甘いものが食べたいという彼女に、お弁当との交換を約束して桜井 ラッセル(さくらい らっせる)はこの日を楽しみにしていた。
桜の下、シルヴィア・W(しるびぃあ・ほわいとうるふ)は白いシャツにチェックのスカートという制服のようなデザインの服の上に、黒いマントを羽織って佇んでいる。
(用意してくれたかな……)
なんとなくそわそわしながら、ラッセルは静かに過ごしたいなと思った。
シルヴィアもそれに頷いたから「ん。一緒に探すか」と桜の木々の合間を抜けて、あちこちに出来た生徒達の集まりから離れていった。
少し歩くと賑やかさも随分遠ざかって、桜の森に二人きりでいるような気分になる。
何処かで鳥の鳴く声を聞きながら、ラッセルはビニールーシートが敷かれた上にごろりと横になって、花が沢山咲いた枝を見上げた。
「綺麗だな~……そういや桜の下でお花見ってしたことあんの?」
彼の問いに、側に腰を下ろしたシルヴィアは頷いたり小さく首を振ったりして答え、あまり口を開く事はなかったけれど、これが彼女の『フツウ』だ。
寛ぐとゴロゴロとその辺を転がり出すラッセル、それを黙って眺めるシルヴィア。
なんだかシュールな光景だ。
暫く転がってから、ラッセルは思い出したように起き上がった。
シートの端から端まで転がった彼の服や三つ編みから、何枚か付いていた桜の花弁がふわっと舞い散る。
「……なあ、交換の約束! 持ってきて……くれた?」
「……一応……持ってきた……」
こくんと頷いて、シルヴィアは飾り気のない黒いリュックの中からお弁当の包みを出した。
中身は玉子焼きやウインナー、塩で握ったおにぎりなどオーソドックスなものだけれど、味はなかなかのものだ。
ラッセルの苦手な生ものは、勿論入っていない。
「あ……うまっ。家事上手ってマジだったんだ……。本当に美味いよ」
おにぎりにかぶりつき、おかずを頬張る彼の様子に、シルヴィアの口許も緩んだ。
お弁当が終わって一段落すると、今度はラッセルの番だ。
「俺のは婆ちゃん特製三色おはぎだよ。シルちゃんは洋菓子慣れしてっかと思って……良さ、わかっかなって」
風流に笹の包みに入れられた、あんこに青海苔、きなこの三種類のお萩を出しながらそう言うと、シルヴィアは物珍しいのか小首を傾げて眺めた。
おもむろに手に取って眺め、一口食べると優しい甘さが広がる。
「美味い……?」
優しい眼差しで、ラッセルは頷くシルヴィアの口の周りに付いたあんこを拭ってやる。
彼女はまるで、もうひとりの妹のように愛しく大切な存在になっていた。
一緒にいると温かな想いで胸が満たされ、ずっとこうして過ごしていたくなる。
いつか学校を卒業して日本を離れるまで……いや、その先も、叶うのなら。
ラッセルは見えない未来を思い感じてしまった切ない気分を振り払って、今シルヴィアと一緒にいる穏やかで優しいひと時に戻って来る。
お萩とシルヴィアが持って来た150円以内のおやつを食べた後、今度は二人でシートに寝転がった。
「……おやすみ……」
「うん、おやす……?」
そうして、桜を眺めながらまどろもうと思っていると。
カサカサ、ガサガサ。
なにやら向こうの草むらが騒がしい。
ぽんっと低い木々の間から出て来たのは……
「るー。」
「雛森!?」
ラッセルは再びがばっと起き上がった。
「るー。ここ、どこ? ……わわ、ラッセルさん」
それは彼にとって知った顔の、雛森 佐奈(ひなもり さな)だった。
「なにやってるんだ……迷子か?」
「違うッスー、自分じゃなくてカナエさんと秋人さんが迷子になったんッスー」
そう言って、佐奈はまた「るー」と鳴きながら涙目になる。
彼女は願い事を叶えてくれる樹齢300年の桜を、声を上げた仲間と探していたと掻い摘んで話した。
「願い事の桜ねぇ……これだったりしてな」
シルヴィアと二人で寄り添うようにしていたのを誤魔化すように、ラッセルはちらっと背後に生えたそれなりに立派な桜の木を見上げる。
でも、佐奈はふるふると首を振った。
「るー。これじゃないッスー。きっともっともっと大きいッスー。……自分が探しに行かないとっ」
「あっ、おい……」
方位磁針を握り締めてたたっと元来た方へ引き返した佐奈の背中を、ラッセルはぽかんと見送った。
「……」
「……なんだったんだろうな……」
黙って一部始終を見守っていたシルヴィアと、顔を見合わせる。
●300年桜 幻の桜を求めて・前●
「おっかしいなー……」
手の中で不自然に揺れたりぐるぐる回っている針を眺めながら、体格の良い少女が呟いた。
八重垣 カナエ(やえがき かなえ)、幻の桜を捜索しようと乾 秋人(いぬい あきと)や佐奈に呼び掛けた生徒だった。
「これが安物だからって事はないよな?」
掌に乗せた方位磁針は移動する度にぐるぐる回ったり、デタラメな方向を指してはゆらゆらしている。
彼らは樹齢300年の桜の木を探す為に抜け出して来た生徒達数人と一緒になって、ある作戦を実行していた。
「桜の周囲では方位磁針が利かなくなるってんならよ! 方位磁針をいっぱい持ってって『方向がおかしくなるところとならないところの境界』を特定して囲んでいけば、その真ん中へんに桜があるんじゃねぇか!?」
というカナエの発想によるものだったのだけれど、針が示す方向が変わる場所と戻る場所の境目を探しているうちに、いつしか『いくら戻っても針が示す方向がおかしい』状態になってしまったのだ。
周囲を見回しても、桜、桜、桜。
桜だらけの似たような風景ばかりで、後は地面の傾斜の感覚で登るか降りるかの感覚が頼りだ。
作戦に乗ってくれた生徒達とは、声が届く範囲である程度距離を取っていた筈だけれど、先程呼び掛けてみた時は返事がなかった。
「こりゃ、本格的に迷ったかな」
良い方法だと思ったのに。
カナエは自慢のドレッドが飾る頭を掻きながら周囲を見回す。
もっと特徴的なものや形跡でも見付けられれば……と思っていると、脇の方から草を掻き分ける音が微かに聞こえてきた。
「こちらの方だと思うが……」
「う~ん、同じような景色ばっかり。これじゃ迷っちゃうよね」
聞き覚えのある、数人の少女達の話し声と共に、ガサガサという音が近付いてくる。
「おーい、大丈夫か?」
カナエは声の主達に大きな声で呼び掛けてみた。
「あっ、今の声八重垣ちゃんだよね? はーい!」
これは小泉 和(こいずみ のどか)の声だと確信した時、彼女達の姿が見えた。
「……まさか、優先的に断とうと思っていた感覚の方が役立つとはね」
「うん? どうしたの?」
ぽつりと呟くいた天衣 祭(たかえ まつり)に、和が持っていた小型のビデオカメラを構えたまま顔を向けたので、祭は「なんでもないよ」と返した。
彼女のろっこんは五感の一部を断って他の感覚を鋭くするもので、それをこっそり幻の桜の探索に使えないかと思っていたのだけれど……まず味覚を断った後、断とうと思っていた嗅覚で人の匂いを察知する事で、逸れた生徒達を探し当ててきたのだ。
とはいえ、様々な匂いのする自然の中では、相手との距離が近いかしっかりした残り香でもないとやっぱり辿るのは難しいかも知れない。
この力の使い方は、まだまだ手探り段階といったところか。
「アプリのGPSとかもダメだね、山の中だからか……何か、電波を妨げているものがあるか」
祭はスマートフォンをしまうと息をついた。
「幻の桜を撮れたら投稿サイトにアップロードしようと思ってたのに、これじゃ迷子探しがメインになっちゃうよ~」
それはそれで面白いビデオかも知れないと思いつつ、和もちょっとしょんぼり気味だ。
「とにかく、まず逸れた奴らと合流した方が良いだろ。こんな小さい山で遭難とか勘弁だぜ。……その、なんかよく分からねぇが、天衣は他の奴がいる場所も分かるのか?」
「なんとなくだけど……」
さっきから渋い顔をしていたカナエは言葉を濁しながら答えた祭に、それでも表情を明るくする。
「よし、じゃあもう一回集合してから対策考えようぜ。時間はまだあるし、ここまで来て諦められるかっての!」
叶えたい願いを胸に、カナエは威勢よく声を上げた。
「マボロシの桜って、じゅれー300年の桜だったんだねぇ。私、300円桜って聞いて限定販売の桜餅だと思ってたよ~♪」
迷子になり掛けていた割にあんまり状況を理解していなかったらしく、ほえほえとうろついていたところを捕まった不破 ふわり(ふわ ふわり)のおおボケ発言に、一同額を押さえたり苦笑を浮かべたりしている。
「濃い樹齢臭を辿っていったら見付かるかなと思って♪」
「樹齢臭って……」
「樹齢約300年も経ってたら、凄く漂ってきそうじゃない?」
「それで分かったら、探すのに苦労はしないよ」
「あ、そっかー」
にぱっと笑うふわりに、祭にも呆れとも笑いともつかない思いが込み上げてきた。
幻の桜に幻想的な雰囲気やロマンチックな想像が、なんだか台無しかも知れない。
「でも樹齢300年なんて、どれくらい大きな桜の木なんだろう」
桜の美しさや雰囲気が好きな姫宮 瑠璃(ひめみや るり)は、是が非でも幻の桜と呼ばれるその木を見てみたいと思ってここまで来た。
体力的な事や、迷子にならないか心配だったりしたし実際そうなってしまったけれど、迷っているのが自分ひとりでない事は心細さを軽減させてくれてはいる。
「どんな風に、300年の昔から寝子島を見てきたのかな……」
瑠璃がまだ見ぬ幻の桜に思いを馳せていると、ふわりは急に真顔になる。
「どうしたの?」
「…………そんな幻の桜の話を知ってるってことは、その話をしてたおばぁちゃんも今年で300歳くらいになるの?」
至極真面目に素っ頓狂な事を言い出したふわりに、瑠璃の目は点になった。
「うーん……」
獺越 晴太(おそごえ せいた)は、スルスルと登っていた桜の木から降りて来る。
「何か見付かった?」
見上げていた琥室 伶都(くむろ れいと)が尋ねると、彼は首を振った。
「ダメだ、ここいら辺じゃ飛び抜けて高い木でもないと、見晴らしが良くないな……もっと高い場所に行くしかないか」
この辺りの桜は、育っているものでもどれも似たような高さの上に、満開の桜が霞のように広がってしまっていて木の上からの視界もあてに出来なかった。
晴太はカナエ達とは別に桜の群生地の奥に足を踏み入れたものの、たまたま彼女達と逸れて迷っていた生徒達を見付けて同道する事になったのだ。
山歩きは田舎モンに任せたまえよ、と胸を張って言っていた晴太も、実はその時もう迷い掛けていたのだけれど……。
「高い場所……もっと先に行くつもりか?」
彼らに付いて来ていた櫻がいぶかしげに聞き返した。
元来たところに戻れるかは分からないが、下って行った方が良いのではないかと彼女は考えていた。
櫻にとっては、あるかも分からない桜の木よりも、後輩達を無事に帰す事の方が優先される。
元々、幻の桜を探しに行こうと集団を抜けていく生徒達に気付き、高野先生に声を掛けてから彼らの後を追ったのだ。
「小山内、お前は大丈夫か?」
まだ元気そうな男子達の様子に軽く溜息を吐き、櫻は傍らの小柄な少女に振り返った。
『…………つかれた』
スケッチブックにペンを走らせ、小山内 海(おさない うみ)はそれを見せる。
彼女のコミュニケーションは、もっぱらこの筆談だ。
櫻はそれに頷くと、先に行こうとしている男子達に呼び掛けた。
「皆、少し休もう。山で迷ったら無闇に動き回らないのも鉄則だしな」
「……乾っち!? お前、今何処から出てきた?」
「うー……? あれ、カナエじゃないか。どうした?」
「どうしたじゃねぇよ、って、こんなとこで船漕ぐなー!」
方位磁針を持って分かれた時とは全然違う方向から突然現れた寝ぼけまなこの秋人の肩を、カナエはガクガク揺さぶった。
幻の桜は見てみたいし、猫鳴館での馴染みであるカナエや佐奈を放っておけないという気持ちで付いてきた秋人だったけれど。
軽くうとうとしながら移動していたのが悪かったのか、今までの足取りを思い返そうとしても記憶がアテにならない。
「どうなってんだよこの山……佐奈なんもまだ見付からないし」
カナエの脳裏に、「るー」と目をうるうるさせながら森をさまよう佐奈の姿が過ぎる。
「八重垣ちゃん、みんな、こっち来て!」
そこへ、和の呼ぶ声が届いた。
和が自分の方へやって来る少女達に向けていたカメラのレンズを、近くの桜の木の幹に移す。
「これ見て! 天衣ちゃんが見つけてくれたの」
幹に結ばれていたのは赤い紐だった。
片側にだけ輪を作ってあり、何か意図があるような結び方に見える。
(人の匂いが少し残ってる……結ばれてから、そんなに時間が経っていないのか?)
祭は紐を眺めながらひとり考えていた。
もしかしたら、別口で探索している生徒が残していった目印なのかも知れない。
和はズームしていた赤い紐から、輪が向いている方にカメラをパンさせた。
「こっちの輪っかのが向いてる方が、上り坂だよね?」
「目印だとしたら、この先にもあるかもね」
「……行ってみるか」
和と祭の言葉に、カナエは輪の示す方を見据えて呟いた。
あっちもこっちも桜、桜。
何処までも果てしなく続くように思える、桜の森。
みんなで楽しく眺めている時には単に綺麗だと喜んでいた桜も、独りぼっちで迷っている時にはその美しさが逆に恐ろしくなってくる。
しかも、少し前まで何処かから聞こえていた野鳥のさえずりさえ聞こえなくなった。
カサッと何かが音を立てる度に、佐奈はびくっと肩を震わせる。
自分の方が迷子になってしまっている事は、もう自覚していた。
「るー……」
目には今にも零れそうなくらいの涙を溜めて、佐奈は道なき道を行こか戻ろか葛藤していた。
「ラッセルさんに手伝ってって、お願いした方が良かったでしょうか……」
でも、あれ以上邪魔しちゃ悪い気もしたし。
手の中の方位磁針は、彼女の心の表れのように針の先をゆらゆらさせて、定まってくれない。
どうしよう、どうしよう。
ふと彼女が気付くと、周囲の風景が薄くけぶるように見えてきた。
「え……えっ?」
戸惑っている間にも、見る見るうちに景色が白く霞んでいく。
(人でもくまさんでも良いから、誰か来てぇ……。心細いよぉ)
サワサワと揺れる桜の枝すら恐ろしくて、佐奈はその場に蹲ってしまった。
「助けて、カナエさん、秋人さん……」
「……霧? こんな時間に?」
あっという間に視界を白い世界に塗り変えた現象に、櫻は目を見開いた。
不安げに海が服の裾をぎゅっと掴んでくる。
昼夜の寒暖の差が激しい今時分、朝方なら霧が出ても不思議はないけれど……。
「水場と空気の温度差とか、後は地形によるものじゃないかな。こんな小さい山じゃ、雲が掛かってるって事もそうそうないだろうし……」
山に詳しい晴太はそう話す。
「やはり、これはみだりに動き回らない方が良いという事か」
「誰かいるの?」
櫻の呟きに、少し離れた場所から少女の声が掛かった。
呼び掛けの応酬を繰り返して距離を縮めた先に見えたのは、カメラを構えた和と、一緒に進んできたカナエ達の姿だった。
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