●らくがお! 追走劇!●
「だりぃ……」
稀音家 歌乃(きねや かの)は噴水際に腰掛け、背筋を伸ばしながら大きな欠伸を噛み殺しました。背中の骨がぱきぱきと鳴ります。
本日、歌乃が起きたとき、時計の針は十二のところをとうに回っていました。それでも用事があるので彼女は仕方なく学校に来ましたが、それがたちまち終わってしまって、なんだかぼんやりしているのでした。もう今日の一日は用事を済ませたところで終わってしまって、あとはおまけのような気がします。
彼女はしばしヘッドフォンをつけて音楽を聴いていたのですが、あいにくと充電切れでプレイヤーが止まってしまいました。これがまた、いやにやる気を奪うではありませんか。
「今日はどーすっかな……まっすぐ家に帰る気にはならねーし。レコードショップに行くのも微妙だよなぁ……」
この中途半端な一日を、一体どう過ごしたものでしょう。時間の潰し方に困る日というのもあるものです。歌乃は頭を悩ませました。
それはそうとして今日は、なんだか学校の様子が変です。妙に緊張気味というか、ぴりぴりしているというか……何かあるのでしょうか?
そのとき、
「はーい、開けて開けて~」
「すまんなあ、ちょっと開けたってやー」
二人の女生徒が出てきて、歌乃が座っていた場所のちょうど前面を確保しました。一人は大きなビデオカメラを担いでいます。
「……何だ? 騒がしくなったな……めんどくせぇ……」
と見ている歌乃の前で、
「らくがお仮面くんを捕獲するよー!」
意気込む彼女は三ヶ島 葵(みけじま あおい)なのでした。
「らくがお仮面? 何だそりゃ。だっせーネーミング」
ぽつりと呟くと、それを聞きとがめたのかもう一人の女生徒、西野町 かなえ(にしのまち かなえ)が歌乃のところまで来ました。
「うちら美食クラブ言うねん。ほら、あれ見えるやろ? あの胸像に落書きしようとしてるフラチ者がおってなー。それがな、笑ってまうけど『らくがき仮面』って名乗っとるねん。うちらの野望のために、そういう妙ちくりんな人員は備品……いや、人材として確保したい思っとるんや」
かなえは色々とらくがお仮面について語りました。その者がついさっき正体を明かし、現在こちらに向かっているとの報が入っているとのことです。
「学生証にまで落書きねぇ……って事はスプレー缶とかじゃなくてペンとか筆とかで落書きすんのか? まったく、ヒマっつーか元気が有り余ってるっつーか……」
バッカバカしい、と思いながらもなぜか、歌乃はこの場所から動く気になれませんでした。
何が起こるのか、ちょっと気になってきたからです。
……あくまで『ちょっと』ですよ。
「あー、ぽかぽか陽気ねー」
詠坂 紫蓮(よみさか しれん)は講堂脇を歩いています。今日の用事はもう終わり、家まで帰るかここに残るか……いずれによ、紫蓮の望みは一つでした。
――こんな日はお日様の下でさわやかな風を受けて、ゆったりとお昼寝したいわー。どこかいい場所はないかしら。
このとき彼女が見つけたベンチは、ちょうど講堂沿いにあるものでした。
「あ、ちょうどいいところにいいものが」
と倒れ込むように横になると、たちまちぽかぽか、すやすやー……です。
そんな紫蓮はあっという間に熟睡してしまって、すぐ横で展開された鷹取先輩と椿美咲紀、八神修らのドラマには気づくこともありませんでした。当然、直後に行われた追走劇についても……。
迅い。本当に迅い。
「僕がッ、僕がらくがお仮面だったんだァー! ヒャホーイ!」
まるで鎖から解き放たれた猟犬、鷹取先輩はものすごい形相で疾走します。転がってくるボールを弾き飛ばし生け垣を跳び越え、ランニング中の空手部員を押しのけ倒してしまうという、たぐいまれなる爆走であり突進です。今の彼にはロケットエンジンでも積まれているのでしょうか。
「また、面倒事か……」
ぼやきつつも、美食倶楽部の如月 庚(きさらぎ こう)は、中庭につづく位置に設置された隙間から飛び出しましました。
「『仮面』ってのは名前だけだったようだな」
庚は目を凝らしました。迫り来るは、人間砲弾のような鷹取先輩、冗談のように土埃を上げて迫ってきます。
続いて岩国ソワカが隙間から飛び出しました。
「ほら、あれです! フェア フォルグ(追え)! ベフライエ ニヒト(逃すな)! 怪人捕獲だララライチ!」
位置は十分、ソワカの号令を聞きながら、庚は構えると同時に『ろっこん』を発動させました。身を引いて鷹取先輩を通すかとみせかけて、彼が駆け抜ける直前、蒼く輝く右の拳を、先輩の足元を狙い打ち込みます。
「これで体勢を崩せれば……!」
コンクリートの足場というのになんということでしょう、庚の拳はこれをやすやすと砕き、硬い破片と石の粉を吹き上げさせたのです。
ですが庚の目論みは破れました。鷹取先輩は奇声を上げながら、コンクリートの地面を抉るような一撃を、これを放った庚ごとひらりと飛び越えたのです。
ソワカの『ろっこん』は、挟んだ対象を別のスキ間に瞬間移動させるというものでした。ソワカたちの前を通過した鷹取先輩を止めるべく、そのさらに鼻先となる位置にある隙間から、高尾 日菜(たかお ひな)が出現します。
彼女は鷲の絵を既に描き終えています。これが彼女の力の象徴。手を叩いてから絵に触れると、日菜の『ろっこん』が発動しました。絵から飛び出したのは一羽の気高き鷲。人間の可聴音域を超えるほど高く吼えるや、鷲は力強く羽ばたき、日菜が伸ばした腕に止まります。
「ルーくん! 構えて! ……襲え!」
日菜が告げると、鷲は矢よりも速く鷹取先輩を追いました。ですが鷹の速度もなんのその、鷹取先輩は、
「もう何者も、僕を止められはしないっ!」
断言するやフィギュアスケーターのようにジャンプ、くるくると身を捩って鷲を避けると、これを嘲笑うように回避したのでした。
しかしこれで終わりではありません。待ち伏せしていた生徒たちが次々と、鷹取先輩阻止に動きました。
「これでも喰らうといいデス!」
シャルティ・ヴァルクリスが噴水の水を、氷玉状に凍らせて投げます。
「『電光石火の早業』も、私の撮影の前には無力ですよー」
と言って、三ヶ島葵が彼に力一杯カメラを向けます。撮影した対象の体力を少しだけ奪うのが葵の『ろっこん』、しかし鷹取先輩が猛スピード過ぎて上手く撮影できません。
「それやったら、うちが気絶させるだけや。豆腐の角に頭でもぶつけとれ~」
西野町かなえが『ろっこん』を発動すべく豆腐を投じるのですが、これも暴走状態の先輩には当たりません。命中しなければ意味がない、これが悔しいところなのです。逆に言えば、当たりさえすれば一発KOなのですが……。
鷹取先輩を止めるものはない……ように見えますが、胸像までの道は多数の生徒ががっちりとガードしているという状態、先輩は「ひょー」などと奇声を上げるものの目指す胸像までは近づけません。
そんなおり、
「描いてください!!」
と、彼に必死の併走をする姿がありました。立井 駒鳥(たてい こまどり)です。彼は脚力には自信があります。なんとか先輩に追いつき、中学時代の写真を差し出しました。もちろん、自分の。
「はいやー!」
鷹取先輩は右手にパレットを持ち、左手の筆で颯爽と、駒鳥の写真に愉快痛快な芸術らくがおを施しました。
「ありがとうございますーっ!」
絶叫気味に叫んで駒鳥は彼から離れました。この写真、大切にしたいものです。
そうこうする間に、中庭にどんどん生徒が集まってきました。
もし仮に、すべての生徒がらくがお仮面こと鷹取先輩を捕らえるべく待ち伏せていたのであれば、さしもの彼とてひとたまりもなかったでしょう。しかし、駒鳥がそうであったように、すべてが鷹取先輩の敵ではありませんでした。むしろ味方もたくさんいました。
「へえ、あれがらくがお仮面? 結局鷹取先輩だったわけね……ま、あたしの生徒証明写真は3D映像で立体化するから落書きなんて無理なのだけれど……」
校舎の窓から中庭を見下ろす宇多野・ユニ・アヴァロン(うたの・ゆに・あう゛ぁろん)もいわば鷹取先輩の味方です。彼女は特にらくがおファンというわけではありませんでしたが、全員で追い込み漁をするようなスタイルはあまり気に入るものではなかったようです。
「あれじゃ多勢に無勢じゃない。まぁ、犯人捜しに必死になってる人にちょっといたずらでもかけようかしら?」
そう決めると、なんだか頬にえくぼが生まれてしまうのです。
――どうせ暇だし、暇つぶしぐらいにはなりそうね。
何か生活に変化が出るのではないかとひそかに期待し、上流階級の生活を捨てて寝子島高校に入ったアヴァロンです。こういった事態は歓迎したいところ。
アヴァロンがパチンと指を鳴らすと、中庭にチーターが出現しました。本当のチーターではありません。チーター型のロボットです。ロボはむきだしの金属ボディ、しかしそれが逆に、チーターのしなやかで均整の取れた肉体、走るに適した筋肉を浮き立たせる格好です。
――さあ、行きなさい! 私の暇つぶしのために……!
彼女の念を受け取ると、チーターロボの目が鈍く光りました。そしてロボは、縦横無尽に中庭を駆け巡ったのです。ロボは牙を剥き獰猛に暴れます。これにたちまち、算を乱してしまうもの多数です。中庭から逃げてしまった生徒も何人かいます。
また、加藤 信天翁(かとう あるばとろす)のような『協力者』もいます。
「鷹取先輩さんがらくがお仮面だったんだ……感じるよ、僕は。らくがお仮面のスピリット! ソウルって奴を! ちょっとした規模では留まることを知らない広大な熱意を! 意欲を! コズミックパッションを!」
コズミックパッション――これがまさに自分の言いたかったことだと不意に気づいて、信天翁は突然、天の啓示を受けたような気持ちになりました。
――鷹取先輩の内から湧き出る情熱からくるであろうその行動と、僕が女体に関心を抱いてその肌に触れたいと思うこと何の違いがあろーか!
あるはずがない、彼はそう結論立てて、
「方向性にちょっとした違いはあっても根っこ的な部分はきっと同じ! ……ゆえに! 僕は協力者になろう!」
と叫ぶや、彼はその『ろっこん』こと『カラワタリ』を解き放ちました。これは次の着地まで最大で五回、何も無い空間を踏み蹴って空中で跳躍するという奇蹟の能力です。
信天翁は望みました……らくがお仮面には、次のステップへ進んでもらいたいと。
だから彼は立て看板を持ってきました。鷹取先輩が数時間前に立てていたのとほぼ同じものです。ここには『らくがおめされいっ!』と太い筆でしたためられています。
これを信天翁は自分の目の前の地面に突き立てました。
「さあ、鷹取先輩……いえ、らくがお仮面! 僕の顔にらくがおしてよ! 聞く所によると先輩は、肖像画や人物写真、彫像にしか手をだしてないらしい……ならば次は人の顔にらくがおするべきだ! そうする事でらくがお仮面の情熱はまた一歩、階段を上がるのさ!」
でも残念ながら鷹取先輩は、信天翁の立て看板には興味を持たなかったようです……。やっぱり生物にらくがおするのは好みではないのでしょうか?
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