授業風景～倫理の時間の場合～｜リアクション

授業風景～倫理の時間の場合～

【序】

　中野空也先生の本日の授業内容は、受講している生徒たちをざわつかせた。
（こいつはまたいろんな意見が飛び出そうな題材だなぁ……）
　風雲児轟は配られた書道セットを開きながら、心の中で呟いた。
　そして早速、硯に墨を擦り始めた。
（けど、俺は俺の意見を堂々と言うまでだ！）
　風雲児には、既に確固たる答えが用意されているようだ。
　墨を擦る手にも力が入る。

　花風冴来は目ヂカラが強い担任の視線から顔を逸らすと、澄み切った青空をぼんやりと眺めていた。
「太陽は気楽でいいわね」
　そう口にする冴来は憂鬱だった。
（……私は、かつて手を汚した。あの子がとても欲しかったから。それはなによりも一番、重い罪……）
　ふと、冴来は自分の手を見た。
　そして目を疑った。
　てらてらと、赤い滑りのある液体にまみれた自分の両手が、目の前に……！
「冴来……良い詩でも……浮かんだか…？」
　冴来はクラスメイトの哀坂時音の声で我に帰った。
　自分の両手は、赤く染まっていなかった。
（幻覚……）
　彼女は困憊した様子で、肺の中の空気を吐き出した。
「どうした……？　その少し呆けた顔も……とても良いぞ……」
　時音はごく自然に冴来の隣に席を寄せると、当然のように腰に手を回して彼女を抱き寄せ、彼女の纏った香水の匂いを堪能しながらその首筋に己の唇を……。
「はいはい、そこまでよ。詩音？」
　間一髪、耽美な百合の花が咲き乱れる前に冴来は時音を制止した。
「愛の言葉はまた放課後にでも聞かせて貰うわ」
　腰に回した時音の手の甲を優しくつねる冴来。
「約束……だぞ……？　フフ……」
　時音は不敵な笑みを浮かべながら、ようやく冴来から体を離した。
　いわゆる“標的ロックオン”ってやつである。

「毛筆……。ねーちゃんに仕込まれたのがよもやこんな所で活きるとは」
　宇佐見望月は墨を擦りながら白目を剥いていた。
（人を殺しちゃいけねー理由か……。随分厄介な話題を出してくるなぁ、和尚さんセンセは）
　中野先生の愛称を心の中で呟きながら、宇佐見は少し考えた。
（ま、これだろ？）
　しかし、彼もまた、答えは既に用意されているようだ。
　発表までの間、宇佐見は無心で半紙と向き合う。

　恵御納夏朝は、この教室に移動する間に転倒して頭を強打していた。
　コブになったところをさすりながら、彼女は筆を持ちながら嘆息嗟嘆だ。
（夏朝ったら……最近、本当によく転ぶなぁ……）
　今の恵御納は『夏朝』ではなく、別人格の『夏夜』だ。
　頭を打った衝撃で入れ替わってしまったらしい。
（こないだ、炒飯騒動で入れ替わったばっかりじゃないか……）
　そそっかしい表人格に呆れている場合ではない。
（夏朝が受けるはずだった授業か。ここは夏朝のフリをして、彼女の評価を下げないように努力しないと）
　夏夜は表人格のフツウを守るため、真面目に答えようと決めた。

　大天使天吏はしらけきっていた。
「……本当、時間の無駄って感じ」
　半紙を前に、はっきりと言葉に出す大天使。
「一体、何がしたいんだか……？」
　ぼやく大天使に、中野先生がやってきた。
「時間の無駄、ですか？　他人の考えを知るということは、自分を見詰め直す好機なのですよ」
「……ヒヨドリが鳴いているわ」
　窓の外、『ヒーヨ、ヒーヨ』と騒がしく鳴くヒヨドリ。
　大天使は中野先生の言葉など一切入ってこないと言わんばかりに、ただ一心にヒヨドリの鳴き声に耳を傾けるのであった。

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