「あ、石けん間違えて持ってきてもうた」
西野町 かなえ(にしのまち かなえ)は素っ頓狂な声を上げた。
今日はかなえも所属する美食クラブの女子のお泊まり会がある。会場は、商店街でお豆腐屋さんを営むかなえの実家だ。楽しいお泊まり会の前に、まずはお風呂と言うわけで、皆で杜の湯に来ているのだ。
白い湯気の沸き立つ浴場で、石けんでないものとにらめっこするかなえ。
隣りのシャワー台に座る天衣 祭(たかえ まつり)は、かなえの掌の上でふるふると震える”豆腐”に怪訝な顔を見せた。
「……なんでこんなところに豆腐が?」
「え、かなえちゃん、お豆腐と石けん間違えちゃったの?」
高尾 日菜(たかお ひな)が声をあげた。
「私の石けんでよかったら使う? これ、お気に入りなんだぁ!」
「お、ほんまに? ありがとー。ええにおいの石けんやなー♪」
「……って、おかしいだろ!」
虎沢 英子(とらさわ えいこ)が突っ込む。
「豆腐と石けん間違えねーだろ! てか、日菜もなに普通に流してんだよ!」
「ほら、かなえちゃん、ちょっとおっちょこちょいなとこあるし」
「そういう問題か!」
「でも、うちの家豆腐屋やし。こんなことしょっちゅうやで。自前の豆腐はいっつも持ち歩いてるしなー」
「何のために豆腐持ち歩いてんだよ……」
ほんとに。
「それにしても……」
かなえは祭の背後に回り込むと、おもむろにその胸を掴んだ。
小学生のように小柄で顔立ちも幼い祭だが、胸だけは良い感じに育まれ、高校生とは思えないほど立派だ。
「ええなー、おっぱい大きいなー」
「やめろ。くすぐったい」
「揉んで減るもんでもないし、むしろ増えるかもしれへん。そんな、けちけちせんでもええやんか」
「あ、かなえちゃんばっかりズルい。あたしもあたしも。ねぇねぇ、何食べたらそんなになるのー?」
二つの乳を仲良く半分、日菜も一緒に乳をもみもみ。
「や、やめろ」
「うふふ、よいではないかよいではないか」
「む……胸ならば、虎沢も大きいだろ」
「あたし?」
見た目も中身も男っぽい彼女だが、確かに言われてみれば、スタイルは抜群だ。
「まぁ鍛えてるからな。祭ほどじゃねーけど、胸とくびれには自信はあるぜ。Dだぜ、Dだぜ」
「うう、なんて妬ましいアルファベットなんや」
かなえはぺったんこの自分の胸に手を当てた。
「……ま、その分、空手やってるから打ち身とか小さい傷は絶えないけどな。ほんとボッコボコだぜ」
「まぁゼータクな悩み。ボッコボコは治るけど、スタイルはそう簡単になんとかできないんだから」
日菜は英子の胸を鷲掴みにする。
「うわあ!? やめろ! くすぐったいだろ!」
「女同士なんだから、別にいーじゃない、これぐらい。そんなに恥ずかしがらないのっ」
「ふにゃ~お」
「ん?」
不意に、彼女たちの前を猫がぽてぽてと通り過ぎた。
「猫?」
祭は通り過ぎようとした猫の首根っこを捕まえる。
膝の上に乗せてゆっくりと背中を撫でると、猫はふにゃ~~んと気持ち良さそうに鳴いた。
「………………」
表情にこそ出さないが、実は猫好きの彼女。猫の扱いも慣れたもので、楽しく猫と戯れている。
「なんや、この猫なんか口にくわえてるで?」
「そう言えば……」
それは男物の腕時計だった。海外のブランドの見るからに高そうな一品だ。その時計に日菜は見覚えがあった。
「黒崎先生がこれと同じの付けてたよ?」
「教頭が? あー……そうだっけ? よく覚えてるな、そんな細かい事」
英子が頭をポリポリ掻くと、ふふん、と日菜は自慢気に笑った。
「絵を描くには観察が大事だからねっ。それにこの時計、デザインもいいし、ずっと気になってたんだよねぇ」
「……見たところ、この島には二つと無さそうな品だ。おそらく教頭の持ち物だろう」
「けど、なんで野良猫が教頭の時計くわえてるんや??」
「さぁ、それは私にもわからん。この子に直接訊いてくれ」
祭の指先が優しく喉を撫でると、猫は気持ち良さそうにゴロゴロゴロと喉を鳴らした。
「な、なんで猫が銭湯に……。あ、あり得ないわ。常識的に考えて」
我がもの顔で湯船に飛び込む猫たちを目の当たりにして、水随 方円(すいずい ほうえん)はぴくぴくと顔を引きつらせていた。
「ここじゃ珍しいことじゃないわよ」
そう言ったのは、神薙 焔(かみなぎ ほむら)だった。
頭の上に手ぬぐいを乗せ、湯船に溢れる熱い湯にはううぅ……と表情を緩ませている。
「あたしの常識ではまず無いんだけど……、あなたはこの銭湯に詳しいの?」
「詳しいってほどじゃないけど、ここにはよく来るよ。あたし、寮は星ヶ丘なんだけど、あそこのお風呂は無闇に広くってさ。ひとりで大きいお風呂に入るのも落ち着かないじゃない?」
「まぁ、あたしも星ヶ丘だからちょっと気持ちはわかるかな……」
「それに、風呂上がりのフルーツ牛乳は格別だしね♪」
でも、と言って、方円は猫を見る。
「猫がいるのはどうかと思うわ」
「え、なんで?」
「普通は銭湯に猫なんていないもの。それに、もし誰かが変身した姿だったらどうするの?」
「あー、なんか変わった人多いもんね、うちの学校。でも、考え過ぎだと思うよー。気にしない気にしない」
「いいえ、気になるわ」
そう言われても方円は、生来の生真面目さからか落ち着かない様子で、むずむずしている。
「あ、こら。身体洗わずに入ってきちゃダメだってば」
焔は湯船に飛び込もうとした猫を抱きかかえ、シャワーのもとへ。
「にゃ~~~」
「暴れないの……ん、なにこれ?」
焰は猫のくわえていた一枚の紙を取った。
「……答案用紙? あ、これ入学してすぐにやった学力テストの答案じゃない。なんでこんなところに……?」
「ちなみにそれ、誰の答案なの?」
方円は尋ねた。
「”白鷺行忠”って書いてある。ええと、うは、3点だ。しかも名前が書いてあるからオマケで3点だって」
「実質0点じゃないの!」
「まぁいいや、乾かしてあとで届けてあげようっと」
焰は女湯の入口に答案を置いた。
「まずはこっち。ほらおいで」
石けんでゴシゴシと猫を洗う。それからあぶく塗れになった猫を奇麗にシャワーで洗い流してあげる。
「皆が入るお風呂なんだから汚れたままはマナー違反なんだよ。猫だからってルール無視は許しません」
「ふにゃ……」
「あとでドライヤーで乾かしてブラッシングしてあげるからね」
「……聞こえるのだ」
李 小麗(り・しゃおりー)は浴場の真ん中で立ち尽くしていた。
(ニッポンに来てからはじめて本屋で立ち読みをしたマンガに銭湯が出てきたのだ。そしたら、銭湯に書いてあった効果音が「カポーン」だったのだ。何故カポーンなのだ……? しゃおりーにはサッパリわからないのだ)
確かにカポーンと聞こえるが、一体どこからカポーンが聞こえてくるのか、よくわからない。
「ぬぅ、あれか? ゲロヨンって書かれた洗面器の音がカポーンの音の正体なのか?」
洗面器を手にとり、まじまじと見つめ、ぺしぺしと叩いてみる。
「……わからん。こう、なんていうか、ばくぜんとしすぎてわからん」
「何してるの?」
あからさまに挙動が不審すぎる彼女に、焰は話しかけた。
「カポーンの正体を突き止めに来たのだ」
「……え?」
小麗は彼女の膝の上に乗る猫に気が付いた。
「猫なのだ」
「え、あ、うん」
猫をつんつんと突つく。
「おまえはここにはよくくるのか? カポーンの秘密はしってるのか? しゃおりーにおしえるのだ」
「にゃ~~」
とその時、ガラガラ~と勢いよくガラス戸が開いた。
「……ったくなんで俺の答案がこんなとこに落ちてんだ? つか、またこんな点数かよー。しょうがねぇなー」
タオルをぱしーんと背中に打ち付けて、呑気に”女湯”に入ってきたのは行忠だった。
「ん? 男湯なのになんかいい眺め……?」
湯気の向こうに浮かぶ見慣れない景色にゴシゴシと目をこする。
「……ははぁ、お前ら入る湯間違えてんぞ! しょうがねぇなー!」
一人で納得して、からからと笑う彼だったが、勿論、世の中には笑って済まされないことがたくさんある。
「間違えてんのはそっちだー!」
焰がおもくそ投げつけた石けんがスコーンと行忠の顔面に直撃する。
「きゃああああああ!!」
それを合図に、女子たちから悲鳴が上がった。
「いでぇ! お、落ち着け! こ、これは何かの間違いなんだ。事故なんだ、事故!」
「不届き者には死を! これでもくらえ! 石けん! 桶! 腰掛け! 猫! ……あ、猫投げちゃった!」
「ふにゃ~~ご!」
「うわああああああっ!!」
バリバリバリと猫に引っかかれ、今度は行忠が悲鳴を上げた。
焰はタオルで身体を隠して、猫に駆け寄った。思わず投げてしまったが、幸い猫には怪我一つなかった。
「おい~~、こっちを心配しろ! 顔面に桶当たってるんですけど! 血が出てるんですけど!」
「うるさいわねっ変態!」
「だ、だからこれはラッキースケベ……じゃなくて事故だって……」
「うるさいのだ!」
「ぶっ!」
今度は小麗の投げた洗面器が直撃した。
「カポーンって音が聞こえなくなるのだ! 静かにするのだ!」
次々に洗面器を投げつけた。
「いででででっ!」
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