一方その頃、お社の外ではムゲン・ザ・ワールドがサンマをお供えして跪いていた。
声が聞こえないかと、あらゆる神経を研ぎ澄ます。
(俺が元の世界に戻るには、いや、ここから違う世界に行くにはどうすれば良い?)
既に彼自身、自分の中の世界に旅立っているような事を念じているようだが……。
「ふわわぁ~……ねむ~……」
そこへ本日通算50回目のあくびをしながら、猫島 寝太郎(ねこじま ねたろう)がやって来た。
手には何かの枝を持っている。
寝太郎はリュックを降ろすと、おもむろに二段の重箱の中から焼きサンマと色々な具の入った海苔巻きを、丁寧にティッシュを敷いてお供えした。
「泉先生曰く『ソウルに響く声』らしいけど、自分のソウルの声か~……」
寝癖のついた髪を撫でつけてから、目を閉じて集中してみる。
……ぐ~っ。
隣で神経を研ぎ澄ませていたムゲンの眉が、ピクリと跳ねた。
「……そういえば、朝ごはん食べてなかったんだよねぇ」
お腹の虫が鳴くのを聞いてひとりごち、寝太郎はリュックを提げたまま、まだマウル達が手を付けていない草だらけのお社の背面へと歩いていった。
次にお社の前にやって来たのは、二人の女子生徒。
「地元でも、こうやって大勢で出掛けるんはそんなにないですね。入学早々ええ機会に恵まれました」
薄野 五月(すすきの ごがつ)は微笑むと、荷物の中からお饅頭を出して供え、手を合わせる。
みんなが無事にお花見出来て、みんなが無事に帰れるように。
(神様、いつもありがとうございます。お陰さまで今日もええ天気で、きっと桜も綺麗やろうなと思います。
帰ってきましたら、またお饅頭と一緒にお土産話でもと思いますので、どうか道中を見守って下さい)
たまたま同道した恵御納 夏朝(えみな かあさ)は、五月のそんな様子を見ながら『お供え』とシールが貼ってある可愛い猫模様の小さめのお弁当箱を出した。
中にはそれぞれツナマヨ、おかか、昆布が入ったおにぎりが並んでいる。
夏朝もやはり、落神様の声が聞こえると聞いて「本当だったら……落神さまの声、聞いてみたい……!」と期待に胸を膨らませてきたのだ。
「神さま、私のお供えはおにぎりです。動物とかに取られちゃったらごめんなさい」
彼女が目を閉じて手を合わせている間に、五月はその場を立った……かと思えば。
「うぉっ、こんなとこに自販機なんてあったか?」
「なんだ、水しか売ってねぇぞ」
彼女が通った後の場所で、男子生徒が戸惑った声を上げていた。
振り返った五月も、目を丸くしてそれを見る。
美味しい水の自動販売機なんて、自分と無関係ではない気がする。
自分がもれいびだったなんて、今の今まで全く気付かなかったけれど。
「……え、私もです?」
ぽつりとこぼして佇んでいると、自動販売機は暫しの後忽然と姿を消した。
「あれ、さっきまでここに自販機なかったっけ?」
「あったような……なかったような」
「俺見てねぇよ。気のせいじゃね?」
ピクピクッ。
また男子生徒が騒いでいるのが耳に入って、ムゲンの眉が波打つ。
その間にも、わざわざお賽銭も用意して猫缶を置いていった生徒など、落神様へのお供えは着々と増えていた。
「落神神社にお供えすると神様の声が聞けるかもって聞いたから、月子お供えするものちゃあんと持って来たんだよ」
「可愛い鈴だね。落神様、気に入ってくれるかなぁ」
楽しげにあおいと話をしながら石段を登ってきた月子は、リュックに結んであった金の鈴をチリチリと鳴らしながら外し、数々の食べ物の脇へお供えした。
かと思えば、別の方向からもチリンチリンと音が聞こえてくる。
こちらはお供えではなく、熊避けにと鈴を付けて来た椿 美咲紀(つばき みさき)だった。
ぱっかんと猫缶を開けた美咲紀は、他の猫缶の隣にそれを並べると手を合わせて目を閉じる。
「桜の木に出会えますように」
彼女は桜の群生地の何処かにあるという、樹齢300年の桜を探したいと思っていた。
「私の苗字が『椿』だから、桜ちゃんとも友達になりたいの」
「そうなんだ。見付かると良いね」
八重歯をちらりと見せて笑った彼女に、居合わせたあおいも微笑んだ。
「きっと落神様が桜のところに導いてくれるわ~。今日の運勢、TVの占いでは凄く良いっていってたし!」
美咲紀は軽やかな足取りで、自分が一緒に歩いてきた集団の方へ戻っていった。
そろそろお供えをする人も打ち止めかな、という時。
「痛っ、ブリジットさん、それ座布団じゃない、ボク!」
今度はお社の中から悲鳴が上がった。
「ん?」
「踏んでる踏んでる!」
ブリジットが腰掛けた程よい弾力の物体――ちくわの着ぐるみ――が、じたばた短い手を振っている。
目線より上や下は盲点だよね、と屈んでいたすばるだったのだ。
「あら」
ブリジットが退くと、庚はすばるを助け起こした。
「ふぇー、ありがとう如月っち」
「丁度良いところに腰掛けられそうなものがあると思ったら……すばるだったの。悪かったわね」
ピクピクピクッ!
ムゲンの忍耐に限界が訪れた。
「うるさいぞ、教会では静かにしろと習わなかったのか!?」
大声で怒鳴りつけると、半開きの扉を押して出てきたブリジットが半目で見下ろしてきた。
「ここは教会じゃなくて神社よ」
「同じようなものだろう?」
「あのねー……」
奇しくも二人ともクリスチャン。
あれこれ言い合いながら教会と神社の違いを説明していたブリジットは、ふとした間にお社の裏でカサリと丈の長い雑草が擦れ合う音に気が付いた。
すかさず裏に回って、びしっと人差し指を突きつける。
「あなたが犯人ね!」
「えっ……えぇ!?」
草むらの中で屈んで寝太郎は、いきなり犯人呼ばわりされて眠たげな目をしぱしぱさせた。
その手には、中身の減った重箱がある。空腹だったのでこっそり早弁していたのだ。
「あら、違ったの……」
あからさまにガッカリした顔を浮かべるブリジット。
「そ、そんなに落ち込まないでよ。ほら、お裾分けあげるから。どれが良い?」
あと早弁してたのは内緒にしておいてね、とえくぼを作って笑いながら、寝太郎はお重の中身を見せた。
出汁巻き玉子に煮昆布、ベーコン巻きウィンナー、彩りの良いおかずが並んでいてどれも美味しそうだ。
「…………」
噛めば噛む程肉汁が出てきてジューシーな蓮根のはさみ揚げをもぐもぐしながら、ブリジットはなんとも言えない顔で戻って来た。
と。
『今日は随分と豪勢だな……』
まるで自分の内側から響くような声が、聞こえた。
「お前は……」
声の主がお社の陰に佇んでいるのを見付けた庚が呟く。
灰と白の毛並みをした痩せた猫。テオだ。
どうやら彼の声はお社付近にいるもれいびにしか聞こえていないようで、一般人らしき生徒は周囲の反応に何が起きたのかときょろきょろしていたり、「テオだ」「テオがいるよ」という言葉に、単に寝子島の名物猫が姿を現しただけだと思っているようだった。
「あなたが……この都市伝説の犯人だったって訳?」
ブリジットが尋ねると、テオはふぅと溜息をつくような仕草で視線をお社に流した。
返答はない。
「ちょっと、無視!?」
突き放すような態度を見て詰め寄ろうとする少女をひらりとかわし、痩せた猫は背を向ける。
「あ、猫の神様。これをお納め下さい」
そこへ草むらから出てきた寝太郎が、恭しくさっき持っていた枝を差し出した。
どうやらそれはマタタビの木の枝だったようで、テオは一瞬だけ、ピクッと反応した。
悲しいかな、猫の習性がそうさせてしまうのだろうけれど、それが気に入らないのかテオは余計に不機嫌そうに神社を囲む木々の向こうへ去って行った。
確かにテオも、ののこと一緒に寝子島にやってきた落神には変わりないけれど……。
これを自分達が求めた謎の答えとして良いのかと微妙な空気になっていたミス研の面々をよそに、マウルとさや子はせっせと抜いた草や絡まり放題だった蔦をゴミ袋に詰めていた。
「結構溜まったが……完全に綺麗にするにはまだまだだな」
「しょうがないよ。でもまたお掃除しに来ようね」
けれどその後、噂の声は聞こえなかった。
思えば、普段は殆ど人気のない落神神社だから、もし声が聞こえたとしたらもっと違う状況だったろうか?
騒がしくしすぎてしまったからなのかは、分からないけれど。
「月子の素敵な王子様は何処にいますかって、聞こうと思ったのに……」
しょんぼりとした月子の肩に、あおいが優しく触れる。
「お空に帰って行った落神様は、なかなかお話出来ないのかも知れないね」
そう言って微笑んだあおいに小さく頷いて、月子は彼女と一緒に再び最後尾の集団に戻っていった。
自分にとって有用な情報が聞き出せないと判断したムゲンも、何事かメモに記すとその場を離れていく。
「良かった、水出るみたい」
集団の先頭が動き出したと見て、境内を掃除していた生徒達もそこで作業を終わらせる事にした。
手水場で手を洗いながら、さや子はマウルを見遣る。
「スティッくん、ハンカチ持ってきた?」
「タオルがあるから大丈夫だ」
マウルも彼女と並んで手を洗った。
結局思った程進まなかったけれど、お社周りの草がなくなっただけでも印象は大分違う。良い事をした後のお弁当は、きっとその分も美味しいだろう。
ハンカチを出しながら、抱月も彼らの姿を見守っていた。
「結局、真相を突き止められないままタイムオーバーね。あの猫、何を知ってるんだか」
ブリジットは肩をすくめて溜息を吐いた。
「……仕方がねぇな」
静かに頷いて、庚も社を離れていく。
「ま、待ってー。まだ来られなかったミス研のみんなの分もお祈りしてな……うひゃっ」
慌てて二人を追い掛けようとした大きなちくわが、お社から転げ落ちた。
神社の裏手から、生徒達の長い長い列が細い山道へ続いている。
「さあ、トレッキングは始まったばっかりだよ! もう少し先は緩やかになってくるから、頑張って!」
次第に傾斜がきつくなってきた山道の端で、赤い三つ編みの少女が明るく新入生達を励ましている。探検部所属の2年生、佐々 寿美礼(ささ すみれ)だ。
彼女は今年から探検部に入ったばかりで、頼られる先輩になれるようにと張り切っていた。
救急道具の入ったリュックを背負った逆巻 天野(さかまき あまの)も、彼女に付いて回っている。
天野は今年の新入生で探検部にも入ったばかり、こういう行事も初めてだった。自分もフォローされる側かも知れないけれど、やっぱり何か出来る事があるならしたいと思っている。
「よし逆巻君、次のポイント行こう! あ、でもあんまり無理しないで、大変だったら言ってね」
笑顔を向けてくる寿美礼に、天野は「頼りにしてます」と頷くのだった。
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