●輝け、部活動の星たち(2)●
運動部ばかりが部活ではありません。運動部にしか青春がないはずはもちろんありません。
ここにも一人、きらきらと輝く少女がいました。
彼女は新人ではありません。二年生、いよいよ部の中核として活躍すべき年頃です。されどしかし彼女、つまり錦織 彩(にしきおり あや)は、並大抵の新入生が束になってもかなわないほどに、ガッチガチに緊張していました。だって彼女は、オリンピックメダリスト級の人見知りなのですから。
場所は家庭科室の前、頭には三角巾、そして身を包む割烹着……彩は家庭科同好会の所属、現在彩は部員募集のビラ配りをしているのです。
「かかかかて、かていか、同好会……です……よよかったらみみにき、て、ください……」
舌が震える上、蚊が赤子をあやすような超小声、通る人を見るたびに呼びかけるのですが、果たしてこの声は届いているやら。必死で目を合わそうとするのですが、どうしても怖くて逸らしてしまいます。加えて、少しずつ後ずさっていったりもします。ですが、いくら怯えていても、同好会にかける彩の情熱は本物でした。だから、こんなになってまで勧誘をしているのです。
「ふぅん、これってどんな部活?」
太陽のように魅力を振りまく少女が足を止めました。
くりっとした猫のような目、紅葉みたいな綺麗な赤毛、プロポーションも抜群……分厚く大きな眼鏡をかけ、びくびくおどおどが基本の彩とは、一見、正反対のタイプです。
「ははっはははいィ!?」
びくーっ! という効果音がぴったりな感じで、彩はすくみ上がってしまいました。
彼女は神薙 焔(かみなぎ ほむら)、ドイツの血が四分の一混じった帰国子女なのです。まるで物怖じせず焔はもう一度訊きました。
「ね、どんな部活なの?」
「……うううう、あああ、あのあの、気に入らないかもしれません……」
「大丈夫、あたし対応力高いから。ドイツにいた頃は男の子たちに混じってバスケとフットボールの年少リーグでレギュラーやってたのよ、野球もシュラークバル(※ドイツ式野球、クリケットに近い)なら経験あるし」
すらすらっと話して、右手の指をぴんと焔は立てました。
「テニスは日本のマンガで読んだわ、相手をフェンスにめり込ませて倒したら勝ちよね!」
漫画家も少しは社会的責任というものを自覚したほうがいいかもしれません。ここにも、前出の権兵 衛と同様の信念を抱いている少女がいます。
「そそそそそれ違……」
と弱々しく指摘しようとする彩はまるで間に合わず、焔は話を続けます。
「弓道も一度やってみたかったし、今日一日で部室棟の片側全部に体験入部しようと思ってるの」
「ままままままま待って……下さい」
勇気を振り絞り、実に実にたどたどしくも、彩はこの同好会の活動内容について説明しました。
「あれ? パッチワーク作ったりするの? それに月一度の料理会? スポーツ系じゃないの?」
「ははっはははいィ! ままっままままま間違えているのでは……来る場所を…………?」
なあんだ、と焔は肩をすくめました。
「じゃあ失礼するわ。ま、今日は事情があるからだけど……」
でも、と焔は言い残したのです。
「パッチワークや料理だって興味ないわけじゃないから、またの機会に体験入部するかもね。この家庭科同好会に」
「はっははははいィ!」
またのお越しをお待ちしております、という言葉を彩が言う前に、もう焔はその場から離れていました。
激しい緊張から解放され、いまや彩は崩れ落ちそうなほど力が抜けていますが、それでも、なんだか充実した顔をしているのでした。胸がじんわりと温かいです。話を聞いてもらえた、それに、来てくれるかもしれない、って……。
歩きながら焔は独言しています。
「そういやスモー部は『女の子は駄目』、とか言われそうね。神聖なドヒョー・リングは女人禁制とかなんとか聞いたことあるし……前時代的だわ」
ところがどっこい、次は、その相撲部女子のお話なのです。
「あたしの所属してる相撲部は部員が少なくてねー、活動も今はチャンコ作るぐらいしかやってないし」
ジャージ穿きにTシャツ姿の小野寺 瞳子(おのでら とうこ)は、仮入部に来たという雛形 喜姫(ひながた きき)に言います。
「だから部員が増えるの歓迎~。人数が集まればチャンコパーティーももっと楽しくなると思うから!」
相撲部、といっても、化粧まわしが飾ってあったり着物を着ていたりするのとは違います。土俵は武道場の一階にあるとのことで部室内は、きっちり片付いた近代的なものです。女子もしっかり在籍中、いや、実をいうと女子の瞳子が中心となって活動しているのが、この寝子島高校相撲部なのでした。
いま、瞳子と喜姫の前には、大型のカセットコンロ、そして土鍋があります。鍋からはいい感じで白い湯気が上がっていました。海産物のおいしそうな香りも漂ってきます。
甲斐甲斐しく鍋の番をしているのは、この物語冒頭付近で登場した森蓮です。坊主頭の彼は正座して、時々フタを開けては野菜の煮え具合を確認していました。
で、どうして相撲部に? と瞳子は喜姫に聞きました。
すると喜姫はさらりと、用意しておいた言葉を告げます。
「今までバドミントン一筋で来たからね。この学校にバドミントン部がないから、違う運動部に入るため部活見学をしているんだ」
ふうん、と言ってから瞳子は改めて喜姫を見ました。
「それが、今噂のらくがお仮面を探しすための潜入捜査であってもいいよ。相撲部のメンバーが疑われてるのはなんか不満だけど、これはチャンスかもって思うから!」
なかなか鋭い瞳子なのです。喜姫としてはいくらか迷いましたが、結局正直になることにしました。明るく開放的な瞳子に、嘘をつくのが申し訳なくなったというのもあります。でも、この人にならすべて明かしてもよさそうだ――と直感的に思ったというのが大きいでしょう。
潜入であることをまず口にして、
「僕としても、運動部に所属していたよしみだ。らくがお仮面の疑いをかけられた運動部の疑いを晴らせる手伝いができるなら願ったりかなったり……と思ったものでね」
気に障ったら申し訳ない、と喜姫は頭を下げました。するとたちまち、瞳子は喜姫の手を取ったのです。
「いいっていいって! 謝る必要はないよ。むしろ礼を言いたいのはこっちだよ、正直に言ってくれて嬉しいな。あんたいい人だね!」
もともと明るい顔なのに、さらに、ぱっ、と瞳子の顔に輝きが増しました。
「いい人……かな?」
喜姫はといえば、なんだか照れくさくなって頬をかいています。
「そう! これを機会に相撲部に興味を持ってもらって部員ゲットできればそれでいい! さあ、チャンコにしようよ!」
それに応じるように鍋から勢いよく湯気があがりました。相撲用語では食事全般を『チャンコ』というのですが、この場合は本当にちゃんこ鍋、寝子島高校相撲部自慢の塩ちゃんこだそうです。
「さあ、そろそろ食べ頃です」
マネージャーの蓮がにこやかに告げました。
「野菜は、寮生の許可を得て、猫鳴館にある裏庭菜園からいただいたものです。土中の虫を殺さないよう、根菜はなるべく避けましたが色々とあります。肉や卵、乳製品はありませんが、海産物はその分贅沢に揃えました」
彼の声と同時にフタが開け放たれます。ぐつぐつ、白いスープがふつふつとするなか、目にも鮮やかな具材の数々が視界に飛び込んできました。
これを待っていた、というわけではないのですが、
「たのもー……って言うのよね確か日本では」
そのときちょうど神薙焔が入ってきたので、瞳子はさっそく、
「いいタイミングで来たね。さ、座った座った。話は食べながら聞くよ!」
と、彼女を招くのでした。
「どう、美味しそうでしょ♪ うちのチャンコは、世界を狙える器なんだよ!」
万条 幸次(ばんじょう こうじ)が寝子島に移ってきたのが先月末、環境が変わってからまだ一か月も経っていないことになります。今日はゆっくり朝寝……いや、昼まで寝て、幸次が学校に着いたときにはもう、鷹取先輩の宣言その他は終わった後でした。
それでも欠伸が出たりします。春眠暁を覚えず、とはよく言ったものです。
幸次は部活を探すつもりでいます。彼にとっては知らない土地で、当然、知ってる友達もいないのです。部活に入って交流を広めるのも大切だし、やっぱり高校生活を楽しむのに部活は必要だ――と思っているからでした。
校舎から正門までの、いわゆる『勧誘ロード』を往きます。演奏してたり、着ぐるみがいたり、チラシを配っていたり、様々な光景が広がっていました。一年生ばかりという剣道部員が、お揃いの袴姿で声を上げていたりもします。
けれど幸次は運動部には興味がありませんでした。集中力が必要なものにもあまり関心が持てません。
――ん? なんだろうこれ?
そんな彼が、足を止めたのは黒いポスターでした。
いえ、黒いのではないのです。輝く飛沫のようなものが散らしてあり、深海のような美しさをたたえています……それは、夜空の写真でした。天文部、とあります。
『ひと月に一度、土日に泊まり込みでの観測を行う観測日があります』
『天体望遠鏡の使用はもちろん天体写真を撮ることもでき、本格的な観測ができます』
そのような文句が下方に躍っていました。
「星かー……」
幸次はその光景に、文字に、目を奪われていました。
いつも昼間寝てるせいか夜目が冴えて寝れなくて、よく星空を眺めている彼には、うってつけの部活かもしれません。
「よし、行ってみるか天文部!」
幸次の心は決まりました。
携帯音楽プレイヤーは、大田原 いいな(おおたわら いいな)の耳に、あるロックバンドの旋律を送り込んでいました。ソリッドなドラムの音が血液を沸騰させます。黒くうねるような力強いベースが心臓を鷲づかみにします。ときに悲鳴のように、ときにチェーンソーのように切り込んでくるギターに、魂は真二つにされもっていかれそうです。これが、下手をすると五十年近く昔のバンドのものとはとても思えません。そしてヴォーカルは、いつの時代であろうと不変の、あるメッセージを叫んでいました。
――『十代は砂漠のような物』……よう言うたものじゃ……。儂は……もうこの年で出がらしのようなもんじゃて……何かぱーっと出来るような部活動はないものかのう?
いいなは若干十五歳、けれど色々あって……色々、ありすぎて、いくらか人生に疲れているのです。しがらみから逃げるようにしてこの学校に入ったはいいですが、だからといって急に目の前が開かれるということはなく、ただ茫漠と過ごすばかりでした。この分では授業が始まったとしても、あまりいい展望は期待できそうもありません。行くところもないので今日も無為に登校してみて、無為に校舎内を歩いたりしています。
十代が輝ける青春などと、一体誰が決めたのでしょう? 十代も様々なのです。限りなく黒に近い灰色の十代があったとして、どうして否定できますか。
いいなは、大抵のものには心が動かなくなっています。
目の前を、『顔に段ボール製のお面をかぶせた人体模型』を抱えた少年が横切ろうと別に……。
……顔に段ボール製のお面をかぶせた人体模型!? しかもこの模型、学校指定ジャージを着ている、ですって!
「貴様ちと待てい! 見逃したかったがどう考えても見逃せぬ! それは何じゃ!?」
我慢できなくなっていいなは声を上げました。ヘッドホンは外しています。
「『それ』なんて言わないでほしいな。俺の御木本さんに」
これも一種の、ボーイ・ミーツ・ガールかもしれません。いや、いいな視点からすればガール・ミーツ・ボーイですね。
振り返った少年は、ちょっと垂れ目の利発そうな顔立ちをしていました。
「はて……? どこかで見たことがあるような?」
「俺のほうにも見覚えがあるぞ……あっ」
同じクラスの……、と二人同時に言いました。
普通科一年一組、二人は同級生なのでした。クラスが同じだけではありません。いいなと、彼こと宮田 厚(みやた あつし)は、現在は同じ旧市街の商店街界隈に暮らすご近所さんでもあるのです。
「まあ、『御木本さん』のことが気になるのは仕方ないかな。変なのは認めるよ」
クラスの初顔合わせのときは人体模型はロッカーにでも隠していたのでしょう。厚は基本的に、こうして模型とコンビで移動するのが基本スタイルだと言います。
「一応、変という自覚はあるわけか」
「変人結構、俺は『真っ当な変人』だからね」
ははっと笑うと、厚は人体模型を抱いて石の階段に腰を下ろしました。いいなも並んで座ります。
事情を知らなければ二人の少年が並んで座っているように見えるでしょう。もともと中性的な顔立ちなのに加え、髪をベリーショートにしている いいなは、男の子にしか見えないからです。なお、彼女が制服までパンツルックにしているので、厚もどうやらいいなを『彼』だと勘違いしているようです。
「入学早々、らくがお仮面って怪人が徘徊しているって話を聞いたんだ。この人、胸像とか肖像画とか、とにかく『顔』に落書きをほどこすのが大好きみたい。これは危ない、御木本さんだって狙われるかもしれない! と思ってね」
御木本さんは今のままが一番素敵なんだ、と厚は力説しました。
「それで、その模型、いや『御木本さん』とやらをマスクにジャージで守っているというわけかの」
「そういうこと。あと、御木本さんに手出しさせないために、先にらくがお仮面を見つけて捕まえようとも思ってるんだ。大田原は何してるんだ?」
「儂か? 儂は砂漠をさまよっているようなものじゃ……」
「砂漠?」
「いわば、人生の砂漠じゃ」
ぷっ、と厚は噴き出しました。
「大田原も変なやつだなあ」
「き、貴様に言われとうないわっ!」
と言って、いいなは口を『へ』の字にしてしまいます。
「いや俺が変人なのはわかってるって。でもさあ、砂漠って言うなら……」
「言うなら、何じゃ?」
「砂漠というなら、オアシスを探せばいいのに」
えっ、といいなの固く結んだ口が解かれました。
「わざわざ人生の砂漠を放浪したっていいことなんてないよな。だったら、心を潤すオアシスみたいな場所を探したらいいんじゃないか? 高校生活の間ずっと、砂漠で乾燥しているわけにもいかないだろ……パリパリになっちゃうじゃん」
「……そうか……『心のおあしす』を探せ、か。うむ。貴様なかなか良いことを言う」
「だろ?」
と笑って厚は立ち上がりました。
「じゃあまた授業が始まったらな! さあ御木本さん、行こうよ」
模型の『御木本さん』と一緒に手を振って、厚は姿を消しました。
……『御木本さん』と一緒に手を振って?
「む……??」
今のは目の錯覚に違いありません。いいなは目を擦ってしまいました。だって、半分白くて半分がデロンとした筋肉組織の人体模型が、ひらひらと手を振ったように見えたのですから。
その疑念はすぐに消えました。いいなは気づいてしまったのです。弾かれたように立ちます。
「みぎゃ! い、いままで儂、だ、男子と話しておったのではないかっ!? まぎれもない男性とっ!? ど、どうして……!」
人体模型のインパクトで失念していた事実が蘇ってきました。実はいいなは、ある事情により男性と話すのが大の苦手なのです。普通の場合なら、あがってしまって会話なんてとても無理だったでしょう。それなのに、厚とまともに話してしまった。しかも、なんだか印象的な会話を繰り広げてしまった……それをようやく意識して、今ごろですがドキドキとしてしまったのです。
「ううっ、落ち着け落ち着け……鎮まれ……」
いいなはここにいません。いえ、『いる』のですが、『いません』。
奇妙な表現ですが事実です。さっきまでいいなが立っていた場所には、チョコレート色の髪を肩まで伸ばした、すらりとした美しい女性が立っているのです。年齢は二十歳くらいでしょうか。十人がすれ違えば九人が振り返りそうなほどの美人です。なんとかというタレントに少し似ていますが、そのタレントよりずっと綺麗といっていいでしょう。
これがいいなの『ろっこん』でした。鼓動が早くなると大人の女性に変身してしまうという能力、今回は無意識のうちに発動したようで、彼女はまだ自分の変貌を自覚していません。服がかなりきつくなってセクシーなことになっているわけですが、それすら悟らないくらいに。
「おあしす、か……」
変身した姿のまま彼女は顔をめぐらし、偶然、一枚のポスターに目を止めました。
『化学部です。化学式ほど堅苦しくはないので、興味があれば誰でもどうぞ』とあります。
「儂でも入れるのかのう……?」
と口にしたとき、いいなはいつの間にか元の姿に復していました。
一方、いいなと別れた厚は、ずんずんと歩き出しています。彼は小脇に抱える『御木本さん』に意気揚々と呼びかけました。
「さあて、らくがお仮面探し再開だ。それじゃ頑張ろうなー御木本さん!」
……と、模型の肩を叩いたところ。「はいな」とでも言うかのように『御木本さん』が頷きました。
「おー、御木本さんもやる気だね……って! ええっ!」
どんなに驚いても彼は模型を取り落としたりしません。ですが、滑って石の床に尻餅をつき、『御木本さん』を抱きかかえるような姿勢になっています。
すると、よいしょ、とでも言いたげに模型は自分から足をついて降り立ち、ひょいと手を彼に差し出したのです。「つかまれ」と言っているように見えます。
「御木本さんが動き出してる……!? なんで!? 俺の愛のせい!?」
夢でも見ているのかと彼は頬をつねりますが、もちろん、しっかり痛いのです。
これが、厚が自身の『ろっこん』を認識した瞬間でした。
はじめての方へ
遊び方
世界設定
検索
ヘルプ