●300年桜 幻の桜を求めて・後●
「ロロレンロ。……あれぇ?」
「どうしたんですか?」
携帯電話片手に、呪文のような言葉を紡いでろっこんを発動させた筈の佳奈が首を傾げるのを見て、綾花は不安げに尋ねた。
彼女達はお弁当を食べてから幻の桜探しに向かった為、捜索者としては後発だ。
「うーん、お弁当食べる前から姿が見えなくなった人の顔を写メで送って貰ったんだけど……」
彼女の力は、探したい人の顔を思い浮かべてキーワードを唱えると、相手のいる方向が分かるというものだったのだけれど……。
「すっごい南の方にいるような気がする。逆方向だよねぇ?」
「南って……」
どれくらい離れているのか二人とも見当が付かなかったものの、佳奈が察知した方向は到底正しいようには思えない。
「この霧も変だけど……」
佳奈はまるで桜の森の奥に入るなとでも言うように立ち込めている、霧の境目をしげしげと眺める。
気流のせいか地形的なものなのか、生徒達が滞在している場所まではこの霧は降りてきていない。
大多数の生徒が、霧が出ている事にも気付いていないだろう。
「もう探しに行っちゃってる人もいる訳だし、迷ってたら大変だよねぇ。行くしかないかなぁ」
「……大丈夫かな」
むん、と気合を入れて歩き出す佳奈の後を、綾花は心配そうに付いて行く。
幻の桜にお願いしたい事が、これからの道程に敵うものなのかは分からないまま。
霧の中、身動きが取れない状態でじりじりと時間だけが過ぎていく。
「こんな時はおやつ交換だよねぇ」
四月は唐突にお菓子の交換を始めた。
こんな時に何をという顔をしていた生徒もいたけれど、お菓子を交換して口にする事で、不安げな様子だった生徒達の表情が少し和らいでいる。
『……おいしい』
海がそう記したスケッチブックを見せると、四月も嬉しそうに目を細めた。
甘いものと彼女のおおらかさが、みんなの緊張や疲労感を少し溶かしたような気がした。
ほっとする一幕に櫻も表情を緩めて後輩達を眺めていたけれど、草を踏み締めて近付いて来る気配に目つきが変わる。
念じると、その手に日本刀が現れた。
「誰だ?」
切っ先を気配の方に向け、鋭く声を上げる。
次第に見えてきた影は、人の形をしていた。
「1年1組の御剣です。……随分物騒なものを持って来てるんですね」
霧の中から出て来たのは、腕時計をはめた腕を水平に向けた御剣 刀(みつるき かたな)だった。
彼もまた、幻の桜を探していたようだ。
後輩の姿を確認すると、櫻は軽く息をついて日本刀を降ろした。
「あれ、この間図書室で……」
刀の顔を見て秋人が思い出したように呟くと、刀の方も覚えがあったようで「そういえば」と返す。
怪訝な顔をしていたカナエ達に、秋人は図書室に幻の桜の事を調べに行った際、刀と顔を合わせていた事を説明した。
尤も、刀が調べていた内容は秋人よりもずっと具体的で、的が絞られていた。
探索の為の準備も、幻の桜を探しに来ていた生徒達の誰よりも周到だった。
「にも関わらず、俺も迷ってしまった。霧が出るまでは順調だと思っていたんだがな……」
彼は方位磁針が利かなくなった後も、アナログ表示の腕時計で方角を割り出す方法を用いて探索を進め、予め書物で調べたおおよその目的地の場所や赤い紐を木に結んで目印とした場所などを、地図に事細かに記していた。
「あの紐も御剣ちゃんだったんだ」
カメラを回しながら、和が感心げに呟く。
刀は頷いて説明を続ける。
「調べものをしている間に、霧の発生に関しても桜を探した人物が霧の中で迷ったという事例が幾つか見付かった。原因は解明されていないようだが、特殊な地形的なものじゃないかというのが大多数の見解らしい。ただ……」
霧の中では薄ぼんやりとはしているものの、影の差す方向を確認していれば太陽の位置は分かる筈だった。
それで方角を割り出して進んでいたにも関わらず、刀はいつの間にか自分が結んだ紐のところまで戻ってきてしまったのだという。
「……どういう事だ」
カナエが重い口を開くと、刀は首を振った。
「分からないな。何か人知の及ばない事が起きているのか、狐にでも化かされてるのか」
生徒の中にいたもれいび達の中には、あの入学式の日の事と落神の言い伝えを思い浮かべた者もいた。
寝子島に神様が落ちてきた後、様々な混沌が訪れたという伝説を――
「今度こそ、こっちだと思うんだよねぇ。思い切っていってみよぉ!」
「い、伊藤さん、待って……」
沈黙と思考を遮ったのは、これまた霧が出る前は通れるように見えなかった藪の方面から出てきた少女達だった。
「……という感じで、幻の桜を探していた人が続々と集まってきたようです。不思議ですね」
回したままのカメラに、和は自分の声を吹き込んでいた。
いつの間にか集まった人数は二桁を超えていて、霧さえ出ていなければちょっとしたクラスのピクニックのような雰囲気でもある。
「ここの桜ね、ほとんどがヒカンザクラっていう種類なの。ソメイヨシノのお父さんかお母さんなのよ」
『物知りなんですね』
小淋がメモでそう返すと、当の美咲紀はそうかな? と小首を傾げた。
「とっても寿命が長い種類で、他の地方でも1000年生きている木もあるの」
「なんと1000年……! 300年の3倍以上強いのかな~?」
「じゃあ、300年くらいだったら幻の中の幻! って程じゃないのかな?」
「うーん……環境とか色んな影響があると思うから、長く生きて来られたのはやっぱり珍しいんじゃないかなぁ」
ふわりや瑠璃、他の女子生徒達と話をしながら、美咲紀は未だ姿の見えない300年桜の事を思った。
もしかしたら、山の守り神の一柱なのかも知れないとも思っていたから。
(だとしたら……この霧は、どういう意味があるのかな)
霧が出た事に何か意図があるのではと考えてしまうと、まるで自分達を試しているようにも、不用意に近付く者を拒んでいるようにも思えて、ちょっと悲しくなった。
「お願い、姿を見せて。私、あなたに会いたいの……」
ぎゅっと目を閉じて、美咲紀は祈るように小さく呟いた。
ここには他にも願いを叶えたいと強く思っている生徒や、幻の桜に思うところがある生徒達が多く集まっている。
せめて、もう少し霧が晴れてくれれば……ただ時を待つしか出来ない彼らの中で、祭の耳は誰よりも早く『それ』を捉えていた。
まだ少し遠く、山の手から微かに地面や草を踏み締める、靴とは違う音。
その後ろを、重い足取りで付いて来る足音がひとつ。
祭がその方向をじっと見詰めていると、それに気付いた他の生徒達も倣うように彼女と同じ方を眺め始めた。
立ち込めていた霧が、少しずつ薄れ始めていた。
はじめての方へ
遊び方
世界設定
検索
ヘルプ