柔らかな陽射しが差し込む穏やかな昼。
清んだ空気が周辺を満たしており
野生動物が時折、喉を潤しにやってくる。
ある少女は静かに語る。
「この泉には妖精達がすんでいるの。
貴方に姿が見えないだけで
ちゃんとここに存在しているのよ。」
*昼の雑談トピックです。
*独り言や探索にもどうぞ
そうね。何がなぜ良いか、その「なぜ」の部分を支えるのは個々人の価値観でしかない。
ある考え方が多くの賛意を得られる事はあっても、それは一足飛びに、ある考え方の絶対性を示すものじゃない。
だからあたしは、あたし自身の価値観で、モノを言っている。
自己承認欲求に限らず、様々な理由から自分の現状を不幸だと感じていて、その中で生きる事自体が苦痛だと感じている人間はいる。
死んでしまえばそれらから解放されるのは確かだ。
そんな人に「生きていればいつかいい事がある」なんて言うのは、無責任すぎるだろうね。
不幸にしたって、取り除けるものばかりじゃないし、だから苦しんでいるんだろう。
ただし。
自身の現状を不幸だ苦痛だと感じるのは、自身の心だ。
加えて、あんたの言うように、叶う可能性の限りなく低い幸せを願って、それが訪れないから「生きづらい」と感じるのは、本人がそう感じているのは事実だとしても、事象としてはありふれているんだよね。
みんながつらいからガマンしろ、って事じゃなくて、生きていて心があるかぎり、不幸や苦痛はどこからでも発生しうる、って事。そいつらへの対抗手段は「死んで逃げる」以外にもあると思うんだよね。
すべての不幸を一気に解決する魔法はないけど、あたしは、手の届く範囲の人間には幸せになってほしいと思っているし、そのための一つの方法として薬を扱っている。
不幸や苦痛が心で感じるものなら、幸福や快楽も心で感じるもので、どっちも幻想と言えば幻想よ。
理由が何であれ、あんたが死んだら、あたしはさみしいと感じるわね。