胸に沁みいる秋の空｜リアクション

胸に沁みいる秋の空

　フランス、パリへ向かう飛行機に三宅葉月の姿はあった。黒いゴシック調のドレスを身に纏い、窓際の指定した席に座る。
　緩やかに波打つ長い髪を軽く後ろに払い除けた。翡翠に似た碧眼を窓外に向ける。固定された滑走路は絵画のようだった。
　間もなくして機体が動き始める。日本を離れるという意識が高まるに連れて思い出すことがある。
　高校二年生の時に行われた進路相談で担任のフジコ先生にはっきりと留学の意志を伝えた。世界屈指の難関校、エコール・デ・ボニャールと知っても先生は動じなかった。
　葉月の覚悟を確かめるような言葉を浴びせる。しっかりとした受け答えで真意を伝えると笑って背中を押してくれた。
　飛行機は滑走路を走る。機体が斜めになって空が近くなった。
　葉月は二か月前の夏を思い出して軽く身を震わせた。
　誕生日に託けて四年ぶりに実家へ足を運んだ。眼前の巨大な門は全てを拒絶するように聳え立つ。見ているだけで心の芯を冷気で包む。暑さで揺らぐ大気の中、葉月は儚い様子で震えた。
　生前の祖父の姿を胸中で思い出し、凍える心に光を与える。灯った勇気を糧にチャイムを押した。
　巨大な門が開いていく。葉月は顔を上げた。絵の才能を見出してくれた祖父に応え、留学を認めて貰う為に父親と戦う覚悟を決めた。
　顔から決意が滲み出る。大きく開いた門へ大きな一歩を踏み出した。
　機体は水平を保つ。機内の静けさが更なる過去を引き出した。
　その日、葉月は父親を伴って星ヶ丘にある高級レストランステッラ・デッラ・コリーナに来ていた。贅を尽くした逸品をテーブル席で静かに口にする。ナイフとフォークを使う微かな音が全てで二人の間に会話はなかった。ただ切り分けて口に入れる。その単純な作業を黙々と続けるロボットと化した。
　最後に出された温かいコーヒーで、ようやく人間らしさを取り戻す。極度の緊張から逃れてほっと一息ついた。
　苦み走った表情の父親が成績表について苦言を呈した。決して成績は悪くない。上位と言っても過言ではないが小言は止まらない。
　その意図を葉月は十二分に理解していた。絵画に現を抜かしたことで成績が落ちて貰わないと辞めさせる理由にならない。見抜いているからこそ、決して成績は落とせない。
　希望する道を堂々と歩く。その為に必要な力を葉月は密かに蓄えていった。
　近くから安らかな寝息が聞こえてきた。パリへの直行便は約十二時間半のフライトとなる。長い時間、機内で過ごすことを想定して映画やゲーム等が提供された。自身で持ち込んだ小説や雑誌を読み耽る者もいた。
　葉月は白い雲を間近に見た。天国に近いところで祖父との思い出に浸る。
　幼い頃から絵が好きだった。クレヨンを握る手は赤や青に染まり、爪の中まで極彩色に彩られた。画用紙には想像上の生き物が群れて命の鼓動を感じさせた。側には決まって祖父がいた。優しい眼差しを孫に送り、何度も頷いた。
　嬉しくて葉月はクレヨンを走らせる。画用紙を食み出して机を汚しても怒らず、逆に小さい画用紙に負けない想像の大きさを褒めた。
　月日が経ち、クレヨンを物足りなく思い始めたある日、祖父から七十二色の色鉛筆をプレゼントされた。想像が一気に膨らんで眠っていた才能が目覚めた。十二歳にしてコンクールで受賞を果たす。輝かしい一枚の絵は父親に激しく拒絶されて目の前で引き裂かれた。
　その悲しさを力に変えて葉月は今、遠いパリへと旅立つ。父親が快く送り出してくれることはなかった。最後は号泣に近い状態で折れた。
　思い出した葉月の頬に涙が流れる。その意味を持て余し、席を傾けて瞼を閉じた。

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