愛車のバイクを駐輪所に停める。肩に積もる雪を払いつつ、諸星 譲が向かうのは、従妹の詠坂 紫蓮との待ち合わせ場所である寝子島駅。
　駅最寄りの駐輪所を出た途端、寝子島駅をいつもよりもずっと眩しく煌かせる七色のイルミネーションが目に飛び込んだ。
　駅まで続くフェンスにも、駅舎の屋根や窓にも、待ち合わせ目印の七福猫にも、駅前のほとんどがイルミネーションに飾られている。
　静かに降る雪さえ七色に彩る光を夏草色した瞳に映しながら、譲は白い息を吐き出す。一際明るいイルミネーションで飾られた七福猫の前、並んで立つ青年と少女は居るものの、紫蓮の姿はまだ見えない。
　先に着いたことに一息吐いて、七福猫の前に立つ。
　綺麗ですね、と呟く青年の低い声を耳に入れつつ、冷える爪先を幾度か踏みかえる。クリスマス市の雑踏に紫蓮の姿を探す。
(まだかな)
　幼い頃と変わらず真っ直ぐに見上げて来る茜色した瞳を思う。華奢な肩を滑り落ちる艶やかな黒髪を思う。譲にいさん、と親しく呼んでくる声を思う。
　紫蓮に早く会いたかった。
　逸る気持ちを抑え、もう一度雪に息を吐き出す。じりじりと胸ばかりが焦るけれど、
(でも待ってる時間も苦じゃないような……)
　笑みが零れそうになる口元を咳払いに誤魔化して、行き交う人々の向こうに待ち焦がれた少女の姿を見つけた。
「紫蓮ちゃん」
「あ！　ごめんね、譲にいさん」
　手を振り迎える譲に駆け寄り、紫蓮は茜の瞳よりも赤く頬を染める。



「……待たせちゃった？」
　準備に手間取ってちゃって、と口ごもる。
「準備に時間かかるのは仕方ないよ！　女の子だしね」
　申し訳なさそうに見上げて来る茜の瞳が恐ろしく可愛く見えて、譲は夏草の瞳を笑ませる。
　自分のために頑張ってお洒落をしてくれたのかなと思ってしまうのは、
(……自惚れ過ぎかな？)
　それに、待ち合わせ時間には今の今なったばかり。早く着きすぎてしまったのは自分の方。
「ブローチ着けて来てくれたんだ」
「あ、うん」
「……凄く嬉しい」
　誕生日にあげた手作りのブローチが紫蓮のコートの胸元を飾っている。心を込めた贈り物を使ってもらえていることが何よりも嬉しかった。
　ブローチに触れる紫蓮の手袋の手を取る。行こうか、と歩き始めながら、振り返る。
「今日の服も似合ってて可愛いね」
「えへへ、似合ってる？」
　嬉しいな、と照れて俯く紫蓮が、いつもよりも更にキラキラ輝いて見えて、譲は瞳をしばたたく。
「譲にいさん」
　紫蓮は譲の手に手を重ねる。譲の掌にプレゼントの小箱を置く。
　譲に会うまで、可愛い格好ができているかどうか不安だった。とはいえ、クリスマスイブのふたりきりのお出かけ。気合が入らない訳もない。
　頑張りをきちんと認めて褒めてくれたことがとてもとても、嬉しかった。それが譲であればなおのこと。
　そう思う訳を、紫蓮はもう知っている。
「あげる。あ、でも後で開けてね」
　渡した小箱を、譲が開けようとするのを両手で抑えて阻止する。
「この前作ったスノードームなんだけど」
　手作りのスノードームの中には、自分と譲に見立てた人形が入っている。それだけならまだしも、
(キスしちゃってるぽく見えてちょっと恥ずかしいのよね)
　多分大丈夫だとは思うけれど、恥ずかしいは恥ずかしい。
「じゃあ、後で見るね。ありがとう」
　ふわりと笑み、譲は紫蓮の手を引く。綿雪に飾られたクリスマス市を巡る。
　ハーブのクリスマスリース、小さな硝子製のクリスマスツリーにキャンドルホルダー、天使の名をつけたブレンドコーヒー豆、輝石のアクセサリー。ふたりきりのクリスマスが過ぎるのを惜しむように、ふたりはゆっくりと露店を回る。
「……綺麗」
　クリスマス模様の敷布を地面に引いたアクセサリー屋の前、紫蓮はふと立ち止まる。色とりどりの石も華奢な造作のアクセサリーも、どれも綺麗で可愛かったけれど、目に飛び込んできたのは、譲の瞳のように澄んだ夏草色のビーズがついた小さなイヤリングだった。
　買おうかどうか迷っているうち、譲の手がひょいと伸びる。耳飾りと譲の顔を交互に見ているうちに、さり気なく会計を済まされ、なんでもないようにプレゼントされてしまった。
「譲にいさん」
「クリスマスだし」
　どうお礼を言おうか迷ううちに、譲は悪戯っぽくウィンクする。
「俺に出させてよ」
　スノードームのお礼、と言われてしまえば、断る理由も初めからない。
「そうね、クリスマスだもんね！」
　イヤリングを両手に抱きしめ、紫蓮は譲を真似てウィンクを返した。
(一緒に歩けるだけでも幸せなのに)
　空が暗くなっても、クリスマスの今日は堂々と一緒にいられる。
　手を繋ぐ。人通りの少ない駅舎の脇から、駅舎を飾るイルミネーションを一緒に仰ぐ。
　イヤリングを抱きしめた手に雪が降る。譲の掌が伸びて来て、髪についた雪を優しく払う。
「あ、ありがとう……雪、たくさん降るね」
「クリスマスっぽいね！」
　大人の掌と少年のような笑顔に、紫蓮は見惚れる。見つめてしまったことに気付いて慌てて視線を逸らす。
　紫蓮の視線を追うように、譲はイルミネーションの光写し取った夏草の瞳で紫蓮を覗き込む。
「積もるといいね」
「……うん、」
　頬が熱い。きっとものすごく頬が赤い。頬の熱を気取られたくなくて、紫蓮はことさらにはしゃぐ。道に薄く積もった雪に跳ねる。積もるといいね、と言いかけて、
「ッきゃっ……！」
　足が滑った。転びそうになる背に譲の腕が回る。抱きしめられる格好で支えられる。
「危なかったぁ……」
「ご、ごめんね」
「ううん」
　詫びる紫蓮に笑いかけようとして、気づいた。前にも、こういうことがあった。
(あのときだった)
　あのとき、自分の気持ちに気が付いた。
　抱きしめる腕に力がこもる。
「あのね、譲にいさん」
「あのね、紫蓮ちゃん」　
　話そうとして、二人で言葉が被った。譲は笑う。紫蓮も笑う。目を合わせ、きつく抱き合う。
　譲には、紫蓮の言おうとしていることが分かる気がした。
「俺から言わせて」
　やさしい顔のまま囁かれて、紫蓮は高鳴る胸に言葉を詰まらせる。
「は、はい！　聞きます！」
　大真面目に大きく、譲の温かな胸に額をぶつけるように頷く。
「お、お先に、どうぞ……」
　譲の心臓の音が聞こえる。
「最初は、親戚だし妹みたいだなって思ってたんだ」
「うん」
「でも段々なんか違うなって」
「……うん」
　心臓の音が段々と早くなる。耳に届くこの音は、自分の心臓の音だろうか、それとも耳押し付けた譲の胸に響く音だろうか。
「やっとこの気持ちが何かわかった。俺、紫蓮ちゃんのことが一人の女の子として好きなんだ」
「うん……！」
　頬に触れた雪が温かく溶ける。雪よりも熱い譲の指が頬の雫を拭ってくれる。
「あのね、譲にいさん……」
「うん」
「私も、同じ気持ち」
　すき、と囁く。
「好きなの」
　自分の気持ちを確かめるように言葉にする。顔を上げて、思いがけず近く、譲の瞳があった。
「ずっと、ずっと一緒に居たいの」　
　言いながら、譲の胸に顔を埋める。
　恥ずかしすぎた。幸せすぎた。好きなひとの顔を見るのが、見つめられるのが、恥ずかしかった。
「へへ、ごめんね……」
　視線逸らしたことを謝って、髪を撫でてもらえた。
「まだ、暫く、こうしていさせて」
　ぎゅっと抱きつけば、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。
(心臓の、音が聞こえる……)
　夢みたいだと、思う。
「顔あげて」
「ん、」
　請われるままに顔上げて、柔らかなものが唇に触れた。視点が合わないほどに近く、譲の顔。
(これ、これって……)
　キス。
　互いに互いの気持ちを、感触を確かめるように、唇をあわせる。
　唇から溢れる幸せに、紫蓮は睫毛を震わせた。そろりと離れる譲の唇に、今度は自分から唇を重ねる。
「もう一回、して？」
　きっと何度しても、し足りない。
「私の事、離さないでね」