木箱の中に入れられたアンティーク調のノート。
木箱の中には青薔薇の飾りがついた
ボールペンも一緒に入れられている。
ノートの一ページ目には
「言の葉ひらひら。
吐き出せないなら書き出して。
あなたの想いで私を埋めて。」
と丁寧な字で記されている。
*落書きや誰にも言えない想いなど
ご自由に書き込みをどうぞ。
『今の世界は穏やかで綺麗な出来事が溢れていて
それと同じぐらいに不穏で陰惨な出来事が溢れている。
混沌とした秩序のない世界。
でも、神様が堕ちてくる前の世界だってそうだった。
穏やかで綺麗で。
不穏で陰惨で。
相反するものが入り混じった、混沌とした世界だった。
そう考えると、元の世界も今の世界も
根本は少しも変わらないような気がしてくる。
世界はいつだって混沌としていて。
それが普通で。
本当に、今の世界は間違っているの?』
(新たに綴られた一文を暫し眺め。
綴り手と手を結ぶことは叶わないのであろうと解釈し
寂しげに微笑んでペンを手に取る)
『ありがとう。
私は自身を聖女だと思ったことはないけれど
貴女がそう言ってくれるのであれば
きっとそうなのでしょう。
私の幸を願ってくれる優しい貴女に
どうか幸がありますように。
貴女に幾千幾万の祝福が降り注ぎますように。』
(綴られた同じ筆跡。しばし考え、思考を逡巡しながら一言)
聖女に幸あれ
(それだけ書き残して立ち去った)
『漸く分かった。
私は神様なんてきっと、初めから信じていなかったのだ。
きっと信じたいわけでもないのだ。
世界に災いをばら撒いた神様を
災いの中へ私と私の大切な人達を
理不尽に放り込む神様を許したい。
許したいだけなのだ。
もう誰も憎みたくない。
もう誰も恨みたくない。
誰のことも傷付けたくない。
負の感情に操られ、人の心を無くした
化け物にはなりたくない。
この世界の誰にも、化け物にはなって欲しくない。』
『カミサマは人を救う為に存在するものではないと仮定する。
現にクローネは混沌をもたらそうとしている。
この世の者全ての願いが叶う世界など、混沌に他ならない。
そこに秩序は存在しない。
クローネは私にとって害悪だ。
彼女の目論みは阻止しなければならない。
そういった意味でテオと私の利害は一致している。
けれど腹立たしい。
私はフツウの少女で有りたかった。
だというのに、呪いの様な力を押し付けられ
フツウの少女ではなく、化け物へと変えられた。
神魂を世界にばら撒き、私を化け物へと変えたののこが憎い。
フツウではない私にフツウを護れと
責任を押しつけるテオが憎い。
けれど、彼らに悪気がある訳ではないのだろう。
そうであるならば、私は彼らの所業を許すべきだ。
神を名乗り強大な力を身に宿すテオ。
彼一人でもばら撒かれた神魂によりに起こる数々の事件を
解決することは可能であるように思える。
にも関わらず、彼は私達に事件の処理を命ずる。
それは一体何故なのか。
そこには何か理由があるのか。
わからない。わからない。
現状では納得が出来ない。
彼らを許す事が出来ない。
現時点の私には、彼らに対する知識と理解が不足している。
ののこにアプローチをかけることは無駄だ。
彼女は自身が神であるということを忘却している。
ならば、テオにアプローチをかければ
何か有益となる情報が得られるだろうか。
私は納得がしたい。
私が今以上の化け物へと変わらずいられるように。
胸の奥で煮えたぎる負の感情を沈めるために。
必ず答えを見つけてみせる。
貴女と私の根本の考えは一致していると私は考える。
人を真に救うのは神ではない。人だ。
この世界は神が統治する世界であってはならない。
人が統治する世界で有るべきだ。
貴女と私、互いの答えへと辿り着くために
可能で有るならば、貴女と協力関係を結びたい。』
(少しずつ。日課となりつつある月夜の夜だけ、湖畔を一巡りしてから、帰りに寄って一言)
『まず、クローネを消したい。あれは居れば居るだけ害悪だ。
じゃあ、ののこさんを殺せば、世界は神のいない世界になるのかな? いや、それじゃあ神魂の回収ボックスが無くなるだけだ。
テオはののこさんに付き添っているだけだ。邪魔だけれども手を出すだけ無駄だ。
でも、全部、机上の空論なんだ。私は、自分が無力である事を、何よりも良く分かってる。
なら、テオに手を貸して、早々にののこさんにお帰り頂く元の世界が、一番で最上で、皆が幸福?
──認めない。そんな私にとってヤクタタズな世界。私は認めない。
自分の為なのに、力も足りない、知恵も足りない。ヤクタタズな見ている事しか出来ない自分も要らない。
嗚呼、神の居る世界なんて見なければ良かった。
絶対に、答えを見つけてみせる』
『カミサマが人を救う存在だと
一体誰がそう決めたの?
人の勝手な思い込みを、妄想を、願望を
人がカミサマに押し付けているだけではなくて?
少なくとも、私はカミサマに
「自分達は人を救う存在だ」と
面と向かって告げられたことはない。
カミサマは私を助けてくれなかった。
だから大嫌い。なんて。
酷いのは、一体どちら?』
『カミサマは嫌い?
私は嫌い。カミサマが憎い。
でも、迷ってる。
カミサマを信じたくない気持ちと
信じたい気持ちがぐちゃぐちゃに混ざっていて
どっちが本当の気持ちか、わからない。
どうしていいかが、わからない。』
(沢山の少女の書き込み。
それを見て、書き込むことを一度躊躇われたが、『書き出して。あなたの想いで私を埋めて。』の文字を改めて見てペンを取る)
『もう、カミサマなんて、何を信じたらいいか、分からなくなるよね。』
『死のほかに、死より救う手立てはあらじ
愛こそは死、そこにこそ勇気は宿る
愛は深き墓穴をも埋めつくす
波の下にありても、愛は絶ゆることなからん』
他人の痛みだなんて完全に理解はしきれない。
それでも、傍にいてくれる人の痛みぐらいは
可能な限り理解をして、寄り添いたい。
そうして、私が持つ全ての力を尽くして
人を笑顔に出来たなら、それはどれだけ幸せな事だろう。
自分を不幸だと思っている訳じゃない。
寧ろ充分過ぎるほど幸せな環境にいると思ってる。
それなのに、幸せだと心から思えないことや
何かが足りないと思ってしまうことが
悔しくて、納得出来なくて、悲しい。
他の人達は私よりもっと明るい場所にいる気がしてしまって
羨ましいと思ってしまう事が悲しい。
ない物ねだりをしたって仕方がないのに。
羨ましい。羨ましい。
他の人達は私なんかよりも、もっと
大勢の人に大切に思われているんだろうな。
羨ましい。羨ましい。
他の人達は私なんかよりも、もっと
ずっとずっと幸せなんだろうな。
ここには妖精がいるのだと
共に夢見て欲しいのか。
妖精なんていはしないと
現実へと引き戻して欲しいのか。
どちらの想いも同じぐらいに強くて
折り合いをつけられない。
どちらも捨てられない。
ここには妖精がいる。
みんな私の友達。
私のそばにいる。
全部嘘。
本当は私にも、妖精なんて見えない。
自分の足でしっかりと立って、歩ける人間になりたい。
大人になりたい。
でも、甘えたい。甘えていたい。
ずっと子供でいたい。
どっちが本当の気持ちなのかな。
泉の水を口にした、男の子の事を想う。
私が泉に浸る姿を見ていたにも関わらず
彼はためらい無く、泉の水を口にした。
汚れているとは思わなかったんだろうか。
彼の目に私は、汚れているものとしては
映らなかったのだろうか。
そんな事を想う。
あの行動に、私がどれだけ驚き、安堵し、救われたかなんて
彼は知る由もないのだろう。
嬉しかった。嬉しかった。
本当に、本当に、嬉しかった。
濡れた私の身を案じ、タオルを差し出してくれた。
話を聞き、慰めようとしてくれた。
優しい子だと、想う。
彼に愛されている猫は、幸せだろう。
あの子もきっと、彼が好き。
だからああして、一緒にいる。
穏やかで美しい、尊い関係。
私もあんな関係を築くことができたらいい。
誰かと…いや、誰かと、ではなくて
世界で一番愛しく想う人と
あんな関係を築くことが、できたらいいな。
小説の一文に鉛筆で薄く線がひかれていた。
生まれて来たことが罪なのか。
ここにいることが間違いなのか。
何が間違いだったのか。
悲しく切ない遺書のシーン。
答えの出ない自問自答。
その線は、酷く弱々しく震えていて
その文は私の心に凄く近くて
私と同じ想いの人が
この世界の何処かにいるのだと
安堵すると同時に悲しくなった。
あの本の元のご主人様は
どんな想いであの本を読み
どんな想いで手放したんだろう。
どうか、元のご主人様の憂いが晴れていますように。
小説の中、遺書を残して
命を絶ってしまった優しい男の子の様に
命を絶ってしまってはいませんように。
この世界の何処かで、生きてくれています様に。
もしも、線を引いたその人が
まだこの世界に存在しているのだとしたら
私は、その人に会いたい。
貴方を想えば想うほど
胸を締め付けられて苦しくて
激情のまま叫びたくなる。
大好き、誰より愛してる。
届かないとしても。
叶わないとしても。
ずっとずっと、何時迄も、この命が枯れるまで
想うは貴方一人だけ。
いつか貴方が私を忘れてしまう日が
いつの日かやって来る様な気がして
寂しくて寂しくてどうしようもない。
それならもう、いっそのこと
覚えて貰えているうちに
消えてなくなってしまいたい。
私と二度と会えなくなることに
これ以上無いほどに傷ついて。
涙を流して悲しんで。
どうか私を愛してよ。
ねぇ、この間、とても綺麗なものを見つけたんだ。
そんなたわいも無い安らかな
話を貴方にしたいのに
貴方の姿を見つけられない。
誰にでも出来るくだらない話を
世界でたった一人の特別な
貴方にしたいのに。貴方としたいのに。
貴方でなければ駄目なのに。
そんな事を考えながら
ホットケーキを焼いていたら
もうどうしようもないほど
真っ黒に焦がしてしまったの。
山ほどシロップをかけたって
焦げの苦味はかき消せない。
ねぇ、貴方に会いたいよ。