●山を歩こう●
春らしい淡い色合いの空に、太陽が輝いている。
日差しは思ったよりも強いけれど、清々しい空気がそれを和らげてくれているように感じた。
木々の合間を抜け、ちょっと急な斜面に挟まれ。
起伏に富んだ山道を行く生徒達は、元々グループを作って歩いている面々以外でも、次第に歩くペースが同じくらいの者達が数人から十数人固まって歩くようになっていた。
「えっと……街よりも、空気が美味しい気がするね」
散策気分で歩みを進める鮫ノ口 礼二郎(さめのくち れいじろう)の斜め後ろから、少し遠慮がちな声が掛かった。
振り返ってみると、同じ10組の藤堂 月乃(とうどう つきの)がはにかんだ笑みを浮かべる。
彼女はクラスでは大人しい方で、まだ顔を知っているくらいの間柄。人見知りの気がある月乃だったけれど、折角同じクラスになったんだから……と、このトレッキングを期に思い切って話し掛けたのだ。
「植物が沢山生えてるし、空気を綺麗にしてくれてるのかもな」
礼二郎はそう言って、斜面に芽吹いた青々とした植物達に目を遣る。
「今の季節は花とか結構あるし、緑も多いし、山を散策するには良い季節だな」
緑萌える季節はもう少し先。山肌を晒す場所も、去年からの落ち葉が残っているところもまだあるけれど、他の季節はどんな顔を見せてくれるのかと思いを馳せるのもまた楽しい。
「鮫ノ口君って、山に詳しいの?」
感心げに話を聞いていた月乃が尋ねると、礼二郎は「いや」と短く紡ぐ。
「実家の近くには山はなかったから、トレッキングは新鮮な気分だ。身体を動かしたかったから丁度良かった」
ふと話に意識を取られていた事に気付いて、彼は月乃や自分の後ろに続いていた生徒達を振り返った。
気が付けば、礼二郎を先頭に歩いていた集団は意外と女子の割合が多い。
「……結構速いペースで歩いてるが、大丈夫か?」
「平気よ、持久力には自信があるの」
体育科だけあってか、月乃はまだ平然とした様子で付いて来ている。
「お散歩みたーい。楽しいねっ」
真っ赤なツインテールと、それを結んだ黄色いリボンを揺らしながら、神鍋 彩守(かんなべ あやもり)がぴょんと跳ねた。
「そうか……」
女子は体力がなさそうというイメージを、少し改めなければならないだろうか。
それに、他の生徒にどう話し掛けたものかと思っていた礼二郎にとっては、月乃がキッカケを作ってくれたのは有り難かった。
「万一の事があっても、僕が付いてるから安心さ」
愛用のステッキ片手に、3年生の馬頭 カナト(めず カナト)がウェーブした金髪を大袈裟に揺らした。
「トレッキングは、僕が新入生の時にも大変な思いをしたからね……僭越ながら、手伝わせて貰ってるよ。最低限の医薬品は用意しているし、あっ虫除けスプレー使うかい? 特に女の子……げふんげふん」
キラッと光る視線を女子に向けたかと思えば、すぐに遠くの景色に戻すカナトを、新入生達は呆気に取られて眺めている。
この先輩、外国人モデルもかくやというイケメンなんだけど……何かが残念な気がしてならないのは気のせいだろうか。そんな空気が漂っていた。
「……まあ、何かあったらお願いします」
礼二郎は平坦に答えた。
「よろしくお願いしますね、先輩」
対照的に笑みを浮かべたのは、綾瀬 エルミル(あやせ えるみる)だ。
その表情と金色のふわふわしたポニーテールと相俟って、それだけなら人に柔らかな印象を与える彼女だが、今日はサングラスを掛けている。しかも防弾仕様だ。
着ているものこそ寝子島高校のジャージだが、首にはスカーフを巻き、手にはタクティカルグローブとミリタリーウォッチ、靴はジャングルブーツ。
更には面ファスナーが沢山付いた軍用と思しきバックパックを背負っている。
「す、凄い格好だね……」
「私、サバゲー部だから……山に入るならサバイバルゲームの装備が使えるかも、って思いまして。あ、このリュック、本来ならハイドレーションキャリアーが付いてるんですけど、今日は流石に装備してません」
「そう……」
さしものカナトも、若干返事が大人しい。
とはいえ、それよりもエルミルが先程からポリポリと口にしているものが気になった。
「あ、これ? 美味しいですよ」
自分の手許に視線が集中しているのに気付き、エルミルは持っていた好物、芋ケンピの袋を差し向けた。
「挨拶代わりにみんなもどう?」
彼女が嬉しそうに芋ケンピを食べているのを見ていた面々は、なんとなく食べたいような気分の人も少なくなく、そうでもない生徒も折角だから貰おうか、という空気になっている。
「じゃあ、頂こうかな」
「わーいお菓子! 美味しそうっ」
年長のカナトが手を伸ばすと、彩守も嬉しそうに続いた。
一方、こちらはトレッキングの一番先を行くグループ。
「この調子だと、あと15分くらいで着くか……大体予定通りだな」
先頭を歩く高野先生が、時計を確認しながら先輩達と言葉を交し合っている。
今回のトレッキングは麓から目的地の桜の群生地まで1時間、運動が苦手で休憩をこまめに取りながらでもその倍は掛からない程度で到着するコースを歩いていた。
急な悪天候や余程のトラブルに見舞われなければ、例年も大体そのくらいの時間で全員が到着出来ているようだ。
尤も山を歩く事に慣れていて、体力に自信のある生徒であれば、もっと早く着けるのだろうが……。
(一番前に先生がいるから、自分のペースで歩けないんだよね)
先頭グループの新入生の中で一番前にいる詠坂 紫蓮(よみさか しれん)は、高野先生の背中を眺めながら心の中で呟いた。
彼女は昔から山登りが好きで、新しい場所を次々に見られるのが好きで、ひとりでどんどん先に進んで行ってしまうタイプだった。
けれど、今回ばかりは前を歩く先生や先輩達を追い越して行く訳にもいかない。
「ふっふふ~ん♪ こういうお散歩もええもんどすなぁ」
カラコロ鳴る音と一緒にのんびり呟いたのは、同じグループにいた一口 楠葉(いもあらい くずは)だ。
何故か修験者のような白い装束を着て、一本歯の高下駄を履いている。彼女も山登りに全力を出し切ってはいないようだけれど、その突飛な服装のせいか、話し掛けるのはちょっと躊躇われた。
「もっと早く先に行きたいか?」
背後でじりじりしていた紫蓮の様子を察してか、高野先生が話し掛けてきた。
どう答えるべきか迷っていると、肩越しに小さく笑う気配がする。
「私も昔はそうだったなぁ。自分の力だけでどんどん先へ進んで、がむしゃらに進んで……気が付いたら、周りをみーんな置いてけぼりにして、誰もいないところで独りでさ」
しみじみ話しているところで、山肌に沿って道がゆっくりカーブしていく。
歩調を変えずに振り返った高野先生は、微笑みを浮かべていた。
「だがなぁ、詠坂。見てみろよ」
促されて先生の視線を追うと、自分達が歩いてきた山道が延々と続いている。
そこには数人程度の集団が点在し、多くが遠目でも目立つ赤いジャージ姿だ。
ぽつぽつと青や緑、その他の色も混じっている。
紫蓮のようにまだまだ余裕のある生徒もいれば、必死に付いて行こうと黙々と歩く生徒もいる。
また、あえてペースを落として周囲の景色を楽しんだり、カメラで道沿いの花を撮影したり、遅れがちな生徒に話し掛け手を差し伸べている生徒の姿もあった。
「目の前の景色ばっかりじゃなくて、時には自分が歩いてきた道を眺めるのも、良いモンだぞ」
恐らく今まで紫蓮が見た事のなかった光景を前に、高野先生は言葉を続け、
「それに……肩を並べて見る奴がいる景色は何倍も綺麗に見えるし、みんなで食う弁当は100倍美味いんだ!」
ニカッと笑った。
そうだ、自分はいつも思っていた。
登っている時は良くても、いざ頂上に着いてみるといつもひとり。別に景色を見るのが好きという訳でもないし、ひとりで先にお弁当を食べるのもつまらないし、と。
同じ悩みを持つ人と話せれば良いと思っていた紫蓮だったけれど、意外な人から話を聞く事が出来た。
先行く紫蓮が見通せないくらい、離れた場所を歩いている生徒達もまだまだいる。
「……やっぱり、普段運動してない子は大変そうだなぁ」
そう呟きながら、御子神 此岸(みこがみ しがん)は傍らの御子神 彼岸(みこがみ ひがん)に目を向けた。
彼女は此岸の双子の妹で、あまり体力に自信がない事もよく分かっている。
実際、淡々と続く上り坂に、妹の分の荷物を持ってもまだ若干余裕のある此岸とは違い彼岸は息を切らしていた。
「そろそろ休むかい?」
と尋ねても、妹は弱々しく首を振るばかり。
頑張って登りたい、という気力はあっても喋る余裕はないようだ。
やれやれと肩を竦めた此岸は、少し先に道幅が広くなって何人かの生徒が休んでいる場所を見付けた。
あそこに着いたら多少強引にでも休憩にしよう。そう思いつつ、此岸は妹が転ばないように足許に注意を払いながら山道を進むのだった。
「ふう、山道は膝にくるなぁ……以前はこれくらい、なんてことなかったんだけど」
緩やかにアップダウンを繰り返す地点を越えて、緋狩 螢(ひかり けい)は息をついた。上りより下りの方が、足には負担が掛かる。
中学の頃は剣道にバスケットボールにと精力的に打ち込んでいたけれど、膝を壊してからというもの、以前との違いには戸惑う事も少なくない。
螢がなんとなく沈んだ気持ちになり掛けた時、斜め前で景色を楽しみながら歩いていた赤いセミロングの少女が振り返った。
その顔には、ちょっと悪戯っぽい表情が浮かんでいる。
「ねぇ、手でも繋ごっか?」
「ばっ……手とか、繋げるか!」
入学前から馴染みの、そして意識している藤堂 伊月(とうどう いつき)にそう言われると、螢は動揺を隠せない。
顔を背けて小声で「それでなくても、どきどきしてるってのに」とブツブツ文句を言っていると、クスリと伊月は笑った。
先の方を歩いていた生徒達は、もうそろそろ桜の群生地に着く頃だろうか。
それよりは離れた、後ろの比較的人数の多い集団では、いかにもお嬢様らしく金髪の緩い巻き毛を垂らした美少女が先頭に立って導いていた。
「皆さん、目的地はもうすぐですわよ! ちなみに私の名前は財前 華蓮(ざいぜん かれん)ですわ! もう一度言います、財前 華蓮(ざいぜん かれん)ですわ!」
……何故か選挙カーのスピーカーから聞こえてくるような事を言いながら。
どうやら、2年生の彼女は来るべき生徒会選挙を見据えて既に動き始めているようだ。
「諦めちゃダメ。ほら、君なら出来る。ファイト、ファイト」
更に遅れがちな後方のグループでは、栖来 衣夢(すくる いむ)が淡々とした口調で同級生達を励ましていた。
一見小学生に見えるくらい小柄な彼女だが、今日は思いっきりミリタリールックで決めている。
無地のシャツの上にはサバイバルベストを着込み、足を包むのは迷彩柄のカーゴパンツにアーミーブーツ。緑色のベレー帽を被り、お弁当や多めに用意した飲み物の他、救急箱も入っている無骨な印象の無地のリュックサックを背負っていた。
(コレで完璧、まさにタクティカルミリタリー)
眠そうな眦の奥に光る鋭い眼光が頼もしい……かも知れない。
「桜の下で食べるお弁当は格別だから、それに向かってもうひと頑張り」
衣夢の言葉に励まされて、汗だくの生徒達は一歩また一歩と確実に歩みを進める。
三崎 楚良(みさき そら)も、上り坂を苦しそうに登っていた生徒の手を引いて一緒に歩いていた。日差しが強いと思えば被ってきた日除け帽を貸したり、休憩させて水を渡したりしている。
「優しいんだね」
「初めての行事だからな。脱落者を出さず、全員で弁当を食いたい……それだけだ」
様子を見ていたあおいが微笑むと、楚良はそういって長い睫毛を伏せた。
その少し前方では、2年生の楪 櫻(ゆずりは さくら)が先を歩く新入生達の様子を見ながら歩いていた。
自分のような無愛想な奴に務まるとは思わないが……と考えつつも、しっかりサポート役をこなしている。
「樹齢300年の桜か。噂は聞いた事があるが……単なる噂話だろう」
誰かが話していた事を小耳に挟み、櫻がひとりごちると近くで誘導を行っていた豪も話に乗ってきた。
「伝説の桜か……俺も何処にあるかは知らねえ」
「探検部の部長でも知らないのか。益々眉唾ものだな……おいそこ、そっちは違うぞ!」
話の最中でも、うっかり細い脇道に入ろうとしていた生徒達を見るやビシッと言い放つのは忘れない。
先輩としては厳しい部類だけれど、こういう役回りも必要なのだ。ひとつに纏めた黒髪ときりっとした表情の彼女にも、似合っている。
「伝説の桜かぁ。やっぱり興味ある?」
まったく、と心配げに溜息をついている櫻の後ろ姿を眺めながら、あおいは呟いた。
「全然ない訳じゃないが、俺は願い事は自分で叶える主義だからな」
静かに答える楚良を見て、あおいはカッコいいね、と笑った。
はじめての方へ
遊び方
世界設定
検索
ヘルプ