柔らかな陽射しが差し込む穏やかな昼。
清んだ空気が周辺を満たしており
野生動物が時折、喉を潤しにやってくる。
ある少女は静かに語る。
「この泉には妖精達がすんでいるの。
貴方に姿が見えないだけで
ちゃんとここに存在しているのよ。」
*昼の雑談トピックです。
*独り言や探索にもどうぞ
それはまたなんとも怪し…夢のある商品ね?
(言い直した。)
大半の人はジョークグッズの一つとして
購入していると思いたいけど…。
生活がマンネリ化した夫婦なんかには喜ばれていそうね…?
近況?
最近は余裕が出てきて、こうして野草採りにも来られるようになったけど、バレンタイン直前は忙しかったな。ネット通販してた「惚れ薬チョコ」がバカ売れだったのよ。
http://rakkami.com/item/detail/1341
まあ、こんなモンに頼っちゃう時点でどうかと思うから、チョコには注意書き付けといたけどさ。
「お相手からあなたに抱かれる好意が単なる薬の効果に過ぎなくても構わないと本気でお考えの場合のみ、このチョコレートをお使いください。なお、返品は受け付けておりませんが、自分で食べる分には惚れ薬は効果を発動しません」ってね。
今のところ、喜びのお便りも苦情メールも1件も来てないから、チョコが使われたのかどうかも含めて、その後は分からない。
いつもそうできるのが一番だけれど
人間ってそんなに器用じゃないもの。
恨むし妬むし蔑むし憎む。
私みたいな子は、尚更にね。
さて、きっかけは私とはいえ
こんな話をするのはそろそろ飽きてきたわ。
もっと別の話をしましょう?
具体的には、貴女の近況だとかを
聞かせてもらえたら嬉しいわ。
幸せが奪い合いってのはよく分からないな。
幸せは人の心が感じるものだよ。
最初から全体の量が決まっているわけじゃない。
幸せだと感じる心があるかぎり、幸せは無限に発生しうる。
それは不幸も同じ理屈だけどね。
だからwin-winになるように、うまくやる必要はある。
目標というか、なんというか…。
諦めるつもりは今のところないし
不可能に近いとしても
出来ることから少しずつと思ってもいるわ。
目の前に誰かがいて
私がなにかすることでその人を幸福にできるなら
今の私ならきっとそうするでしょう。
ただ…哀しくて苦しいのね、きっと。
幸せはいつだって奪い合いで、誰かが幸せになれば
その分誰かが不幸になる。
それが哀しいだけよ。
この世界の全員を幸せに、って言うんなら、確かに不可能に近いだろうさ。
でもね、それは目標の立て方がおかしい。
不可能に近い目標を立てて、だから無理だ、って言うんじゃ、目標を立てる意味がない。
ましてや、それを何もしない言い訳にしているんなら、なおさらだよ。
ああ、その目標のために何かしているんだったら、ごめんね。
あたしは、世界全体なんて目標は持ってないけど、さっきも言ったように、手の届く範囲の人間には幸せになってほしいと思っている。
そのためには個々人が何を幸せと感じるかをまず知らないといけない。例えば安楽死の話みたいに、幸せの基準が自分と違う事だってあるからさ。
他にもコストの限界なんかもあるし、だから難しい事ではあるけど、手の届く範囲に区切っているから、不可能とまでは言えない。
もしかしたら、あたしが誰かを幸せにする事によって、別の誰かが不幸になるかもしれない。でもそんな可能性を考えていたら、少なくとも目の前にいる相手を幸せにする事は、できないんじゃないかな?
全員が幸せになれれば、それが一番いいんだろうけど、それが不可能に近いなら、手の届く範囲だけでも幸せにする。
「全か無か」じゃなくて、「可能な範囲で」「少しずつ」。
誰も幸せにしないよりはその方がいいと、あたしは思うけど、それじゃダメかな?
難しいというか、不可能に近いお話しよねー…。(頬杖をつき、溜息ひとつ
ほめられてると思って、素直に受け取っておくよ。ありがと。
ありゃ、ずいぶんと壮大な理想があったのね。
みんなが幸せ、か。う~ん、難しそうだわ。
………。(沈黙。静寂が流れ、ややあって)
庵さんはそう…。
以前から思っていたけど、変わった人よね。
稀に見る面倒見のいいお人好し。
今のところはまだ、私自身に死ぬ気はないから安心して頂戴。
その前にやりたいこともあるし、まだ死ぬわけにはいかないもの。
ただ、少し悩んでいるだけよ。
「この世界をみんなが幸せでいられる世界」にするには
一体どうすれば良いのかを。
私の望みはどうすれば叶えられるのかを、ね。
そうね。何がなぜ良いか、その「なぜ」の部分を支えるのは個々人の価値観でしかない。
ある考え方が多くの賛意を得られる事はあっても、それは一足飛びに、ある考え方の絶対性を示すものじゃない。
だからあたしは、あたし自身の価値観で、モノを言っている。
自己承認欲求に限らず、様々な理由から自分の現状を不幸だと感じていて、その中で生きる事自体が苦痛だと感じている人間はいる。
死んでしまえばそれらから解放されるのは確かだ。
そんな人に「生きていればいつかいい事がある」なんて言うのは、無責任すぎるだろうね。
不幸にしたって、取り除けるものばかりじゃないし、だから苦しんでいるんだろう。
ただし。
自身の現状を不幸だ苦痛だと感じるのは、自身の心だ。
加えて、あんたの言うように、叶う可能性の限りなく低い幸せを願って、それが訪れないから「生きづらい」と感じるのは、本人がそう感じているのは事実だとしても、事象としてはありふれているんだよね。
みんながつらいからガマンしろ、って事じゃなくて、生きていて心があるかぎり、不幸や苦痛はどこからでも発生しうる、って事。そいつらへの対抗手段は「死んで逃げる」以外にもあると思うんだよね。
すべての不幸を一気に解決する魔法はないけど、あたしは、手の届く範囲の人間には幸せになってほしいと思っているし、そのための一つの方法として薬を扱っている。
不幸や苦痛が心で感じるものなら、幸福や快楽も心で感じるもので、どっちも幻想と言えば幻想よ。
理由が何であれ、あんたが死んだら、あたしはさみしいと感じるわね。
んん…。
「不自然な状態で生きる事」と「自然な状態で死ぬ事」
どちらが良いと感じるかなんて、それこそ人それぞれなのでしょうけど…。
ほら、世の中の大抵の人は
「ありのままの自然な自分を受け入れてもらいたい」
って願いを多少なり持っているものでしょう?
けれど、それが叶う可能性なんて殆ど奇跡に近いような確率で
そんな現実に馴染めず生き苦しんで
「こんな世界で生きるぐらいなら死んだ方がマシだ」
と考えている人もこの世には大勢存在している。
それを思うと、「生きる事は絶対に素晴らしいことだ」とは
私にはとても言えなくって。
どれだけの努力を積み重ねて幸福を手に入れたとしても
いつまでもそのままでいられるとは限らない。
そうであるならいっそ幸福の内に、という心は良くわかるわ。
幸福の中で終われる事は、決して不幸なんかじゃない。
例え、その幸福が幻想のものであったとしても。
「長き夜を君に恋ひつつ生けらずは咲きて散りにし花ならましを」
ってね。
なんにせよ、「考え過ぎ」の一言につきるのでしょうけど。
尊厳死は、さっきまでの表現を続けて使うと、「不自然な状態で生き続けるのが幸せでない」っていう考え方になるわね。その延長線上に「自然な状態で死ぬのが幸せ」が存在する。
生きる事よりも「自然な状態」である事の方が良いと思うのは、なんでなんだろう。
「自然な状態」って、そんなに素晴らしいものなのかな?
あたし自身の感情としては納得できないけど、本人が望まない事をして本人を幸せでない状態にするのも、あたしの仕事の指針には反する。
だから尊厳死を望む人がいたら、あたしは、本当に後悔がないか確認した上で、生きている最後の時間を本人にとって幸せな状態に保つ一助として、相手の意志を尊重するよ。
「充実した一日が幸福な眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす」
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉だ。
幸せに死ぬのは簡単じゃないよ。死んだ瞬間に幸せを感じる事はできなくなるんだから、その瞬間までを幸せに生きてこないと。
「玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする」とか「行く末の忘れじまでは難ければ今日を限りの命ともがな」とか、幸せが絶頂の状態で死にたいなんて和歌もあるけど、あれはどうなんだろうね。
尊厳死の話になるのかしらね…。
私はどちらかというと
「幸せに生きる為に生きている」というより
「幸せに死ぬ為に生きている」という部分があるから。
勿論、生きている事には価値があると思っているけれどね。
尊厳死の話かな? それとも自殺とか自傷?
前提として、あたしは生きている事は価値がある事だと思っている。その状態をより良く維持するために薬を扱っている。大げさに言えば「幸せに生きるために」ってとこかな。
だからまず「治さなかったら死ぬし、すぐには死なないとしても今後の生活に支障が出るけど、それでも治したくないのはどうして?」と「今の傷病による痛苦を抱えた状態は、あなたにとって幸せなの?」の2つを訊くところから始めるよ。
その回答によって、対応は変わってくるね。
ん…。
(少し考え込む様な仕草をみせ)
……傷病の治療を、本人が望んでいない場合は?
(そんな事を問う。
「のんびりしたい」のが今の気分だって分かってるなら、それでいいんじゃないの。
好きなだけのんびりして、飽きた時に改めて、その時にしたくなった事をすればいい。
そう、人ができる事は限られているけど、できないはずの事をできるようにしようとするのは、決して無駄じゃない。
薬だってそうだ。放っておいても治らない状態を治す。
傷病を放っておいてそのまま死なせるのが、自然で運命で寿命、っていう考え方にはなれないね。
まあ、まだ高校生ではあるけれど
この島に来たときと比べると
良くも悪くも老けてはいるでしょうね。(苦笑して
現状に満足しているわけではないけれど…
暫くのんびりしていたい気分、というか。
手の内に無い力だからこそ、それを手にする為に足掻く。
そういうことなのでしょうね。
ハハハ、老けたこと言ってるね。
やりたいことも好きなものも特にないなら、無理して探さなくてもいいと思うよ。無理して探さないと見つからない時点で、それは「やりたいこと」でも「好きなもの」でもないんだろうからさ。
そういうのがある方が幸せってワケでもない。それは執着の一つの姿であって、仏教で言う愛別離苦(愛するものから離れる苦しみ)とか求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)にもつながる。あとは五蘊盛苦(五蘊=心身の働きが盛んになることから生じる苦しみ)も起きやすいかな。
ただ、あんたが現状に満足してないなら、その不満を満たすために何かするのも一つの行動指針だ。逆に、今のままでいいんなら、何もしないで今のままでいればいい。
「空を飛ぶ」ってのは異形の力の象徴なんだろうね。人の体ではできない能力だから。
もちろん、それに憧れる人も昔からずっといて、最終的には今みたいに飛行機を作っちゃったんだから、それも情熱のたまもの、なのかな。
もしかしたら難病に対する
有効な治療方法を見つけるための手掛かりになったりだとか
そういう可能性もないとは言い切れないしね。
情熱を燃やせるナニカを持っている人って
生き生きしていて素敵よね。
少し羨ましい。
箒が無くても空を飛ぶことは出来るみたいだけれどね。
軟膏のお陰で飛ぶことができているなら
それも当然のこと、かしら。
ああ、テレビか。
そうね、毒とされている物質も使い方によってはちゃんと役に立つけど、それは正確な知識と技術があってこそのものよ。
やみくもに使ったら、何だって毒にしかならない。
そこまでしてフグの卵巣を食べなくても、って気もするけど、食べてみたかったんだろうね。
毒の消える原理が分かれば、ほかの分野へも応用が利くかもしれない。だから興味があるんだよ。
毒じゃないけど、例えば栗だって、イガをむいて硬い外皮をむいて渋皮をむいて、ようやく食べられるようになるんだから、大した情熱だ。
なるほどね。魔法の植物も、見た目は普通の植物と同じような形をしてるのかもしれない。
諸説あるけど、例えば魔女がホウキで空を飛ぶのも、ホウキに「魔女の軟膏」っていう特別な薬を塗っているから、とも言われているね。