●あなたはもしや●
ところで、あの大演説をぶったのち、鷹取洋二はどうしたでしょう?
彼は彼で、らくがお仮面を見つけるために校内を練り歩いていたのです。
今、鷹取先輩は、芸術科の後輩にあたる綾辻 綾花(あやつじ あやか)を連れ、彼に学校内を案内しつつ捜査を行っています。鷹取先輩という人はあれでなかなか面倒見がいいようで、綾花が案内をお願いしたところ快く引き受けてくれたようです。
歩きながらさりげなく、綾花は切り出しました。
「……それで、らくがお仮面と先輩の出会いについて知りたいんですが」
「出会い……らくがお仮面との出会いか」
それまで、どちらかと言えばにこやかだった先輩の表情が、やにわに険しくなるのがわかりました。鷹取先輩は眉間にしわを寄せているのです。
けれど可愛い後輩のためと思ったのか、鷹取先輩は切れ長の目をすっと開いて言いました。
「彼、まあ彼女かもしれないけどね……ともかく、かの人物との関わりを持って、実はまだ一ヶ月に満たないんだ。らくがお仮面が校内に出没するようになった時期も、ちょうどその頃でね」
とすれば三月なかばごろの話でしょうか。ですが先輩の口調は、何年も前のことを回想するかのようでした。
「そうそう、出会いについてだったかな? 僕が置き忘れていた僕の生徒手帳に、見るも無惨な……しかし、腹立たしいことに芸術的には認めざるを得ない『改変』が行われたことが直接のきっかけになるかな。自分で言うのもなんだが、僕はそれなりに目立つ存在だからね。その僕の写真に狼藉したというのだから、らくがお仮面にとってはちょっとした勲章だったろうさ」
鷹取先輩の言葉からすれば、『誰の生徒手帳でもよいと思っていた犯人が、たまたま目に止まった鷹取洋二の写真に落書きした』のではなく、『ステータスになることを目論み、犯人は鷹取洋二の写真に落書きした』ということのようです。
うなずける話ではあります。本当に犯人が『誰の写真でも、肖像画、塑像でものべつまくなし』という人であったとしたら、いまごろ図書室の本はすべて、『著者近影』欄が大変なことになっていたでしょう。幸いにしてそういう話はないようです。
「その後、僕はらくがお仮面を捕らえるべく自主的に校内を巡回するなどして気をつけていたのだが、ある放課後、校内美化運動のポスターに『芸術的犯行』をほどこしている人物を見かけたというわけさ。焦って後方から声をかけたのは間違いだったね。飛びついて拘束、あるいは、せめて横から近づいて顔を確認しておくべきだった……結局逃げられてそれっきりさ」
なるほど、これである程度わかった気がします。綾花は礼を言って先輩と別れました。
軽音楽部のゲリラライブが始まったりしたので、邪魔をしてはいけないと思ったか、単身になった先輩は講堂のあたりに移動しております。それでも油断なく、ときおり周囲を観察しているのでした。
そんな彼の後から、ひょこひょこと付いていく姿がありました。黒いパンダ耳がついた白いリュックを背負い、頭はシニヨンに結っています。好奇心旺盛のようで、目が星のようにきらきらしていました。といっても鷹取先輩には気づかれないよう、一定以上の距離を保ってついて行っております。
彼女は李 小麗(り・しゃおりー)、彼の後を尾行しているのは、『あのわかめっぽい頭の兄ちゃんについていけば、らくがお仮面をギャフンと言わせるところが見られるかもしれない』と考えたからです。
ですがなかなかそうはいかないもの、綾花を案内するなどうろうろするばかりで、鷹取先輩は事件の核心に近づくそぶりはないのです。
――ほんとにこの兄ちゃんの方法でらくがお仮面が現れて、しかもギャフンと言わせられるのかわからんのだ……。
あてもなく歩いているように見える鷹取先輩に、だんだん小麗は不満を抱くようになりました。このままでいのでしょうか。
――もういっそ、洋二ってわかめ兄ちゃんの「ギャフン」でもいいのだー。
などと思い始めています。ともかくギャフンが見たい、聞きたい、ギブ・ミー・ギャフン・プリーズ・プリーズ・ミーというわけです。なにせ今まで小麗は、「ギャフン」などと言う人を見たことがありません。経験のないものを知りたいと思うのは、実に自然な感情でしょう。
「むっ、あれが『ギャフン』を呼ぶ少女か!?」
小麗は息を飲みました。可愛いポニーテールをした女生徒が、わかめ頭(鷹取先輩)に近づいて何か言っているのです。
その女生徒というのは、椿 美咲紀(つばき みさき)です。たまたまですが、小麗も彼女の顔は知っています。オリエンテーションの顔合わせのときに、どんなきっかけだったか挨拶くらいはかわしたはずです。
さてそれではここで物語の視点を、先輩と美咲紀に近づけてみましょう。
「鷹取先輩、私、先輩の情熱に胸を打たれましたー」
美咲紀はそう爽やかに言って、鷹取先輩に頭を下げました。
「そう言ってもらえると嬉しいね」
ふふっ、と笑って彼は、例のワカメみたいな髪をかきあげるのでした。
「先輩、ところでランチはまだですか?」
「あいにくとまだだが」
良かった、と美咲紀は微笑んで言うのです。
「それだったら先輩、私、お弁当作っていますんでご一緒しません? 昨日作り過ぎちゃって……二人分はあるんです」
「いいのかい?」
「もちろんです!」
鷹取先輩はまたまた髪をかきあげる仕草をして、「ならご相伴に預かろうかな」と笑ったのです。あまり照れや舞い上がった様子がないところからして、彼にこの手のお誘いはしょっちゅうあるようですね。ちょっと変わっていますが、確かにモテそうな先輩ではあります。
「よし……ちゃーんす」
ぴかっ、とこのとき美咲紀の目が、ストロボみたいに明滅しました。
「うん? 何が?」
「いえいえいえ何も言ってません」
そうです。美咲紀は鷹取先輩を疑っているのです。
講堂脇のベンチに腰掛け弁当を広げながら、それとなく美咲紀は話を切り出しました。
「そういえば先輩、どういう経緯で学生証がらくがお仮面の凶行――って言っていいですよね?――に遭ったんです? なかなかそんなことないと思うんです。だって学生証って、そんなに人に見せるものじゃないでしょ?」
ああ、そのことか、と彼は、左手の箸でタコさんウインナーをつまみつつ言いました。
「体育の授業で教室を開ける際、うっかり机の上に置き忘れてしまってね……貴重品はクラス委員に預けていたから油断していた。それに、僕はほら、どうしても目立つ人間だから、ターゲットには最適だったのかもしれないね」
「あ、意外ともっともらしい話……」
「そんなに意外かい?」
「ああ、いえいえこっちの話です」
次は何を聞こうか、と美咲紀が考えていたときです。
「甘いな」
出し抜けにベンチの向う側から声がして、美咲紀も鷹取先輩も振り向きました。
「おっと、初めましてー」
なんだか棒読み風に言うと、彼……八神 修(やがみ おさむ)は一応、かたちばかりに自己紹介しました。
「なにが甘いって?」
むっとしたように美咲紀が口を尖らせますが、修はまるで彼女を無視して言いました。
「あの学生証、見せてもらっていいですかね? 俺はただ知りたいだけなんですよ。鷹取先輩」
このとき彼は、くすっと微笑しています。
鷹取先輩はいくらか怪訝な顔をして美咲紀に問いました。
「彼、君の友達かい?」
「同じ一年生、ってだけです。話したことさえありません」
なるほど、と言って先輩は再び修に向き直ります。
「どういう意味かな? ……その、『知りたい』というのは?」
「俺は比喩的表現に言う『灰色』を好まない。ただそれだけだよ。鷹取さん」
表面上の丁寧さを、もう修は捨て去っていました。琥珀色の瞳でしっかりと彼を捕らえます。
「あのとき、学生証を見た俺は疑問に思った。薬品で簡単に消せる落書きをどうして、いつまでも残すのかと……。仮に、インクが染込む素材だというなら再発行してもらえばいいだけのはずだ。だから考えた。汚れた学生証で過ごす理由があるとしたら……」
言いながら修は蛇のように、するするとベンチに座り鷹取先輩との距離を詰めていきます。
「鷹取さん、貴方もしかして……」
「もしかして……何かな」
「らくがお仮面のこと、好きなんだね」
「えっ?」
「恋してる、と言った方がいいかい?」
この推理は当たっている、そんな自信が修にはありました。
ところが突然、鷹取洋二先輩は笑い出したのです。
「面白いことをいう子だね……。ふふ、違うよ。むしろ逆さ」
前髪をかきあげると鷹取先輩は立ちました。そして学生証を取り出し、抽象画のようになった自分の写真のページをがばっと開いたのです。
「勘違いしないでほしいな! 僕が好きなのは僕のことだけだっ! この学生証に貼ったのは自分で撮った百数十枚の候補のなかから、選りに選った超・お気に入りの写真! もちろん予備はあるけれど、単純に汚れを落としたり張り替えるだけで、この美しい写真に手を加えられた屈辱が晴れるものか! 僕は誓ったんだよ! らくがお仮面を懲らしめるまで、断じてこの写真は変えない、と!」
「な……!」
なんというナルシスト! 美咲紀は思わずベンチからずり落ちそうになります。
「え……マジ? でも」
修は鷹取先輩の写真を見ながら言いました。
「汚れ……落ちてるよ……」
「何だって?」
修の言う通りでした。鷹取洋二先輩の写真から絵の具の類はすっかり消え、やけに得意そうにしたキメキメの彼の顔(ドヤ顔、というやつですね)が再び現れていたのです。
「お、おわーー! なぜだなぜだなぜだ! ホワーイ!?」
背筋でも測る気かというくらい鷹取先輩は仰け反って、しかもそのポーズのまま硬直しました。
なお、このとき、
「わかめ兄ちゃんの『ギャフン』とはあれかー!」
人知れず小麗が、小躍りしていたということだけ、こっそりとここに記しておきます。
らくがおされた写真が戻ったこと、これは修の『ろっこん』がなした奇蹟でした。彼は物質を分解する能力を持っているのです。巨大なものが相手は無理ですが、これくらいのものなら朝飯前だったりします。
この小騒ぎを見て、やや離れた地点から登場タイミングをはかっていたブリジット・アーチャーが、「出番ですね」とつかつかと歩み寄りました。
「取り込み中、失礼します。ミステリ研究会のブリジット・アーチャーと言います」
本当はミステリ研の残りのメンバーも集まってから派手に出て行くつもりでしたが、タイミングが合わないのなら仕方がない。彼女はぴしりと指さしして言いました。
「私は先輩のお話の矛盾に気がついていました。学校指定のジャージは学年で色が違うから、追跡した先輩は後ろからでも学年はわかったはず……それなのに先輩は学年をおっしゃらなかった。おかしいですよね……? 先輩は真犯人の見当がついてるんじゃないですか?」
いやそれは、学校指定のジャージじゃなかったから……と先輩は言おうとしたのですが、写真の落書きが消えていたのがよほどショックだったのか、掠れて小さな声にしかなりませんでした。
ここで美咲紀が畳みかけます。彼女は豁然と理解したのです。
「わかったわ、すべてが。……私は悲劇だと思う」
「悲劇?」
修が訊き返しました。
「ええ。八神さんの推理も事実で、鷹取先輩の主張も事実としたらどう? つまり、八神さんは『先輩はらくがお仮面のことが好き』と言った。先輩は『僕が好きなのは僕』とおっしゃった。その両方が真実なら……」
ブリジットがふっと笑みました。
「つまり、『先輩こそがらくがお仮面だった』ということなのね……!」
「冗談はよしたまえ」
先輩はひきつったような笑顔を向けました。美咲紀は首を振って続けます。
「芸術肌っぽい先輩は実は二重人格で、もう一人の自分が犯行をしている可能性が大きいわ! それならすべてのつじつまが合うもの!」
「だからそんなことが……」
と否定しながらも鷹取先輩の額には、ふつふつと玉のように汗が浮き出ているのです。
「大いにありえることです。先輩は、あまりにらくがお仮面に詳しすぎました」
ブリジットが冷静に言います。
さらには修も納得したようで、ゆっくりとうなずきました。
「先輩……もう、観念したらどうだい? 精神科医に診てもらおう」
三方から三者に責められ、鷹取先輩はもう耐えきれなくなったようです。
「そんなことが……そんなことが……おわあああああああああ!」
彼は絶叫すると頭をかきむしり、そしてばったりと倒れたのです。
ところが彼が伏していたのは数秒のことでした。
ぴょんと弾かれたように立ち上がった先輩は、異様に鋭い眼をしてクッククと笑い出したのでした。
「そうだったのか……僕こそが、僕こそが『らくがお仮面』だったのか!」
顔は同じ鷹取先輩です。ですがその目には、危険な光が宿っています。
「うおお、芸術魂がほとばしる! 燃える! 燃えるぞお!」
あきらかに危ない人の目つきで先輩は、自身の鞄を引き裂くように開きました。先輩は芸術科なので絵の具、絵筆はいつも持ち歩いています。その一式をがばと両手でわしづかみすると、
「おわああああああ、燃えてしまう! 燃え尽きる前に、このらくがお魂を初代校長像にぶつけるのダァー!」
言うなり突然、疾風のように彼は駆け出したのです。
迅い迅い、まるで追いつけない速度であり脚力ではありませんか。
慌てて修は声を張り上げました。
「らくがお仮面だ! そいつがらくがお仮面だ! 捕まえてくれ!!」
はじめての方へ
遊び方
世界設定
検索
ヘルプ