満月の夜に｜リアクション

満月の夜に

　黄昏から宵へと暮れて行く寝子島神社の人込みに、霧生深雪は振り返る。ついさっきまで傍らを歩いていた後輩の浅山小淋の姿を探す。少し早く歩き過ぎたかと灰色の髪の下の紅の眼を僅かに顰める。
「浅山」
　連れの名を呼ぶ。音楽会が始まるまでまだ時間が余っているものの、会場へと向かう人々も多い。参道の脇の屋台を覗く人々も少なくない。
　参道に視線を巡らせる。寝子島神社でお月見音楽会があると知り、誘ったはいいものの、はぐれてしまっては元も子もない。もう一度呼ぼうとして、道の端の紅葉の樹の下、ぴょこんと手が上がった。
　探す少女の手を見つけて、深雪は行き交う人々を擦りぬける。小淋のもとに立つ。
「大丈夫か」
　声掛ければ、幼い頃に声失った少女は、己が声代わりの文字記すスケッチブックを両腕に抱いて、笑顔を浮かべた。大きく頷く。
　見て下さい、と手にした紅葉を差し出す小淋に、深雪は安堵と優しさの混じった淡い笑みに瞳を細める。

　紅葉をスケッチブックに挟み、小淋はペンを取る。演奏の時間までまだ時間があること、少しの間屋台を回ってみたいことを記して、遠慮深げに胸の前に掲げる。
「そうするか」
　深雪の同意を得て、小淋は楽しげな足取りで参道を歩き始める。
「浅山、腹減ってないか」
　声を掛けられ、小淋は小さく頷く。
　唐揚にクレープ、たこ焼き、おでんにお好み焼き。賑やかに軒を連ねる屋台を巡り、深雪はフライドポテト屋の前で足を止めた。
「一緒に食おうぜ、奢るからさ」
　深雪の軽い口調に、小淋は慌てて首を横に振る。以前にも奢ってもらった。流石に続けてお金を出してもらうのは申し訳ない。それを伝えようと必死に首を横に振るも、深雪は手早く注文と支払いを済ませてしまう。
『前にもおごって頂きました』
「そうだっけ……？　まあ気にすんな」
『ありがとうございます』
　結局買ってもらったフライドポテトを有り難く受け取り、小淋は頭を下げる。人込みから少し離れたベンチに腰掛け、時間まで小腹を満たしながらゆっくり過ごしていて、
「……ん？」
　深雪は境内の掲示板に貼られたポスターに眼を止めた。お月見音楽会の日時や演奏者の記されたポスターには、『飛び入り参加歓迎』の文字。
　演奏者には、後輩やクラスメイトも所属する寝子島クラシック同好会の名も記されている。知った顔が秋の夜長に奏でる音楽を思い、もう一度『飛び入り参加歓迎』の文字を見てしまえば、我慢がならなくなった。
　月明かりの下で音楽を聴くのも趣があっていい。きっと格別だろう。でも、自分も音を奏でられることを知ってしまえば、聴衆でいるだけではもう物足りない。
　参加申し込みの締め切り時間までにはまだ間がある。
「浅山」
　身に湧く衝動を抑え切れず、声が弾む。
「一緒に出ないか？」
　首を傾げる小淋にポスターの文字を示す。手を取らんばかりの勢いで、
「この間聞かせて貰った浅山のオリジナル曲とか月夜にぴったりだと思うんだ」
　こういう所でやる機会滅多にないしさ、と熱心に口説く。眼を見開き固まる小淋の顔に、突然の誘いに戸惑い焦る感情を見て取りながら、深雪は小淋の手を実際に取る。力強く、笑む。
「俺がリードしてやるから心配すんな！」
　音楽仲間であり、頼もしく思う先輩にそう言われてしまえば、小淋に断る理由はない。
　手を引かれるままに立ち上がる。深雪の楽しげな背中に導かれ、会場近くの飛び入り参加受付窓口へと向かう。