●ループ：９４・捕虜たち（５）●


【寝子電スタジアム跡地】

「さっ、それじゃ早速、忠誠の儀式を始めましょっか〜。
　いちばん最初にこの踏み絵を踏むのは、いったい誰かっしら〜♪」

　と、９４回目の踏み絵の儀式を始めようとしたクローネは、目の前の海面で溺れて浮き沈みしている捕虜たちを見て、キョトンとした。
「うわっぷ、み、水ぅ！？　助けてーー！！」
　球場いっぱいになみなみと湛えられた海、その水面でバチャバチャと元気に溺れているのは、雨寺 凛、握 利平、十文字 若菜、アダム・スメルディン、御剣 刀、小山内 海、獅子島 市子、大天使 天吏……などといった、九夜山で捕らえた１０名前後の捕虜たちだ。
「……って、あそっか。当然よね〜」
　彼らとは違って、全てのループの記憶を持つクローネは、ハタと得心する。周囲の物や施設の変化は、ループしても次周に持ち越されるのが、このループ世界のルールだから。
「前回のループで、この球場を半分沈めちゃったから、
　この周回では、最初からグラウンドが水の底なのね〜」
　クローネの言う通り、地盤沈下で半ばまで海に浸かったこのスタジアムは、今では観客席の上の方だけが環礁のように、海面の上に出ている状態だった。その観客席の一画で全裸の女がやれやれとため息をつく。
「やり過ぎちゃったかしら。んもう、これじゃ踏み絵の儀式どころじゃな……
　って、なななっ、何よぅコレ〜！？（じたばた）」
　そこで遅まきながら、ようやくクローネは気付いたのだった──自分の手足や全身に網が絡まり、蜘蛛の巣に引っ掛かったみたいに、空中で身動きを封じられていることに！


「おいおい、何やってんだ？　あのエロガラス」
　目を覚ましたらいきなり海にいたのには驚いたけど、よく考えたら自分は漁師の息子。泳げることを思い出した握 利平は、冷静になって水面から観客席の方を眺める。亀甲目のネットが組んずほぐれつな感じでその裸体に絡まり、ぎゃあぎゃあと悪態をついているのは、確かに人型のクローネだ。
　握と同じくループの記憶は無いけど、パニックからは脱した雨寺 凛も、ちゃぷんと岸の方を眺めて、
「あれって……サッカーゴール？　だよね？　何であんな所に？」
　そう、サッカーゴールだ。観客席にめり込んだ四角いゴール、その枠に張り巡らされたゴールネットがクローネの肢体に絡まり、彼女を宙吊りの磔にしているのだ。
「まさか？　そんな？　さっきのループの、あのコたちの攻撃……！」
　クローネが驚愕に目を見開く。ようやく分かったのだ。
　浅沼 柳司のアイデアで、春山 小枝がハッチの能力を用いて、上空からゴールを落としたあの攻撃。チャチな作戦だと自分は笑ったけれど、あれは攻撃なんかじゃなくって……
「私を次のループで捕らえるための、トラップだったの！？」
　ループ世界のルール。周囲の物の変化は、ループしても持ち越される。それは物の移動も同じくだ。浅沼たちはゴールを動かしてクローネの初期位置に重ね、次の周回に入ったクローネを、そのゴールネットの中に捕らえて身動きを封じたのだ。
「ええっと、何がどうなってるのかよく分からないけど……
　もしかしてこれって、すごいチャンスなんじゃ！」
　ハッと我に返った凛が右耳に触れ、ろっこんで自分を砲撃しようとするのを見て、拘束中のクローネがみっともないほど慌てふためく。手下のコウモリの名を連呼して、
「バッツ！　バッツ！？　ちょっと、どこにいるのよぅ！
　もう踏み絵の儀式なんてどうでもいいから、
　あんたの能力でこいつら全員、今すぐ洗脳しちゃいなさ〜いっ！」
　ガシャ〜〜〜〜〜〜ンン！
　今度はガラスの砕ける盛大な物音がして、ぽかんとクローネがそちらを振り向けば……近くの床一面に散乱している、ガラスの破片。その大きな破片の１つが、卑屈なあのコウモリの顔の一部であることに気が付き、またしてもクローネが驚愕の声を上げる。
「なっ、何ですってええええええええ！！？」
　そう、これは新江 天懸がろっこんでガラス化して撃破した、あのコウモリの残骸だ。
　ループ世界のルールで、生き物のバッツは何度死んでも復活する。けれども、もう１つのルール──物の変化は継続する。ガラスに変えられて砕け散ったバッツは、もはや生き物ではなくただの物だ。物の状態はそのまま次のループにも持ち越されるため、バッツは２度と復活できず……


　新江、コウモリのバッツの完全撃破に成功！
　浅沼＆小枝、らっかみクローネの捕縛に成功！


　そして──
「ちょ、まっ、バッ、やめ……待ちなさあああああああい！！？」
「クローネ！　覚悟しなさーーーーーーーーーい！」
　ギュャィィィィィンンンンンンンンンン！！
　ろっこん【サディスティック・フェイク・ショウ】発射──凛の口からエレキギターの爆音が迸り、その音圧に比例した衝撃波が、ゴールネットごとクローネを空に吹き飛ばす！
「アギャーーーーーーーーーーーーーーーッ！！？」


　そして反撃の凛、らっかみクローネの撃退に成功！



【寝子電スタジアム跡地・観客席】

「こっ、この……おぼえてなさ〜〜いぃ！」
　凛に吹き飛ばされたクローネは、ボロッボロのカラスの姿に戻って海に落ちるのを防ぎ、そんな捨て台詞を吐きながら退散していった。
　追撃してボコボコにしてやりたいところだったけど、凛たちには追う手段がなかったし、ともかく溺れている人の救助が先だ。互いに助け合って、水没したグラウンドから観客席へと這い上がり、ようやくひと息つく。何人かは自力で助かったのか、いつの間にか姿を消している者もいたけど、それに構う余裕もなかった。
　とにかく、状況がよく呑み込めないのだ。ここがループ世界であることすら知らない凛たちは、九夜山でクローネに敗北して目を覚ましたら、いきなり溺れていたという記憶の繋がりなので。
　けれども、それから小１時間ほどすると、捕虜たちを救出しに来たメンバーがこの球場に姿を現した。浅沼 柳司、後木 真央、恵御納 夏朝、黒依 アリーセ、獅子目 悠月、志波 武道、青龍寺 琴理、春山 小枝、日暮 ねむる、飛吹 蓮太郎、ホルス・フォモナンデス、壬生 由貴奈、桃川 圭花、優木 遥斗、夢宮 瑠奈、李 小麗らの面々だ。三羽烏のヒルズとニヒルとハッチの３羽も一緒。
　人質交換に来たつもりの彼らも、その現場が水没していたのには当然驚いたけど、黒依 アリーセほか何人かが取っていたメモで、ループ中の顛末を知る。そうして凛たちもようやく、自分たちが洗脳されて、何度も仲間を襲っていたという事実を知ったのだった。
「そっか、助けに来てくれたんだね！　みんなありがとう！
　誰を襲ったのか思い出せないけど、とにかく
　攻撃しちゃった人はごめんなさい……！」
　と皆に向かって凛は平謝りにあやまる。知らない方がよい事実もあるので、アリーセとて全てを話した訳ではなかったけれど、大事な親友との再会を、今は心から感謝する。



「お帰りなさい……凛さん」


「わ、私……何てこと……ごめん、ごめんね」
　洗脳時の出来事を知ってショックを受けているのは、十文字 若菜もまた同様だった。
「私が言っちゃ駄目かもだけど、来てくれて有難う。
　助けてくれて有難う。信じてた。
　皆、有難う」
　そして若菜は、クローネ撃退に大きな役割を果たした浅沼 柳司に抱き付き、「来てくれて有難う」と彼の胸に顔を埋める。伝えたかったその言葉を、何度も何度もくりかえす。
「大好き。
　大好きだよ、柳司君」
「うん。うん……俺もや」
　浅沼も不器用に、彼女の背に手を回しながら。
　少し落ち着いた若菜は、そっと２人を見守っていた飛吹 蓮太郎の方にも、涙で濡れた顔を上げて、
「飛吹さんも、約束を守ってくれて有難う」
「若菜ちゃん。僕の方こそ、ありがとう」
　ようやく言えた、と蓮太郎も九夜山で助けて貰った礼を言って、イケメンな笑みを浮かべ、
「たとえ何度ループしようと、きっと君達は
　大事な人達の元へ帰って来るって、僕も信じてた！」


　獅子島 市子もまた、助けに来たメンバーの中に恋人の顔を見つけ、
「ごめん……心配かけて」
　クローネをおちょくっていた時とは打って変わったしおらしい様子で、その彼女に歩み寄る。桃川 圭花は無言で首を振り、そっとその頭を抱き寄せた。離れていたのはほんの数時間だけの筈だったのに、この髪の感触も、微かなチョコの匂いも、ずいぶん久し振りのような気がする。
　何十周もループしていたのだから、それも当然か。圭花はうつむいた耳に、唇を寄せて囁く。
「市子さんは『クローネのもの』じゃなくて『私のひと』。
　返してもらうために、できることなら何でもするわ……」


　９４ループ目で踏み絵の儀式と捕虜たちの洗脳を、未然に阻止。
　らっかみクローネを退け、捕虜の救出に成功！