満月の夜に｜リアクション

満月の夜に

　沈み始める太陽の光を背に、御剣刀は鳥居を仰ぐ。視線を境内に巡らせ、社務所の壁に貼られたポスターを眺める。
『お月見音楽会』
　早朝、いつものように橘千歳と剣の練習をしている際に見つけた、満月と楽器の描かれた案内ポスターを眺める。
　音楽を楽しみながらのお月見に一人で行くのもどうかと思い、秋の朝陽を浴びて佇む千歳に声を掛けた。
　――面白そうだし、一緒に行かないか？
　誘ったからには、こういう時に女性を待たせるのは良くない。
　待ち合わせ場所にと決めた鳥居の前に立ったのは、待ち合わせ時間の三十分程前になる。
　鳥居の階段の下、黄昏色に染まって広がる参道商店街を歩く人々や、音楽会を楽しむために石階段を登ってくる人々を眺めながら、刀はジーンズにTシャツの上に羽織ったジャケットの襟を正す。
（千歳は美人だからな）
　一緒に歩くならキチンとした格好でなければ、恥をかかせる事になる。
　千歳に釣り合って見えるようにと服装を正し、髪を撫で付ける。背筋を伸ばして胸を張り、そうして暫く待って、賑わいを増す人込みの中、待ち人の姿を見つけた。

　高く結い上げた黒髪も、ワンピースの上にニットのカーディガンを羽織り凛と背筋を伸ばして歩く姿も、人込みの中にあって光が当たっているかのように浮き上がって見える。
「千歳」
「刀君」
　鳥居の前に立ち、己に呼びかける黒髪の少年の姿に、千歳は顔を上げる。
　夕陽の色に染まる神社の境内は、いつも明け方に刀と共に剣道の練習をしている時とはまた違って見えた。静かな朝と違い、人も多い。参道には白熱灯の光も眩しい屋台が幾つも軒を連ねている。
「今晩は、刀君」
「うん、今晩は」
　鳥居の前で合流し、いつもとは違う夜の挨拶を交わす。それだけのことが、千歳には思わず淡い笑み浮かべてしまうほどに嬉しかった。
「その服似合ってる」
　肩を並べて歩き出して、ふと刀が黒い瞳を細める。
　笑み含んだ刀の視線を受けて、千歳はカーディガンの裾をつまんでみる。
「夜になるとさすがにちょっと冷えるから」
「あれだけ人が居ても直ぐに分かったよ」
　刀が素直に口にする服装の感想も褒め言葉も、悪い気はしない。むしろふうわりと心が温かくなるくらい。でも。
（同じようなことを他の人にも言ってるんじゃないの？）
　そうも思ってしまう。刀と親しい女の子達の顔が伏せた瞼の裏に過ぎって、
（いや、やめましょう）
　千歳は首をそっと横に振る。女の子達の幻を追い払う。
（今は私だけなのだしね）

　そう思い直せば、甘いものを含んだように頬が緩んだ。隣の刀に気付かれぬよう、千歳は頬を擦る。境内に幾つか出ている屋台に視線惹かれるふりをする。
「なんだか、ちょっとしたお祭りみたい」
「飲み物を買ってから会場へ行こう」
　境内に出ている屋台の一軒で二人分の飲み物を買い求め、人の流れに沿って社殿前に設けられた会場へと向かう。
「今日はどんな音楽が聴けるのかな、楽しみだ」
「演目は何かしら？」
　石灯篭の参道をのんびり話しながら辿る。会場の入り口で配られていたリーフレットを二人で覗き込む。
　月の光をなるべく邪魔しないようにだろうか、舞台に灯された人工の光は最小限に抑えられている。舞台を照らすのは、舞台の周囲に灯された篝火と石燈籠の炎の色した光のみ。
　月明かりを頼りに演目を確かめる。
「メインは寝子島交響楽団の演奏みたいだけど……」
　お月見演奏会は三部構成らしかった。一部に飛び入り参加者達の集い、二部に寝子島クラシック同好会、三部に寝子島交響楽団の演奏予定がそれぞれに演目として並んでいる。
　舞台の前に並べられた長椅子の一脚に肩を並べて座り、二人は、会場に集った人々は、音楽会のはじまりを待つ。