天神平薬局のお薬キャンペーン｜リアクション

天神平薬局のお薬キャンペーン

　シーサイドタウンの一角にアイルランド料理店『spraoi』がある。格式高い店ではなく、喫茶店を思わせる内装が功を奏して終日、たくさんの客で賑わっていた。
　オーナーと店長を兼任した七條蛟は厨房と店内を何度も往復した。他の者への指示も忘れない。
　昼時の大量の客を乗り越えて束の間の休息を得た。蛟は黒いシャツに白いベストの姿でカウンター席の中央に横向きで座った。自身の淹れたカプチーノをゆっくりと味わう。
　そこに春の装いを思わせる陸羽が元気よく店内に入ってきた。
「こんにちはー」
「いらっしゃい、陸羽ちゃん」
　蛟は少し乱れた赤い髪を手で整える。
「今日はこーさんに差し入れを持ってきたのです」
「何も持ってないみたいだけど」
　不思議そうな顔をする蛟に陸羽は笑顔で近づく。握っていた右手をぱっと開いて見せた。
「このお薬です！」
「これか。どんな効果があるんだ？」
「元気が出るお薬だそうですよ。実はわたしもさっき飲んでみました！」
「だから元気なのか。いや、いつもと同じか」
「わたしだって、女の子らしい時はあります」
　拗ねたような物言いに蛟は、悪い、と言いながら笑った。
「折角だし、飲ませて貰うよ。最近、店が忙しくて少し疲れが溜まっていたんだ」
「こーさんの役に立てて嬉しいです」
　兄が妹にするように蛟は陸羽の頭を撫でた。錠剤を口に入れてカプチーノを飲んだ。
「……何も変わらないな。すぐには効かないか」
　カウンターにカップを置いた蛟は陸羽に目をやる。
「どうかしたのか？　少し顔が赤くなってるぞ」
「た、たぶん、店の中が熱いからですよ」
「そうなのか。俺はずっと店にいるから、よくわからないな」
「……こーさん、脱いでもいいですよね」
　言葉を耳にした途端、蛟の態度がぎこちなくなった。陸羽のカーディガンを脱ぐ姿に目が離せない。無意識に近い動作で椅子から降りた。
「カーディガンはカウンターに置けばいい」
　薄着となった陸羽の全身に蛟は飢えた狼のような眼を向ける。見られていることを強く意識した身体がゆっくりと後退を始める。蛟がじりじりと追い詰めた。
「……あの、蛟さん……わたし――」
　陸羽の腰が砕けて言葉が流れる。咄嗟に出した蛟の右腕が腰に回され、二人は壁に激突した。
　陸羽は壁と蛟に挟まれた。逃れようとした目が右下を向いた瞬間、蛟の足が壁を蹴って遮った。
「貰った薬のお礼をしないといけないな」
　更に距離を詰めてきた。陸羽の胸が蛟の身体に押し潰される。
「こーさん、近くて……熱いよ」
　息苦しそうな表情で陸羽が顔を上げた。蛟の青い目が降りてくる。
「もっと熱くなるかもな」
　蛟は陸羽の前髪を手で掻き上げた。艶やかな額に口付けした。唇に相手の動揺が伝わってくる。
「抵抗しないってことは、いいのかな？」
　額から離れた蛟は小さな唇に囁き掛ける。陸羽は蕩けるような瞳を閉じた。物欲しそうな唇がだらしなく開いていく。
「流石に唇にはしないよ。冗談だよ、冗談。もしかして本気にしちゃった？」
　軽い調子で蛟は離れた。背を向けてカウンターへと戻る。その背中に、こーさんなら、と羞恥を含んだ声を聞いた。
　蛟は緩む表情を引き締めた。耐えるような表情で厨房に足を向けた。
「冷たいアップルジュースを持ってくるよ。陸羽ちゃん、カウンターに座って待っていて」
　陸羽の目から逃れた蛟は自身の顔を手で扇いだ。
「危なかった。それにしても」
　一旦、言葉を止めた。蛟は陸羽の姿を覗き見る。即座に怒ったかのように顔を背けた。
「……可愛いじゃねぇか」
　もう一度、手を思い切り振って顔に風を送った。