を登ってお腹の空いた生徒も少なくはない。
昼食にするには良い頃合だ。
さてお楽しみのお弁当をと生徒達が荷物を解く様子を、木々の陰から密かに窺う者達がいた。
「え、食べ物を盗んでいくサルがいるの?」
星ヶ丘寮の建物には折角広いキッチンもある事だし……と、メイドさんにレクチャーを受けて作ってみたお弁当を出しながら、焔は同席した生徒達に聞き返した。
「サルなんか来ても蹴飛ばしちゃえばいいんだよ」
そう言ってから、的場 カンタ(まとば かんた)は、内心ではろっこん使った方が好感度的には良いかな? なんて悩み始めた。
「蹴飛ばすなんて、ちょっと可哀想じゃないかしら……」
アリス・クインハートは人懐っこそうな顔を曇らせる。
「おサルさんとも仲良くしようよー」
同調したように彩守も声を上げた。
「まーまー、どっちにしろもしもの時は任せなさい」
カンタは手をひらひら振って笑った。
やっぱり自分が直接手を下すのは女子受けが悪いか……とか、野生のサルはそんなに甘くないぞとは思いつつも、彼の興味はサルよりも断然みんなとのお弁当タイムにある。
何せ自分の昼食はコンビニで買ったおにぎりだし、折角だから可愛い女の子と仲良くなりたいし。
「まあ、いっぱいあるし、ちょっとくらい盗られても……みんなもどうぞどうぞ」
差し出された焔のお弁当は、初めて作ったにしては上出来なものだった。一部を除いて。
「わあ、美味しそうだねぇ」
充実した中身に、夢宮 瑠奈(ゆめみや るな)も眦を下げ、笑みを浮かべる。
お重の中にはグリンピースをあしらったポテトサラダ、きんぴらごぼうにふわふわ玉子焼き。唐揚げ、タコさんウィンナーが詰められている。
炊きたてご飯で握ったおにぎりは、定番の具以外にもたらこバターや焼きチーズ、いくら海鮮にてんむすにしたものもあった。
手軽に作れるサンドイッチはレタスと生ハム、ツナサラダ、玉子とキュウリ、手作りの鳥ハム、ミニハンバーグがそれぞれ挟んである。
密かに苦手にしている朝から早く起きて、頑張って作った甲斐があった出来栄えだ。
「おー、すげーいっぱいじゃん! 持って来るの大変じゃなかったか?」
様々なものが詰まった重箱を覗き込んで、白鷺 行忠(しらさぎ ゆきただ)は歓声を上げた。
「ええ、ちょっとキツかったわね。でも折角作ったんだし、みんなで食べられれば良いかと思って」
「私も、腕によりを掛けてお弁当をお作りしてきましたので……皆さんどうぞ♪」
アリスが蓋を開けたお重には、これまた焔とは趣の違った惣菜が品良く並んでいる。
西京焼きにした鮭、ふんわりとした出汁巻き玉子、栗の甘露煮、和風の出汁醤油を効かせた鳥唐揚げ。おにぎりは松茸ご飯を握ったものだという。
「ん~~~、なんか料亭みたいな感じだなぁ……」
冷めていてもほんのりと香る匂いを吸い込みながら、行忠はうっとり呟いた。
そんな行忠のお弁当は、大きな具がゴロゴロ入ったタッパ入りのカレーとご飯だった。料理はてんでダメという自覚のある彼が、図書室で勧めて貰った本を片手に見よう見真似で作ってきたものだった。
こうしてトレッキングに参加したのも「学校の行事って事は、当然弁当にありつけるんだよな!?」というノリだった為、こんな豪華なお弁当を目の前に出されるなんてまさにパラダイス。
「あやも、頑張ってお弁当作ってきたんだっ」
彩守も無邪気な笑顔を浮かべ、お弁当の競演に参戦する。
沢山の小さなおにぎりと、タコさんウィンナー。ちょっと失敗して不恰好になってしまった、砂糖で甘くした玉子焼き。プチトマトに、昔ママに作って貰ったのを思い出して作ったのだという肉巻きアスパラガス。
「彩守ちゃんのお弁当も可愛いねぇ」
微笑ましげに眺める瑠奈に、彩守も嬉しそうに頷いた。
「うん、タコさんウィンナーは焔ちゃんと楚良ちゃんとお揃いだねっ」
「ん、俺?」
急に話を振られて少し驚いたように、楚良は目を瞬かせた。
彼のお弁当もオーソドックスなおかずが詰められていたが、唐揚げには工夫があって、大辛の柿の種を砕いてマヨネーズで和えたものを衣にしているのだ。
「あやは食べられないかな?」
「結構辛口だからな。代わりに、ゴボウサラダとか……焼きそばサンドはどうだ?」
「焼きそばが挟んであるの? 面白ーい」
焼きそばパンがあるならサンドイッチにしても、という発想で作った焼きそばサンドと、肉巻きアスパラを交換して貰う。
「綾瀬ちゃんは?」
「私のは……至って普通ですので」
豪華な重箱を見てしまうと少し気が引けたのか、焔に話題を差し向けられたエルミルは、自分の膝にちょこんと乗った楕円形の弁当箱に手を添えた。
バリバリのミリタリー装備の割には、持って来たお弁当は手作りっぽい普通の女の子らしいものだ。
「まあ、女の子らしくて可愛いじゃありませんか。それに、美味しそうですね♪ 宜しければ、私のおかずと交換しませんか……♪」
うきうきと微笑んで、お箸を持った手を重ねたアリスは交換を申し出る。
「それじゃ遠慮なくっ。オススメは唐揚げ!と玉子焼き(ダシ)です!!」
元々お弁当のおかず交換はやってみたいと思っていたエルミルだ。早速、自慢のおかずと皆それぞれのお勧めを交換し合った。
和やかな雰囲気の中、周囲を見渡せば何処までも桜の風景。
敷き詰められた薄紅色の絨毯に、陽光が降り注ぐ開けた空間はまるで天然のステージのようだ。
思わず瑠奈は躍り出て歌いたい気分になってきた……のだけれど。
「……えっ、うわっ!?」
「ちょ、それ俺の!」
少し離れて同じように昼食を摂り始めていた生徒達の輪が、俄かに騒がしくなった。
何事かと、一同怪訝そうに顔を上げる。
「サルだ、サルが出たぞっ!」
注意を促す男子生徒の声が聞こえたかと思うと、幾つかの小さな陰が四足で地面をうろちょろする姿が目に入った。
すぐにスッと腰を上げたのは、楚良だった。
その手には小振りなリンゴが握られている。
美味しそうなものがあるのを察したのか、こちらに向かってきた1匹のサルの横を掠めるように、そのリンゴを投げる。
「キッ」
気を取られたサルは、自分の後方に落ちたのがリンゴだと気付くとUターンして拾いに行った。
みんながほっとしかけた時、今度は桜の枝を飛び移ってきた別のサルが飛び降りてきた。
「おサルさん、あやね、お菓子いーっぱい持って来たの! おサルさんにもあげるね」
彩守はチョコレートやクッキーを手にすると、突き進んでくるサルの前に進み出てしゃがんだ。
「危ないっ」
「キキッ」
サルの様子にはっとした焔が彩守の肩を引く。
すんでのところでサルの爪は彩守の手スレスレを掠め、持っていたお菓子を引っ掛けて跳ね上げた。
「あっ……」
サルが威嚇の表情を作りながら散らばったお菓子を回収していくのを、焔に受け止められ尻餅を免れた彩守は悲しそうな目で眺めた。
野生のサルは人に慣れない。
純粋な少女に突きつけられるには、酷な現実だった。
(あっちいけ、あっち!)
カンタが隙を突こうと脇から攻めてきたサルの足許に、小石を飛ばして牽制する。
「大丈夫? 怪我してない?」
瑠奈が彩守達の許へ駆け寄っていくのを見ながら、アリスはリュックからサル用に用意していた小さなお弁当箱を取り出した。
「ほらほらおサルさん♪ おサルさんにも、お弁当はありますから……こちらで召し上がって下さい♪」
蓋を開けると、すすすっと小走りに一同から遠ざかっていく。
匂いを敏感に感じ取ったのか、近くにいたサルや楚良が投げたリンゴを齧っていたサルが引き寄せられていく。
律儀にゲットした食べ物を抱えたまま。
(何匹くらいいるんでしょう……)
出来るだけみんなから遠ざけられるようにとサルの行進を引き連れながら、アリスはあちこちでサルと生徒達の攻防の声を聞いた。
餌付けになってしまわないように、という意見もあったけれど、こうして出来るだけ平和的に解決させたいというのが彼女の気持ちだった。
お腹がいっぱいになれば、当面は無闇に食べ物を盗ろうとはしなくなるかも知れないし。
「あら……?」
途中、何故か潰れた豆腐のようなものを頭に塗して横たわっているサルを見付けた。
どうやら気絶しているだけのようだから、大事はなさそうだけれど。
一方、サル達の狼藉は気弱な少女に対しても繰り広げられていた。
「あうううう……!」
複数のサルに集られて、蚕は懸命に守っていたお重をひっくり返してしまった。
今だとばかりに、サルは転げ出した俵のおむすびを前足で掻き集める。
五目御飯、豆ご飯、赤飯……彩りよく並んでいた筈の俵型も台無しだ。
「喝っ!!」
あわや二段目も、と蚕が絶望的な思いでいた時、突然腹の底から吐き出されたような力強い声を浴びせられた。
驚いたサル達はキィキィ鳴きながら逃げていく。
「ふぅ……えげつないサル共どすなぁ。お怪我はあらしまへんか?」
サル達を一喝したのは、あの修験者ルックの楠葉だった。
残った二段のお重を抱えて蹲っている蚕にそっと手を差し伸べると、彼女は顔をくしゃくしゃにして楠葉を見上げた。
「と、とられちゃいました……ふぐぐ」
「あらあら、可愛いお顔が台無しどすえ」
「熊さんだったら、こうしてがおーーーって対抗するのに……」
解いた風呂敷をひらひらさせて呟く蚕に少し笑いながら、楠葉は重箱の中身を確認した。
どうやら、他の人と仲良くなる切欠にしようと蓋を開けた重箱を持って歩いている時に、サルの被害にあったようだ。
「一番上のご飯ものは残念どしたけど、他は無事なようどす。よろしければ、ご一緒しまへん?」
そう言って楠葉が風呂敷包みの中から出した重箱の一段目には、ぎっしりと稲荷寿司が詰まっていた。
「わ、お稲荷さんがいっぱい……」
「うち、これに目がないんどす。さ、お花を楽しみながらのんびり出来るところ、探しましょか」
上品な笑みに誘われ、蚕は楠葉と一緒に歩き出した。
アリスが遠く離れた場所にお弁当とサル達を置いて戻って来ると、一同も嵐が去って一段落、といった様子だった。
「木ぃ登って捕まえようとしたんだけど、枝にどんどん飛び移っちまってな……」
面目ない、と行忠は頭を掻くけれど、お弁当もみんなも無事で何よりだ。
「よし、おかず貰おうっと。ねーねーそのおかず交換しよー? はい、俺のポテチあげるから。えーいいじゃん、ポテチ嫌い?」
カンタがおどけたようにそれぞれのおかずを取ると、誰かがふっと笑う気配がして、なんとなく消沈していた空気も元に戻り始めた。
「ウッキキィもーらいっ! お、うめーなこれ。こっちはどうかな? ……ッ!?」
「あ、それは……」
失敗作だと焔が言う前に、カンタは彼女が何故か一緒に持ってきてしまっていた、ハバネロ入れすぎの激辛おかずを口に放り込んでいた。
「……!!!!?!??!?」
言葉にならない、この思い。
「なんだよ、それいらねーの?んじゃ俺にくれよー」
口を押さえてバタバタしているカンタを見たにもかかわらず、行忠も『失敗作』に手を伸ばす。
「だ、大丈夫……?」
カンタにお茶を渡しながら、焔はその様子を凝視してしまった。
「ん、ちょっと舌がピリピリして苦いけど、食える食える。うめーよ」
汗をだくだく流しながらもそう言ってのける行忠は、間違いなく漢と書いて『おとこ』だった。
方向性がどうかとかは別として。
「芋ケンピならまだまだありますよ。あ、アップルティーがあるんですね。これも一緒に飲みましょ。ね」
サルショックがまだ癒えずしょんぼりとした様子の彩守を励ましながら、エルミルはまだ封を切っていない芋ケンピをリュックから取り出す。
サバゲー部の宣伝よりも芋ケンピの布教率の方が高くなっている気がするけれど、まあそこはそれ。
「楽しそうどすなぁ」
そこへやって来たのは、お弁当を三分の一程サルに奪われてしまった蚕を連れた楠葉だった。
「うちらもご一緒さしてもろて、よろしおすか?」
彼女の修験者ルックも、あちこちで見ていると次第に慣れてくる。
二つ返事で迎え入れられた二人は、お弁当を食べ終えた後和菓子を振舞った。
特に蚕が用意していたお花見らしい桜餅と、物珍しい麩饅頭は注目を集めた。
彼女が一緒に持って来た渋めのお茶と、桜の風味が香る楠葉の桜茶が、その甘さを引き立てる。
サル騒動が静まった頃、二人の少女がその付近にやって来ていた。
「うわ、良い景色ですね! 桜がとてもキレイですよ、笛吹さん」
「は、はい……この辺は、特に……綺麗ですね」
エプロンドレスの菫の後を付いてきた音花は、嬉しそうに時折花弁を零す桜の花々を見回した。
「じゃあ、ここでお昼にしましょうか!」
そうと決まれば早いと、菫は一本の桜の木の下に陣取ってお弁当を広げていく。
「あ、あの……買ってきたお惣菜、ですが」
その脇に控えめに、自分が美味しそうだと思ったパックのお惣菜を並べていく音花。
料理は殆どした事がなかったから、自信がないものを持って来るよりは……と思ったのだ。
「美味しそうですね! あ、新作のメロンパンも持って来たんです。よかったらご一緒にどうですか?」
今回の新作はかなりの自信作だと、菫の顔を見れば音花にも分かった。
「あ、はい。頂きますっ……」
美味しいパンを分け合って。一緒に食べる人がいれば、冷めた出来合いのおかずでも結構美味しく感じるような気がした。
「あのバナナパン、食べて貰えたでしょうかね?」
ふと、菫は途中でサルを引き付ける為に置いてきたパンの事を思い出した。
「あのパンも、凄かったですね……本物の、バナナみたいで」
出された時はあれがパンだと言われて吃驚した、と音花も微笑む。
そういえば、先程あちこちで聞こえた騒ぎも今は落ち着いている。サルがお腹を満たしたか、撃退されてこの辺りからいなくなったのだろうか。
どうあれ、あれから騒ぎらしい騒ぎもなく、桜の下のんびりとした時が過ぎていく。
お惣菜と菫の美味しいパンでお腹を満たした音花は、咲き誇る桜の花を焼き付けた目をそっと閉じる。
流れ出したのは、日本人なら誰でも知っている、桜の歌の曲だった。
「なんだか落ち着きますね!」
側で耳を傾ける菫も、瞼を閉じてみる。
微かな風に揺れる桜の枝と花が、さらさらと歌っているようで。
「こ、これなら皆さん知っているでしょうし……と、いうか……。私がまだ……他に雰囲気に合う曲を知りません……」
「でも笛吹さんの曲、とても素晴らしいです!」
少し恥ずかしそうに俯いた音花の膝に、ふわりと花弁が舞い降りた。
指で摘んだ花弁を見て、菫と笑い合う。
あまり離れた場所にいる人には聞こえないけれど、音花の力が奏でる曲は、近くで桜を楽しんでいる生徒達には届いたようだ。
ただ、誰かが持ち込んだ音楽プレイヤーから流れているのだろうと、大体の生徒は思うのだろう。
それでも、心地よさげに耳を傾けている人がいるのは、音花にとって嬉しい事だ。
そのうち、近くのグループからひとりの少女が立ち上がり、桜の絨毯の中に歩いていく。
ひとつに結んだ茶の髪を揺らして、泣きぼくろのある可愛らしい少女は音花が流している曲の歌詞を歌い始めた。
少し驚いて音花が見詰めていると、その少女、瑠奈は彼女に向かって片目を瞑ってみせた。
その時、瑠奈の足許に積もっていた花弁が、弱い旋風でも起きたかのようにふわりと軽く舞う。
「きれーい!」
桜餅で機嫌を直した彩守も、踊るような桜の花弁を見て元気に跳ねながら歌に加わった。
優しい旋律と二人の少女が織り成すハーモニーが、暫らくの間桜の森の一角に満ちていた。
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