●寝子高生は見た! 九夜山に現れる熊の正体とは!?●
――私はセルゲイ・ボスコフ(せるげい・ぼすこふ)。
とある理由でこの島へとやってきた。
理事長とやらのはからいで、今は学生に身をやつしてはいるのだが。
しかし、ある日から宿ってしまった我の中の野生なる一部分については、
どうしても抑えることができず、日々降り積もる残酷な衝動を耐えていた。
しまいには部屋のカーテンを掻き、家具にかじりつくほどだった。
私はあがいた……こうではいられまい。
いつの間にか家を飛び出し、島の中心の、山の中に辿りついた。
思う存分、獣として動き、吠え、唸り、前足、後足で大地を裂いた。
いつからかそれが日課となり、生き甲斐となっていた……
(……と、言うほどでもないのだがな)
桜の群生地からちょっと外れた森の藪の中で、巨大な熊の姿をしたセルゲイは倒木に腰掛けていた。
ようするに、熊に変身するのが彼のろっこんなのだ。
基本的に熊に変身するだけなので、野生が溢れて抑えられないという事はないし、今のところそれ以上の特別な効果がある訳でもない。
今熊になっているのも、たまたま桜に纏わる怪談で怖がっている生徒の近くを通ってしまったからで、しばらくすれば変身も解ける。
それまで誰かに見られなければ良いだけの事だった。
……筈だった。
セルゲイが身を潜めている辺りにも、桜の群生地の奥ほどではないにしろ霧が立ち込め始めていた。
「おぉい、霧が出てきちまって前が見えねぇよ」
木々の向こうから、ガサガサという複数の人物が植物を掻き分ける音とハスキーな声が聞こえてきた。
声の主は大山田 団十郎(おおやまだ だんじゅうろう)。
その名前と長身や引き締まった身体つき、学校では男子制服を着ているせいで男子と間違われる事もしばしばな女子生徒だった。
今日も男子制服にトレッキング装備を施し、登山靴にリュック、手袋を嵌めて頭には帽子と山登り仕様だ。
性格の方も男勝りの上に、何か一発でかい事をしたいと密かに野心を燃やしている。
そんな団十郎が『九夜山に出る熊』の噂に食いついたのは、ある意味必然の流れだったのかも知れない。
「なぁなぁ熊退治しようぜ?」
という気楽な呼び掛けに、仲良くお弁当タイムしている生徒達の中から示し合わせて抜け出して来たのは二人の生徒。
「ハッ、なかなか面白そうじゃねぇか。熊なんざどうせ噂なんだろうしよ」
肝試し感覚で話に乗った、根っからの野球少年セカンド・新庄 武蔵(しんじょう むさし)。
そして、あらかじめ熊を追い払っておけば他の生徒にも危害が出まい、という団十郎のタテマエに同調して暇つぶしに加わった、サード……という訳では特にない、双葉 仄(ふたば ほのか)だ。
「迷っても面倒だし、誘き寄せる方法があるならこの辺で良いんじゃない?」
仄は大豆の固形栄養食品をモグモグしながら、先行く二人に声を掛ける。
「まぁそうだな……よし、新庄。アレまだ残ってるだろアレ。ここにもやってくれ」
「って結局俺頼みかよ。しゃーねえな……」
団十郎の物言いにブツクサ言いながらも、武蔵は半分くらい量の減った蜂蜜の瓶を開ける。
鼻をくすぐる甘い匂いの液体の中に惜しげもなくハケを突っ込み、ここへ来るまでもそうしていたように手近な木の幹に塗り始めた。
武蔵は塗った、塗りたくった。
蜂蜜が切れるまで、周辺の木々に次々とツヤを与えていった。
ここまで団十郎も仄も特に何もせず、見ているだけ。
何しろ団十郎には『誰かにやらせて楽しくいこう』という信条があるが故に、進んでやってくれる人がいるなら自ら手を下す気はさらさらない。
(まぁ熊殺しの称号とか轟かせたら、これからの学校生活順風満帆じゃね?)
なんて事も考えていたけれど。
「よーし、終わったぜ。さってと、熊は何処にいるんだ?」
一心不乱に作業に取り組んでいた武蔵は、若干達成感を味わいつつ頭に被ったタオルの裾で汗を拭った。
ザザッ。
時を待たずして、すぐ近くの茂みが揺れた。
ぬうっと滑るように姿を現したのは、巨大な熊……に変身したセルゲイだった。
「……」
「……」
「……」
「……くまだー!」
四者が顔を突き合わせた僅かな静寂を破ったのは、仄の叫び。
けれど、彼女はその一瞬の間に全てを悟っていた。
間近でも野生動物特有の臭いや汚れている形跡があまり感じられない事、そして日本にこんなに大きな野生の熊は生息していない事。
自分達と顔を合わせた時の反応に知性を感じた事。
誰かの悪戯か。
もれいびでなくひとである仄は、そう思った。
それでいてあえて熊だと言ってしまう辺り、彼女の性格は推して知るべし、である。
よくよく考えれば、そんなに大きな動物が通ったらしき獣道も見付かっていないのだけれど。
(落ち着け……落ち着け新庄武蔵! まずは位置確認だ!)
一方の武蔵はといえば、完全にセルゲイを本物の熊だと信じ込んでいて、団十郎と一緒にセルゲイから目を逸らさず必死に頭を回転させていた。
距離は近い、離れていたら投げようと思っていたボールは使えない。
ならば。
「よっしゃ、ここでテレビで見た熊の対処法を試す時が来たぜ!」
――必殺、死んだ振り!
「それは迷信だ」
「うがッ!?」
仰向けに倒れた武蔵のお腹を、仄は無情にも踏みつける。
「いいか、全員で突っ込めば倒せる!」
「お、おう」
ゴホゴホと咳き込みながら起き上がる武蔵を尻目に、悪びれた風もなくキッとセルゲイを睨む仄は下手な男より勇敢に見えた。
思わず団十郎も頷いてしまう。
静かにこちらを睨む大熊の威圧感に圧倒されるが、覚悟を決めるしかない。
仄はじりじりとかかとを擦りながら、カウントダウンを始める。
「3・2・1……GO!」
合図と共に、当の本人はくるりときびすを返して一目散に逃げ出した。
「ちょっ!?」
友情の(?)合体攻撃のタイミングを狂わされ、二人は思わず足を滑らせた。
しかも武蔵はそのまま後頭部をしたたかに打ち付けて、大の字に伸びてしまった。
「くっそ、俺に仕事させるなんて……覚えとけよっ!」
ヤケっぱちになった団十郎は、一部始終を黙って眺めていたセルゲイに飛び蹴りをかます。
「……!!」
団十郎の靴先が、鋭くセルゲイの顎を捉えた。
セルゲイは両の前足で顎を押さえてのっしのっしと後退した後、背を向けて藪の中に走り去って行く。
「やった……! 熊を追い払った!」
息を荒げたまま、感慨に浸る団十郎。
遠くで誰かの叫び声と、何か重いものがザザザと雪崩のように落ちていく音が聞こえた気がしたけれど、それどころじゃない。
「おい新庄、寝てる場合じゃないぞ。俺達やったんだよ!」
地面にくたりと横たわっている武蔵の上半身を豪腕で抱き起こすと、肩を揺すって頬をぺちぺちと叩く。
けれど、彼が意識を取り戻す気配はない。
「新庄……」
団十郎は奥歯をぐっと噛み締めた。
「お前の犠牲は忘れない……!」
いや、生きてますって。
因みに、逃げた仄は霧に巻かれて迷ってしまったのか、団十郎達の許に戻って来る事はなかった。
霧の中で、黒依 アリーセ(くろえ ありーせ)は顔を曇らせる。
けれど彼女の胸をより多く占めているのは、迷い掛けている事に対する不安よりも、見失ってしまった生徒達への心配だった。
(あの人達……大丈夫かしら)
熊を探すという話をしていた彼らの事を知って、彼女は後を付いてきたのだ。
強くは止められなかったけれど、気掛かりだったから。
(無茶していなければ良いのだけど……)
この霧では探すに探せない。
アリーセが溜息をついていた時、遠くで誰かの叫び声と何かが崩れ落ちていくような音が聞こえた。
辿り着けるかは分からないけれど……色々考えるより前に、彼女の足はそちらへ動いていた。
麗らかな春の日差しに、桜の花と豊かな自然。
森野 熊吾郎(もりの くまごろう)は念願のゆっくりした時間を満喫していた。
300円までどころじゃない沢山のおやつに囲まれて、幸せいっぱいだった。
心なしか、環境が発するマイナスイオンにも癒される気がする。
「今日一日のんびりしていくかなぁ」
そんな風に呟きながら、桜の群生地の境目辺りを散歩している時だった。
「うぼぁー」
不気味な声がして、突然地面から出てきた腕に足首を掴まれた。
「ひっ!? な、何ですかぁ……」
熊吾郎は慌てて身体を捩った。
その拍子によろめいて、どんっと近くの木の幹にぶつかってしまう。
軽くパニックになっていた彼は、すぐには気付かなかった。
自分の足許に軽く穴を掘って、被ったダンボールを土や桜の花弁でカモフラージュした遥が潜んでいた事を。
(な、何なんですかぁ……うん?)
足を掴む手を振り払おうともがきながら、熊吾郎はぶつかった木が妙にべたついているのに気が付いた。
覚えのある臭いに嫌な予感がしつつも、それは自分の頬にも付着していて、思わず口の端を舐めてしまう。
(………………これは蜂蜜!)
武蔵が道中蜂蜜を塗りたくっていた木だった。
熊吾郎の顔から血の気が引いた。
「あははっ、吃驚した? 僕だにゃー」
彼の反応に気を良くした遥はダンボールをめくって顔を出した、が。
そこにいたのは新入生ではなく、立派なヒグマだった。
「……あ、またクマ……?」
次に固まるのは、遥の番だったという寸法で。
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