柔らかな陽射しが差し込む穏やかな昼。
清んだ空気が周辺を満たしており
野生動物が時折、喉を潤しにやってくる。
ある少女は静かに語る。
「この泉には妖精達がすんでいるの。
貴方に姿が見えないだけで
ちゃんとここに存在しているのよ。」
*昼の雑談トピックです。
*独り言や探索にもどうぞ
尊厳死は、さっきまでの表現を続けて使うと、「不自然な状態で生き続けるのが幸せでない」っていう考え方になるわね。その延長線上に「自然な状態で死ぬのが幸せ」が存在する。
生きる事よりも「自然な状態」である事の方が良いと思うのは、なんでなんだろう。
「自然な状態」って、そんなに素晴らしいものなのかな?
あたし自身の感情としては納得できないけど、本人が望まない事をして本人を幸せでない状態にするのも、あたしの仕事の指針には反する。
だから尊厳死を望む人がいたら、あたしは、本当に後悔がないか確認した上で、生きている最後の時間を本人にとって幸せな状態に保つ一助として、相手の意志を尊重するよ。
「充実した一日が幸福な眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす」
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉だ。
幸せに死ぬのは簡単じゃないよ。死んだ瞬間に幸せを感じる事はできなくなるんだから、その瞬間までを幸せに生きてこないと。
「玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする」とか「行く末の忘れじまでは難ければ今日を限りの命ともがな」とか、幸せが絶頂の状態で死にたいなんて和歌もあるけど、あれはどうなんだろうね。