「やあ、今日はとても綺麗な満月ですねー」
　台所の窓に覗く満月に、薄野 五月は眼鏡を掛けた黒い眼をのんびりと笑ませる。



「ワ、ほんとなノ！」
　五月の腕にじゃれかかるように抱きつきながら、御薗井 Ｅ セレッソが空色の眼に窓に掛かる満月を映して無邪気に笑う。



「さて、それでは」
「ではではなノ！」
　自宅縁側お月見会用にと着付けた若草色の着物に襷を掛けて、五月が頷く。用意したエプロンのリボンを張り切って結わえて、セレッソが応えて頷く。
　台所の作業台の上に並ぶは、二人で買ってきた上新粉と缶詰餡子に大きなボウル、大きなお鍋。
「月を見る行事があるなんてびっくりナノ！」
「うちでは割と毎年の恒例行事ですねー」
　高校に入るまではイタリアを拠点に世界中を転々としてきたセレッソが、小動物じみた丸い眼を楽しげに笑ませる。
　旧市街の参道商店街に『蕎麦屋すすきの』を構える薄野家長女の五月がのんびり言いながら、ボウルに粉を注いで入れる。ふわり舞う白い粉にセレッソが声を上げて笑う。
　薄野家とお月見を一緒にさせてもらうことになってからの数日、本当にとてもとても、楽しみで仕方がなかった。
　五月が上新粉に砂糖とぬるま湯を加えて練り上げて行く様子を隣で見ながら、セレッソはわくわくと眼を輝かせる。
「丸めますー」
「ハーイ！」
　二人で並んで、程よい固さに練った粉を掌を使って丸める。
「ころころーと丸めますー」
「この白いのをころころーとまるめて……」
「耳たぶの固さが良いと言われて居ますー」
「ワオ、耳？」
　手際よく団子を丸める五月の傍ら、セレッソは慣れない手つきで、けれど心底楽しげに団子を丸める。五月の話に表情をくるくると変える。
「お鼻に粉が着いて白くなってます、セレッソさん」
「えっ」
　五月に教えてもらえば、笑顔を真剣な難しい顔に変え、鼻についた粉をこしこし擦る。
「出来たノ！」
　まん丸に上手に丸めた団子は鍋に沸騰させたお湯に次々とくぐらせて火を通す。お湯の中に浮き上がって踊る団子を網で掬って冷水に冷やせば、もちもち団子の出来上がり。
「お供え？　サンポウ？」
「はい。ススキは両親が今二人で採りに行っていますので」
　満月にお供えする分を三方に盛り、自分達で食べる分は串に刺す。五月が先に作り置きしていた甘辛いみたらしタレとセレッソが開けた缶詰め餡子をそれぞれ掛ければ、お月見のお楽しみ、
「月見団子の完成ですー」
「やったのナノー！」
　襷がけの五月とエプロンのセレッソが両手でハイタッチした時、折り良く玄関の扉が開く音がした。五月の父と母がススキ狩りから戻ったらしい。
「あらあらセレッソさん、ようこそー」
「ただいま、五月。いらっしゃいセレッソさん」
「お帰り、お父さんお母さん」
「チャオチャオ！」
　両手一杯にススキを抱えた父と早速飾るための花瓶を手にした母が台所に顔を覗かせる。
　花瓶にいけたススキに三方に盛った月見団子、お皿の乗せた餡子団子とみたらし団子、それぞれに皆で持って、月明かり差し込む縁側に向かう。
　雨戸も窓も開け放った縁側の真中にススキとお団子をお供えする。
「座布団も忘れずね」
「セレッソさんもどうぞー」
「ありがとうナノ！」
　五月の母が縁側に座布団を並べる。お供え物を挟んで、右側にセレッソと五月、左側に五月の父母が座る。薄野家の今年のお月見が始まる。
「頂きます」
「お団子とっても美味しいノ！」
　串に刺したお団子をぱくり、大きな口でひとつ頬張って、セレッソが月を輝かせる太陽にも似た底抜けに明るい笑みを弾けさせる。
「月とお団子……まあるいところがそっくりネ！」
　もぐもぐと作りたてのお団子を美味しそうに食べるセレッソにつられて、五月も皿に手を伸ばす。ふふ、と笑みを零す。
「確かに、月もお団子もまあるいですね」
「ネ！」
　友人とのんびりまったり月見を楽しむ娘の傍、蕎麦屋の入り婿な父が穏かに笑むまま、熱い蕎麦茶の湯呑みを置く。
「そうだ、セレッソさんのパーパさんの事を聞いてみたいですー」
「ワタシのパーパ？」
「はい。セレッソさんとパーパさんの思い出も、聞いてみたいですねー」
　大きく頷くこの島での最初の友達に、セレッソは屈託なく頷いて返す。
「私のパーパは翻訳をやってるノ」
　ただ一人の身内である大好きな義父のことを語り始めて、セレッソの瞳はきらきらと輝き始める。
「どうせなら世界中の隠れた面白い本を読めた方が楽しいだろー？　って、」
　義父の声音を出来る限りに真似をしてみて、セレッソはそばかすの頬を和らげる。
「一年の半分は世界を旅してるワ！」
　世界を飛び回る義父も同じ月を見てるかしラ、セレッソは明るい満月に照らし出される寝子島を見遣る。
「寝子島に来るまではワタシもよく一緒に着いて行ってたノ！」
　世界を旅する翻訳家で、しっかりしているようで実は結構しっかりしていない義父の顔とその行動を思い出して、セレッソは思わず肩を震わせ笑う。
「ワタシが見てないとって時もあるノ」
　どこか誇らしげに胸を張るセレッソの、月明かりに照らし出される幼い顔を五月は見つめる。この明るい友人は、たった十五歳で、たったひとりで、寝子島で生活をしている。
「寂しく、ないですか」　
「寂しくはないのヨ！」
　気遣わしげな友人に、セレッソはどこまでも明るい笑みで首を横に振る。
「学校も下宿先も素敵だし、パーパにお手紙沢山書いてるし、」
　寂しくない訳を指折り数えて、とっておき、とばかり元気よく挙手する。
「ちゃんとお返事も来るワ！」
　だから。
「だカラ、大丈夫！　ナノ！」
「……良かったです」
　自分が元気でいることで自分の周りの人を元気にしようとする、いつも全力元気で、時に前のめり過ぎるほどに前向きな友人の全力全開の笑顔に、五月は安堵する。
「五月チャンのパーパとマンマはとっても仲良しさんなのネ！」
　セレッソがくすぐったげに笑ってそっとススキ越しに五月の両親を示す。五月が顔を上げてススキの向こうを覗けば、のんびり穏かに話しながらお茶を啜るいつもの父母の姿。
「二人はどうやって知り合ったのカシラ？」
　内緒話をするように小さな声で興味津々に首を傾げるセレッソに、五月は眼鏡を押し上げて見せる。仲の良い両親を横目に、いつか母から聞いた父母の馴れ初めを語り始める。
「出会いはお正月の寝子島神社だったそうです」
「お正月！　日本のお正月も楽しみだワ！」
「今年一年良い事ありますように！」
　月を神様に見立て、五月は大真面目な顔で若かりし父親の振りで拍手を打つ。
「お参りに来たお父さんは運悪く溶けかけた雪に足を滑らせ、近くに居たお母さんの方へ――」
　近くにいたセレッソを若かりし母親に見立て、転んだ振りしてぎゅっと抱きつく。キャアキャア笑い声を上げて抱きつき返すセレッソと顔を見合わせ、くすくす笑う。
「お母さんは反射的に傘でスコーン！　とお父さんを打ち返したそうです」
「ワオなノ」
「その衝撃でお父さんは目を回して倒れてしまって、珍しく慌てたお母さんが連れて帰って介抱したのがきっかけ、……だよね？」
「あらあら、うふふ」
「いやあ、お恥ずかしい」
　隣で娘によって語られ演じられる夫婦の馴れ初めにも慌てず騒がず、母親はおっとりと笑うばかり。父親は優しげな顔を赤くして穏かに照れるばかり。
「素敵なノ！」
　セレッソは空色の瞳を輝かせる。五月に抱きついたまま、空に輝く月を見上げる。今日のこの月を、一体何人の人が見上げているのだろう。寝子島の色んな所から皆が月を見ていると思えば何だかちょっと不思議だった。
（まあるいお月様だけど、人によっては白に見えたり黄色く見えたりするワ）
　そんなちっちゃなことも、セレッソにとっては楽しい不思議のひとつ。
「縁側の戸を開けておきますと、猫さん達がやって来るんですよ」
　お団子を食べながら日常を話してくれる友達を見る。
「昨日居間で宿題の途中にうとうとしておりましたら、足の上に猫さんが丸くなっていてちょっとびっくりしましたー」
　今日の事も義父への手紙に書こう。
（一番の仲良しの五月チャンと一緒に見た月が今までで一番キレイだったノ！　って！）
　きっととても羨ましがってくれる。
　義父からの羨望の返事を思い浮かべて、セレッソはもう一度ぎゅっと五月を抱きしめる。
「えへへー」
「ふふふー」
　首を傾げながらも抱きしめ返してくれる、この寝子島で一番最初の友達。　セレッソの、一番大好きな友達。　
（ナノ！）