１３７１年の寝子島取材｜リアクション

１３７１年の寝子島取材

滴について

「……何から話したらいいのかな……？」
「思いついたところからでいいにゃ」
　うん、と頷き、想花はぽつりぽつりと話し始めた。
「ぼくが見たのは、青い闇だよ。闇……いや、霧……波、だったのかな……。曖昧なかたちの中に、時々人の顔が見えたりして……闇なのに、青く輝いているようにも感じるんだ」
　想花が語りだしたのは、霊界に現れた積み家での出来事だった。
　いや、事の発端は、寝子島のあちこちに謎のストリートグラフィティが描かれたことだったか。ストリートグラフィティの周辺で人が消えるという噂があって――、消えた人は、霊界の積み家に囚われていたのだ。
　積み家は、滴の過去だった。
　彼女が感じてきた負の感情が、彼女が家族や周りの人間から受けてきた虐待――そう言っていいだろう――の辛い記憶が、その家のなかには詰まって、ビデオのように再生されていた。
　想花たちはそこで、滴の人生を見た。
（その過程で、封印していたぼくの過去の忌まわしい記憶が蘇ったことを思い出さざるを得ず苦しかったけど）
　そこは話す必要はないだろうと考え、割愛する。
　時同じくして、現実の寝子島では、滴のアトリエを中心に、滴が仕組んだ魔法陣によって「どろでろろ」の召喚が行われた。ストリートグラフィティは魔法陣を形作るためのキー。滴は魔法陣の中心で自らの命を代償にどろでろろを喚んだのだ。碌でもないこの世界など、闇に包まれてしまえばいい、と。

「一度死んだ滴さんは、復活した。どろでろろを従えて……」
　想花は口ごもる。
「ううん、わからない。あれが本当の滴さんなのか。それともどろでろろの意思なのか……」
　ねこねこ記者は、口を挟まず聞いている。否、挟めずにいる。
　起こったことだけ見ると、滴は敵だ。
　この世界を滅ぼそうという闇の王者のような振る舞いですらある。
　けれど想花には、滴について誤解されたままにしておきたくないという気持ちがあった。
「……滴さんと出逢ったときのことを話してもいい？」
「どうぞにゃ」
「最初は……そう、入学したての新入生歓迎会だったな。なぜか新入生がパフォーマンスをしなきゃいけなくて、憂鬱だったんだけど、そのときたまたま滴さんに出逢ったんだ。何だか気配が、ぼくと近い人な気がして、自然とパフォーマンスを一緒にしてほしいって誘ってた」
　あのときは、滴が描いた絵をもとにした創作ダークファンタジーを想花が語ったのだった。
　スケッチブックに描かれた滴の絵を覗き込んだときの、彼女の気だるい口調が、不意に脳裏によみがえる。

「テーマは死だよ～」

　……思えばあのときから、滴は死に惹かれていた気がする。

　それから、想花と滴は事あるごとに交流を深めてきた。
　そのあいだ、たびたび死のモチーフは纏わりついていたように思う。
　東京へ遠足に行ったときも――。
「美術館で、磔にされたキリストの絵を見ていたっけ……」

　今ならわかる。
　何故、滴があんなに死に惹かれていたのか。
　そんな滴が不安で、気になって――。
「……そのうちに、ぼくは自覚しちゃったんだ。ぼくは滴さんに恋してるって」
　ねこねこ記者に言うつもりのなかった告白が、口から零れ出てしまう。
「だから、どうしてもぼくは未だに信じられないんだ。なぜあんなことになってしまったのか。どうして彼女を救えなかったのか」
「想花ちゃん……」
「ぼくは何もできなかった」
　どうしようもなく惨めで悲しくて──。
　こみ上げてくる想いを抑えることなど出来ようもなく、想花は廊下で膝を抱えて声をあげて泣いた。
　ねこねこ記者は、泣きだした想花に戸惑っていたが、想花が落ち着くまで膝に身体を擦りつけて近くにいてくれた。
「……ごめん、急に泣いて」
「いいにゃ。それより、想花ちゃん、吾輩といっしょに来てほしいにゃ。葵ちゃんが取材していること、想花ちゃんも聞いた方がいい気がするにゃ」

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