●美食クラブ、暗躍す●
天衣 祭(たかえ まつり)はしばらく黙って、じっと耳を澄ませていました。
そして、首を振って言ったのです。
「……いい曲だな」
その首の振り方は、ちょっとヘッドバンギングに見えるかもしれません。
祭は今、自身の『ろっこん』を用いて聴覚と視覚以外の五感を断ち切っていました。このことにより、聴覚と視覚が抜群に強化され、超人的感覚の持ち主となったのです。これで情報を集めようとしたものの……耳に届いたのはそのほとんどが、軽音楽部が現在行っているゲリラライブの音ばかりでした。
耳がよくなっただけに非常にクリアに聞こえます。九條ノエルのヴォーカルは、その息づかいまで伝わってくるようです。
「しかし……」
と祭は静かに言いました。
「お陰で、残念ながららくがお仮面の情報はまるきり入ってこない」
「フフ、まったくもって困ったことですね」
と大人しく笑っていたかと思いきや、クウウーン、と妙な声を岩国 ソワカ(いわくに そわか)は上げ、猫が柱で爪を研ぐような謎の動作を繰り返しました。
「くーぅ! 近年まれに見るかぶき者、『らくがお仮面』……スゴクイィ! そんな前衛的なアーティスト、欲しいっ、我々のクラブの備品に是非ほしいッ!」
ソワカのいう『寝子島☆美食クラブ』とは何でしょうか。名前だけなら美味いものを求め活動するグルメな集まりのようですが、その実、彼らは学園征服を目指し暗躍する危険な(?)集団なのでした。ちなみに所属は全員一年生、まだ入学したばかりだというのに結社を作り、このように大それたことを目論んでいるのが結構怖いですね。この集団をまとめあげているのがソワカです。彼女は大手製薬会社『スワ製薬』に連なる令嬢にして希代のカリスマ的指導者であり、その名はこれから、寝子島高校に轟く……予定です。
「とはいえ準備は大切。備えあれば憂いなし、備えなければトランキライザー、とは昔から言うところ、しっかり準備を整えなくては」
などと言いながらソワカは、人気の少なそうなところばかりになにやら隙間を作っているのです。これは一体なんなのでしょう?
さて一方、美食クラブの他の面々も、着々と行動を開始していました。
緑野 毬藻仔(みどりの まりもこ)、畑中 華菜子(はたなか かなこ)そして吉野 夕弥(よしの ゆうや)の三人は、まず一旦集まり、それぞれどうやって囮になるかを話し合っています。
「ひとまず、顔が書かれた物に落書きされるらしいし、ハンカチに顔イラストを描いてみて、ポケットに入れてみようと思ってるー」
これが毬藻仔の作戦です。
「私は生徒手帳を使うアル」
華菜子はビシっと生徒手帳を取り出しました。
「中庭で生徒手帳を落として張り込みアル。らくがお仮面が噂通りの人なら、きっと生徒手帳目指してやってくるに違いないアル。カッコよく落書きしてくれるなら私は大歓迎アルよ」
なるほど、と言って夕弥は自分の作戦を話します。
「僕は似顔絵を用意して来たんだ」
これなんだけど、と彼が広げたのは、選挙ポスターよりさらに一回りほど大きなカンバスに描いた肖像画でした。
「顔に落書きするなら、大きく顔を描いたこの絵に反応するよね……って、下手すぎて顔だって分からない? えぇ……」
夕弥は毬藻仔、華菜子の二人に絵を見せて、誰を書いたか当てさせようとしたのですが、二人とも「さっぱり」という主旨の回答をするに留まりました。
「正直……誰の絵かわからないから描いてもらえないかも」
ごめんね-、と恐縮しいしい毬藻仔は言いました。
「でもこれ、みんながよく知ってる人だよ。本当にわからない?」
「これは希代の難問アルね……わからナイアル-」
「えっ? それ、『ない』なの? 『ある』なの?」
「あるアルね、いや、ないアルになるかこの場合? あー……つまり、あるかもしれないしないかもしれないアル。ないかもしれないアルし……えっと」
自分でもこんがらがってきて、しばらく華菜子は黙って頭を整理しましたが、
「とにかく、頑張ってほしいアル!」
と、やたらときれいにまとめて、中庭に生徒手帳を落としに行きました。
「じゃ、じゃあ私も囮になりに行くから」
これ以上コメントを求められても傷つけることしか言えない気がして、毬藻仔もいそいそと立ち去ります。
「それなら僕も行くかな……」
しげしげと肖像画を眺めて、夕弥は肩を落としました。
「……やっぱり下手かなあ」
確かにこれは、らくがおする前からもう抽象画の世界かもしれません。
「でも他に用意してないからコレ持ってみるよ」
夕弥はとぼとぼと向かうのでした。
なお結果は、毬藻仔はあまりに胸像の周囲を歩き回ったので逆に、らくがお仮面を探している人たちに警戒されるはめになり、華菜子は手帳をセットし隠れて待っている間にうたた寝してしまい、そして夕弥は……誰も近寄らないという寂しい結果に終わったのでした。
「正体不明のらくがお仮面さん……。その仮面を剥いだらさぞかし楽しいことになりそうですねぇ」
などと黒い、イカスミスパゲティより黒い笑みを浮かべて、葛城 璃人(かずらき りひと)は胸像の周囲を物色していました。現在、軽音楽部が派手なライブを近くで開催しており、電光がひた走るようなギターソロが聞こえてきます。
このとき璃人は、中庭で花壇の手入れをしている少女に目を止めました。どこか儚げな印象を受けます。上級生のようですね。ある意味すごいのは、近くでロックバンドが激しい演奏をしているというのに、彼女がなんら動じず仕事に専念していることでしょうか。
直感的に璃人は、彼女を怪しいと感じました。あの落ち着きぶり、気になります。
「あの……。お時間ちょっと良いですか……?」
言いながら璃人は近づきました。もじもじとしたこの口調と物腰はいずれも彼の演技です。女子制服と言うこともありますし、これなら怪しまれないはずです。
上級生……アネモネ・アドニス(あねもね・あどにす)は璃人を見ると、やや身をこわばらせて、
「新入生の方ですわね? 四月が終われば、もうじき夏ですから。夏に向けて手入れをしておりますの……」
アネモネは顔を下に向けました。なぜか璃人と目を合わせないようにしているようです。これでますます、璃人は不審感を強めました。
「……あの、お話が……」
「なんでしょう」
「……その、できれば人のいないところでお話ししたくって……はぅ」
上目づかいで申します。そして赤面度合いはアップ。これぞ演技派の真骨頂、必殺の純情可憐な少女モードです。
ところがまるでアネモネは興味を示さず、
「花壇の手入れがありますので」
と拒否する構えではありませんか。
これはいけない、と璃人は一旦その場を離れ、近場にいたチームメイトの電工 暁(でんこう あかつき)に声をかけました。
「むぅ、その三年生が例の問題人物の可能性ありとな……」
ちらっと遠目にアネモネを観察し、暁は腕組みしました。
「しかし正体を見つけ出すのは難しいな。本当にあの人がそうなのか?」
「りぃの演技に誘われないなんて怪しいのですよ」
璃人は納得しません。さらに彼は、自分の『兄』たる加瀬 礼二(かせ れいじ)を携帯電話で呼びだしたのです。
「ありがとうございます、璃人♪ 捕まえた人はどこ? 早速『味見』ってことでいいですかぁ?」
ロリポップキャンディをくわえ、へらへらと笑いながら礼二が姿を見せました。彼は片手にオペラグラスを持っております。
「違うんです。まだ捕まえてないんですよぅ」
悔しそうに一部始終を語る『妹』に、あっさりと礼二は言うのです。
「なら、さっさと捕まえちゃえばいいじゃないですかぁ? そして楽しい尋問ターイム♪」
言うなりためらわず、礼二は花壇に足を踏み入れていました。
「アナタが『らくがお仮面』さんですかぁ?」
礼二は、ちろっと舌を伸ばして迫ります。なぜなら彼の『ろっこん』は、舐めた味で相手の嘘を見抜く『真実の舌』なのです。一度舐めるだけで十分。真実を言っている相手は苦い味、嘘なら甘い味がすることでしょう。
立ち上がったアネモネが逃げると見たのか、璃人は自身の『ろっこん』で魔法のステッキを出現させていました。
「テニス部で鍛えた素振りの腕をなめないほうがいいのですよ……?」
いい笑顔を向けて脅します。
さらに暁が、小さな球状の雷を己の手に宿らせました。
「手荒な方法は使いたくない。できれば素直に降伏してほしい」
しかし、アネモネはそれに応じませんでした。
「人に迷惑をかけてはなりませんわ。もちろん、花にもですの」
はっきりと言って、礼二の肩を叩きました。
彼女が最初、璃人と目を合わせようとしなかったのは、本能的に璃人が男性だと気づいたからかもしれません……アネモネは男性が大の苦手なのです。けれど今、アネモネはそのようなことは忘れていました。風紀委員としての使命感、そして花壇を愛する気持ちが、アネモネを普段の何倍も強くしています。礼二の目をまっすぐに見据えていました。
「あなたたちもです。風紀委員として注意指導を行います。今すぐ花壇から出て行きなさい」
さらにアネモネは璃人、暁と順に見据えて、毅然とした表情で注意を繰り返したのです。
礼二は少し、戸惑いましたが、大人しく引き下がるつもりはありません。アネモネの手を取ると、やおらその指をひと舐めしました。
「……ん?」
このとき礼二は、これまで味わったことのない感覚に目を白黒しました。魂にぽっかりと穴が開いたような、足元が急に崩れ、二十センチ四方の足場しかなくなったかのような心細さと不安があります。彼は瞬時にして理解しました。自分の『ろっこん』が、封印されているのだと。まるで味がしません。苦いも甘いもないのです。
「おやめなさい!」
ぱん、とアネモネは彼の手をはたいて振り払いました。
「何のつもりです!?」
静かな怒りをたたえて言います。
恐らく、アネモネは自分の『ろっこん』に気づいていないなと礼二は直観しました。ですが、それだけに恐ろしい。これ以上のことが起こるのか、そしてこれが、いつまで続くのか……まるで未知数なのです。
けれどそれを表情に見せず、
「あっは、そんな怖い顔をしないで下さい~」
礼二は再度へらりと笑って、戻りましょう、と二人に告げました。
「このような方が、らくがお仮面であるはずはないですね、よく考えれば」
失礼しました、アネモネに丁重に頭を下げて立ち去ったのです。このあたり実にスマートです。
「えっ、でも……?」
璃人はまだ何か言いたそうでしたが、
「行った方がよさそうだ」
暁に促され、不承不承ながら礼二の後を追いました。
そのほうがいいかもしれません。いつの間にか花壇を、数人の生徒が囲んでいたからです。もしこれ以上問題を起こせば、一悶着は避けられないでしょう。そもそも、らくがお仮面の可能性が少ない人に、これ以上関わるのも本来の目的から外れます。
三人はこの場から退場しました
なお、礼二の味わった喪失は、数分後には回復していたということを記しておきます。
はじめての方へ
遊び方
世界設定
検索
ヘルプ