天神平薬局のお薬キャンペーン｜リアクション

天神平薬局のお薬キャンペーン

　黒いダウンジャケットを着込んだ御剣刀が通りをゆく。その歩みは遅く、立ち止まっては軽く息を吐いた。無造作に額に手をやり、熱はないか、と力ない言葉で歩を進める。
　意識がぼんやりするのか。強い瞬きを繰り返した。横手に見えてきた路地に自然と目がいった。
「天神平薬局の近道だな」
　表情は冴えない。気乗りしない様子で曲がった。落ちている空き缶を避けて通りに出た。人通りはほとんどない。左手の道を少し歩いて更に右手の細い路地へと足を踏み入れた。
　そこで刀の表情が一変した。
　海の火照った顔が拒絶するように振られていた。身体中に触手が巻かれ、自由を奪われている。未沙が愉悦に塗れた顔で、可愛いわ、と甘えた声で囁いた。
　双眸に怒気を孕ませ、刀は跳び出した。一気に加速して風を切り裂く。右手が瞬時に伸びて未沙の顔を覆った。鋼の鉤爪と化した指がこめかみに食い込んだ。
「朝野、小山内から離れろ！」
　刀は力任せに引き剥がした。うねる触手が元の手足に戻ると未沙が悲痛な声を上げた。
「アタタタ、刀君、少し落ち着いて。指が、指が食い込んでるよ！」
　握っていた手を離した。未沙はこめかみを懸命に摩って、酷いよぉ、とあからさまな不満を漏らす。
「こんな場所でおかしなことをする朝野が悪いんだろ、まったく」
　未沙は舌を出して応戦した。呆れた刀は海に目を向けた。
「大変な目に遭ったな。大丈夫か？」
　海は虚ろな目をしていた。頬の赤さは風邪のようにも見える。刀は心配した様子で額に手を当てた。
「少し熱いか。風邪かもしれないな」
　その手を海が掴んだ。身体を近づけてきて刀の腕に寄り添う。
「小山内、その、当たりそうなんだが」
　下がる刀よりも大きく海が踏み込む。海の柔らかい胸に腕がめり込んだ。
　物言いたげな青い瞳が刀を見つめた。二人の視線が絡み合う。
「お、小山内、俺は！」
「あたしがダメなのに、刀君は海ちゃんに抱き付いていいわけ？」
　未沙の膨れた顔に刀は大いに笑った。
「俺が小山内に、そんなことをするわけがない」
　刀は子供にするように海の頭をぽんぽんと叩いた。
「具合は悪そうだから、俺が背負って桜花寮までちゃんと送り届けるよ」
「今日のところは仕方ないわね。あたしは大人しく退散するよ」
　未沙は大きな通りにゆっくりとした足取りで向かう。何度か、未練がましい目で振り返って見えなくなった。
「俺達も行こうか」
　頷く海を背負うと刀は歩き出した。額にじんわりと汗が浮き出てきた。体調の悪さを隠しながら小さい通りに出た。
　道なりに進んでいくと前方に薬局が見えてきた。若い女性店員がにこやかな表情で立っている。
「お薬キャンペーンを実施していますぅ。無料で試飲できますよぉ。媚薬が人気ですぅ」
「そういうことか」
　刀は納得したような声を出した。薬局の前にくると、いかがですかぁ、と店員が声を掛けてきた。
「俺には必要ないかな」
「そうですかぁ」
　店員はにこやかに笑って返した。

　目指す桜花寮が見えてきた。刀は汗だくになっていた。海の胸が背中に当たっている。肩には顎が乗っていて時に首筋に頬が触れた。
「も、もう少しで着くからな」
　海から声はなく、耳に吹き付けるような息が掛かる。刀は赤い顔で顎先から汗を滴らせた。
「……修行だ。がむしゃらに剣を振るんだ。精神を鍛えろ」
　刀は泳ぐ目で何度も同じ言葉を呟いた。海は刀の首にやんわり腕を回す。柔らかい頬がぴったりと首筋に張り付いた。
「帰ったら剣の修行だ！」
　刀は海を背負った状態で猛然と駆け出した。