沢山の生徒の姿があちこちに見える、群生地の入り口付近。
「えっへへ~、たっぷり歩いたからお腹空いちゃったよー」
小野寺 瞳子(おのでら とうこ)の山岳用の大きなリュックの中には、お弁当がぎっしりと。
周りの友人達は、その量に目を丸くしている。
他の生徒達と車座を作り始めたグループでも、一体何が入ってるの? というくらいの小山のようなリュックを降ろし、伊藤 佳奈(いとう かな)がお弁当を取り出した。
一つ目はひたすら白いご飯がぎっしり。二つ目には唐揚げやベーコンのアスパラ巻き、出汁巻き卵に焼き豚、キャベツの千切りが詰め込まれていて、三つ目にはトンカツにタケノコや蒟蒻の煮物が並んでいる。
更にデザートとして苺の入ったタッパも出てきた。
「お母さん張り切ったな~」
中身を確認して、嬉しそうに呟く佳奈。
「……お友達と分けたりなさるんですか?」
思わず呆気に取られていた抱月が尋ねると、佳奈はきょとんと彼女の顔を見返した。
「あたしが食べるんだよ」
この可愛らしい少女の何処に、これだけ入るスペースがあるんだろう?
世の中には自分の理解が及ばない事もあると感じつつ、抱月は自分のお弁当を広げた。
梅干のおにぎりに玉子焼き、ウィンナーと野菜。
量もラインナップもごく普通だけれど、バランスの取れたお弁当だ。
そこへ高野先生と同じように見回りをしていた桐島先生が、一人の生徒を引き摺るようにして戻って来た。
「あら……桐島先生ではありませんか。お昼はまだですか?」
抱月は彼に声を掛けた。
「ああ、サルはもう姿はないようだが……」
「そちらの方は?」
首根っこを掴んでいた男子生徒について聞かれると、桐島先生は大きく溜息を吐いた。
「こいつは、生えているキノコを不用意に食べようとしていてな。他所様のものを勝手に採らせる訳にもいかないし、危ないから連れて来た」
サングラスをした老け顔の生徒の名は、山田 与太郎(やまだ よたろう)。
「神よ! 何故私はひとりなのですか?」
と呟きながらヤケになってキノコを食べようとしていたところを、桐島先生に見付かったのだった。
「キノコは一見食べられそうでも、毒キノコと区別が付き難いものもある。みだりに手を出さない事だ」
よろしければ、と同席を申し出ると桐島先生は頷き、とりあえず彼を横に正座させてリュックからお弁当を出し始めた。
「花見酒や不届きな事をする輩がいないかと見ていましたが、幸いこの辺りにはいないようです」
「そうか……お前のような生徒がいてくれて、助かる」
抱月の言葉に、桐島先生は若干表情を和らげた。
大人数の生徒に注意を払うのも大変なようだ。
「桐島先生のは仕出し弁当?」
口の周りにご飯粒を付けた佳奈は、桐島先生の手許を覗き込む。
木目がプリントされた容器の中には各種お惣菜と、ゴマが振られ真ん中に梅干が乗っているご飯が詰められている。
確かにちゃんとしていて美味しそうではあるけれど、家庭の味ではない気がする。
お母さんの愛情たっぷりの自分のお弁当と見比べ、ちょっと悩んでから。
「先生、よかったらどうぞ」
断腸の思いで唐揚げを勧めた。
「良いのか……?」
佳奈が何かを我慢するような、とっても辛そうな顔をしているので、桐島先生はちょっと躊躇ってしまう。
「うん、いいの。うちの家庭の味だよ」
「伊藤……ご飯、付いてるぞ」
好意は有り難く受け取る事にして、桐島先生は佳奈が付けているご飯粒をそっと指摘した。
目をぱちくりさせておべんとを拭い、佳奈はえへへと笑う。
そこへお重を持った瞳子がやって来た。
「みんなー、お弁当交換しよう! あ、桐島センセーもいるー」
この付近の生徒達を回っておかずを交換して来たようだ。
「あれ? センセーのお弁当、美味しそう! すごい、なんか売り物みたい!! これセンセーの手作り!? ね、ね、あたしのと何か交換してよ♪」
「いや、これは……」
桐島先生のお弁当を見るや、瞳子は身を乗り出してまくし立てた。
彼女のペースでおかずを幾つか交換した(させられた)桐島先生は、仕出し弁当だと説明出来ないまま仏頂面でおかずのすり替わった弁当箱を見下ろしている。
「桜の花、キレイだよねー。あ。ねえ、先生は料理出来るの?」
「外食は不経済だからな」
ようやく、先生の眼鏡に光が戻ってきた。
「へー、なんかそういうトコもきっちりしてそうだよねー」
「栄養素の計算も、いつもしているぞ」
「……数学の先生らしい、のかなぁ」
瞳子が首を傾げていると、元いたグループから「とっこー、早く戻ってきて一緒に食べようよー」と声が掛かった。
「あ、うん今行くよー」
と返事をしてから、桐島先生に向き直ってにっこり笑う。
「センセーとおかずの交換したり、話せて嬉しかったよ!」
「……そうか」
こういう時どう反応して良いのか分からないのか、桐島先生はまた仏像のようになってしまった。
「いつも校則校則ってうるさいなー、と思うけど。でもあたし、センセーの事嫌いじゃないんだよ? 直すつもりは全然ないけどねー♪」
「っ、おい……」
悪戯っぽく言い残して逃げるように去っていく瞳子に、バッと腰を上げ掛ける桐島先生。
でも、すぐに溜息をついて座り直した。
今くらいは、堅苦しいことは言わずにおいても良いかと思ったのかどうかは、本人にしか分からないけれど。
「本当に綺麗な桜ですね……」
抱月の呟きに、うむと頷く桐島先生だった。
賑やかな集団からは離れて、ひとり桜の下で過ごす時間を楽しんでいる生徒もいる。
お弁当と一緒に広げたタロットカードをめくり、眺めていた相楽 茉莉花(さがら まりか)の背後でカサッと草を踏む音がした。
「おや、気付かれてしまいましたか」
振り向くと、切れ長の目をした痩せた長身の男子生徒が立っていた。
一之瀬 仙司郎(いちのせ せんじろう)は独りでいるのも寂しいし、という事で同じようにひとりでいた茉莉花の後ろに忍び寄って、肩を叩いて振り返ったところで頬をぷにっとつつこうと思っていたのだけれど、先に気付かれてしまった。
ちょっと残念な気もしたけれど、仙司郎はその程度の事ではめげない。
「おひとりですか?」
「人の多いところは些か苦手でね」
妙な雰囲気の仙司郎に聞かれて、茉莉花は肩を竦める。
「……あぁ、私のこれは給仕に作らせたモノさ。何せ、私は料理はさっぱりなものでな。……いや、手順を覚えるのが面倒なだけだ」
しっかり作られた素朴なお惣菜が並ぶお弁当箱に視線を感じて、彼女はそう説明した。
「なるほど、お花見弁当という訳ですね。花より団子、などという言葉もありますが、わたくしとしてはどちらも均等に楽しみたい。美しい桜を見ながら美味しい団子を頬張る、素敵じゃないですか。渋めのお茶があればなおよし」
どうやら仙司郎も茉莉花に負けず劣らず、お喋りなようだ。
そこまで語ると、さて折角なので実践しましょうかと彼は茉莉花の横に陣取って、カバンから箱とティーセット、水筒を取り出した。
ただしティーカップに注がれたのはコーヒーで、箱の中から出てきたのはエクレアだ。
「ふぅ……やはりあの洋菓子店のエクレアは美味しい。このコーヒーとよく合いますね。そしてこの桜の木の幹。本当に素敵ですね……逞しく美しい」
そう言って桜を眺めながらコーヒーとエクレアを楽しむ仙司郎を、茉莉花は黙って眺めていた。
視線に気付くと、仙司郎はまた口を開く。
「なんですか? ティーカップでコーヒーを飲んではいけない、なんて事はないでしょう? 団子のお話をしたからと言って、団子を購入してきているとも限らないのです。花だけが桜なのではないのです、幹を見たって良いでしょう」
「……君も相当変わった奴だな」
奇妙な理論を展開する彼に、少女はふっと笑った。
ダルいと思っていた山登りも、喉元過ぎればなんとやら。
普段は爽やかな笑みを浮かべている割に、ひとりで過ごすのが好きな市橋 誉(いちはし ほまれ)は、桜と他の木が入り混じって咲いている目立たない隅っこの方に座った。
手作りのサンドイッチを平らげると、周囲に人の姿が見えないのを確かめてからスケッチブックを取り出して鍵盤を描く。
広々とした桜いっぱいの空間を独り占めしていると、なんだかピアノが弾きたくなってしまったから。
たん、と誉が絵に描いた鍵盤を叩くと、小気味良いピアノの音色が返ってきた。
緩やかに指を走らせると、ひと繋ぎのメロディが生まれた。
そういえば、さっき何処かでさくらの歌を流している生徒達がいたな、と思い出し、曲をなぞってみる。
一曲終われば、また別の曲を軽やかに弾き始めて。
(自然の中でピアノを弾けるなんて、なんて贅沢なんだろう)
静かに舞い落ちる花弁に合わせるように、歌うような旋律を響かせていく。
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