●屋上への道!●
「むっ……」
校舎を駆け上りながら、屋上への道を鷹取先輩は模索します。
一直線にいけば読まれて追いつかれるかもしれません。校舎内をジグザグに駆けたほうがいいでしょうか。
二階まで上がったところで彼は、ちらと廊下を一瞥しました。そちらへ行こうかと思ったのですが、廊下に向かう方向には『進入禁止』とでも言うかのようにチョークで一本の線が引いてあって、なんだか嫌な予感がしました。理由はありません。ただの線です。またいでいけばいいはず……なのに、どうしてもそれを「越えられない、越えてはいけない」と言われているような気がしたのです。
「なぜだ。ただの線じゃないか……ふっ、僕としたことが」
どうかしている、と一歩、線を踏み越えようとしたのですが、鷹取先輩は自分の足が、それを拒否していることを知りました。
「無理する必要はないか……白神先輩が予知してくれたように、さっさと屋上へ行こう。うん、そうしよう」
独り言を口にして、鷹取先輩は寄り道せず、階段を上がっていくことを選びました。
彼が踏み込むのをためらい、結局やめた方向。空き教室のひとつから、髪をサイドテールに結ったキュートな顔つきの少女が首をのぞかせました。
「うーん、やるじゃん。私」
フフン、と鼻で笑う彼女は間宮 和穂(まみや かずほ)です。ここまでお読みになって、予想された方もいることでしょう。そうです、鷹取先輩が線を越えられなかったのは、和穂の『ろっこん』のせいなのです。『KEEP OUT』と名づけられたこの能力は、チョークで線を引いた和穂以外、その線を通れなくなるというものなのでした。実はこの階以外もすべて、『KEEP OUT』で廊下や教室には入れないようにしてあります。
「さてと……これで捕まえる準備は整ったわ。さぁ、そのまま逃げ場のない屋上まで一直線よ、らくがお仮面!」
和穂は鷹取先輩の後を追い屋上を目指します。ことの結末を見届けるために。
ぼっち……なんて嫌な言葉なんでしょう。
要するに『独りぼっち』、いつも孤独という意味です。『気持ち悪い』を『キモイ』と略したとき同様、この言葉にもオリジナルの言葉を超える、悪意のこもったいやらしい印象がただようのはなぜでしょう。
七枷 陣(ななかせ じん)だって本当は、そんな言葉は嫌いです。でも、どうしても『ぼっち』を意識してしまいます。だって彼が今まさに、その状態にあるからです。
この時期にもう、友達を見つけ交流を楽しむ生徒も少なくないなか、陣は寝子島にやってきてから今日まで、ずっと独りでいました。初対面の人とはあまり上手く話せないから、入学式で隣の席だった少年にも、クラスの顔合わせのとき正面にいた少女にも、自分から話しかけるなんてもってのほか、話しかけられてもせいぜい、ごく手短に返事する程度でした。今だって、この校舎はほとんど無人だというのに、誰かと目を合わせることすら避けるように、うつむき加減で歩いています。
陣は、不安でした。
授業がはじまっていないこの段階なら、ぼっちだって珍しくはないでしょうが、これから友達ができず独りになったらどうしようとか、そんなことを考えてしまうのです。一日の『ぼっち』なら耐えられる。でもそれが三年間続けばどうなるでしょう? 独りでも平気だと開き直りたい、でも、なれないという、砂を噛むようなこの思いをどうしたものか……。けれど、ぼっちから逃れるためだけに、当たり障りのない会話を繰り返す自分を想像すると、それも嫌だと思う陣なのです。
――じゃあどうすればいい? うわべを取り繕わなくていい仲間を見つけるには?
考えた末に陣が思いついたのが、どこか部活動に入ることでした。たとえば趣味のパソコン、これを部活動で楽しむことができれば最高です。
――僕としてはパソコン部とかがあれば一番良いんだけど。
そう考えながら校舎を回っているのです。なぜか人のいないほう、いないほうへと。
外はなにやら騒がしい。「追え」とか「どこだ」とか聞こえてきます。
――あれはきっと、鷹取とかいう二年生が号令をかけていた『らくがお仮面』とやらの騒ぎか。
まったく、鬱陶しいことこの上ありません。自分には無関係だと決めているから、陣には不快なだけの騒ぎでした。あの異様に張り切っていた鷹取先輩にも、うざいという感情しか抱けませんでした。そもそも彼の天然パーマ、そのワカメっぷりはなんだか許せないものがあります。
「あれなんなの? 死ぬの?」
などと毒づきながら階段を降りていた彼は、いきなりそのワカメパーマ鷹取先輩と正面衝突しました。
あちらは猛ダッシュ、それも、黒い風のような走りで階段を駆け上がってきたのです。一方でこちらは考え事をしながらのぼんやりとした徒歩です。運動エネルギーが違いすぎます。たまったものではありません。
吹き飛ばされました。階段に尻餅をついただけならまだしも、手すりに頭をゴンッとぶつけました。血が流れます…………と、言うのは陣が、頭の中で想像しただけのことでした。
「えっ、な、何や!?」
普段は標準語の陣ですが焦ったときは別、関西弁です。
陣は無傷でした。それどころか衝突すらしていない。ぱっと跳躍し、数段ある階段の踊り場まで飛び上がっていたのです。しかも次の瞬間には階段を駆け下り、一番下の階までたどりついていました。
「僕……何が起こった!?」
はるか頭上から鷹取先輩の走り去っていく音が聞こえてきました。音の間隔に乱れがないところからして、鷹取先輩は陣に気づきすらしなかった可能性があります。
跳躍して衝突を回避、しかも三階からここまで一気に階段を駆け下りた……わずか数秒で、目にも止まらぬ速度で、陣はこれらの動きをすべて成し遂げたのです。
超スピード。これが陣の『ろっこん』です。あの瞬間、唐突に頭を浮かんだ言葉を陣は繰り返しました。
「クロックバースト……」
どこからこの言葉が降りてきたのか、陣には分かりませんでした。
まだ自分のやったことが信じられません。ひょっとしたら夢かも、と思いながら、陣が歩き出そうとしたのもつかの間、
「い……痛たたたたっ!」
彼は現実であることを、嫌というほど思い知りました。
急速に活動した彼の手足の筋肉はこのとき、爆発しそうなほど強烈な筋肉痛に襲われていたのです。
「こ、こ、これホンマ何やねん!? あのワカメパーマのせいかー!」
激痛で満足に動けず、とにかく、手を付いて歩くべくそろそろと壁際に向かった陣を、軽やかな風がかすめていきました。
いえ、それは風ではありません。獅堂 雅輝(しどう まさき)が迅走する姿なのです。
雅輝は、「黙ってれば二枚目」を地で行く男子です。いえ、口を開けば台無しというのではありません。ただ、誠実さがあまり感じられない、軽いキャラクターであることが露呈するのです。女の子大好きのお調子者、たとえ葬式のように暗い雰囲気のなかでも、雅輝はムードメーカーとして場を明るくします。携帯には、女の子の電話番号がぎっしり詰まっているのが彼の自慢です。まあ要するに『チャラい』というわけですね。ちなみに彼自身は、『チャラ男』呼ばわりを悪いと思っていません。むしろ褒め言葉かもと感じています。
「っとー、らくがお仮面こと鷹取先輩、この校舎にいるはずだよね」
ぴたっと雅輝は階段の寸前で足を止めました。おしゃれに着崩した制服、耳に光るはピアス、さりげなくプレミアもののスニーカー、これが現在の彼の扮装です。もうひとつ、ヘッドフォンで音楽を聴いているようでした。
そのヘッドフォンを外し、雅輝は頭上の音に耳を澄ませました。
「……聞こえる聞こえる、やっぱここだな。屋上と見たぜ」
男の尻を追うのは趣味じゃないんだけどなー、と苦笑いしつつ、それでも自分の知的好奇心に駆られ、雅輝はふたたびヘッドフォンを頭に装着しました。
「ミュージックスタート! 今日もDJ・シドのスペシャルチョイスは絶好調だぜ♪」
それが合図、彼は再度、重力など存在しないかのように軽やかに駆け出します。
自分と自分に接触している人や物にかかる重力を軽くする――これが雅輝の『ろっこん』、別名『ダンサーインザムーン』です。オーディオプレイヤーで音楽を聴くことが、その発動のきっかけとなるのです。
重力が軽ければ階段なんて一跳びです。雅輝は十段二十段を平気で飛び越え、
「ちょいと失礼っと」
と、同じく会場に向かう女子(和穂)も飛び越えます。
「おっと、今の娘、可愛いじゃん。あとでお近づきになりたいね」
でも今はらくがお仮面! 鷹取先輩を捕まえれば雅輝の名は学校じゅうに轟くでしょう。
そうなれば、寄ってくる女の子も増えようというものです。
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