胸に沁みいる秋の空｜リアクション

胸に沁みいる秋の空

　旧市街にある寝子島図書館に綾辻綾花の姿があった。広いテーブルの端の方に座って問題集の設問を読み解く。ノートは答えで埋まり、次の頁を捲った。
　長い間、同じ姿勢を取っていたこともあり、軽く頭を左右に動かす。解消されないのか。手を止めて大きな伸びをした。
　改めて周囲を眺める。立ち並ぶ書架に親しみを込めた目を向けた。
　――受験生なので仕方ないのですが、図書委員として活動する時間がかなり減りました。司書の先生と会う機会も減って少し寂しいです。
　目は一人の人物に注がれた。新しい本を書架に収めていく。長い髪の女性だった。
　――図書館で勉強すれば捗ると思いましたが、一層、寂しさが募ってしまいました。
　綾花は溜息を吐いた。ノートや教材を閉じて椅子から立ち上がる。目はガラス越しに見える紅葉を見つめていた。

　小ぶりなリュックサックを背負って旧市街を歩く。時折、吹く風は冷たくコートの襟に付いた白いファーに頬を寄せた。
　寒さが影響しているのか。路地や塀の上に猫の姿がなかった。陽だまりでも同じで次第に綾花の表情が暗くなる。
　――寂しい気持ちを変えようと思ったのですが、余計にしんみりしてしまいました。
　急に足取りが重くなった。何とはなしに沈んだ目を横手に向ける。
　瞬間、黒と赤の色が目に飛び込んできた。相手は気付いていないのか。横手に曲がった。
　背中を見えない手で押されたように綾花は走り出す。懸命に腕を振って路地を駆け抜けて右手へ曲がる。
　黒いロングコートの背中を見つけると弾けるような笑顔を見せた。乱れたボブを手で整えながら速足で近づく。
「珪先生も散歩ですか？」
「そんなところかな」
　穏やかな表情で振り返る。中に着ていたシャツは原色の赤。早川珪らしく、ホストのような見た目であった。
「受験勉強は捗っているのかな」
「今日も寝子島図書館で勉強していました」
「順調のようだね。安心したよ」
　二人は会話をしながら同じ方向に歩き出す。
「珪先生はちゃんと自炊をしていますか？　少し頬が痩せたような感じがします」
「体重は変わっていないと思うけど。自炊は、ゆで卵くらいなら」
　珪は笑って答えた。綾花はムッとした表情を作った。
「手作り弁当を持って家に押しかけますよ」
「反応に困る行動だね」
　困ると口にしながら存外に明るい。逆に綾花は気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
　二人の会話が止まる。黙って歩いていると綾花が先に口を開いた。
「三年生はもうすぐ卒業になります」
「そうだね」
「珪先生が学生の頃はどうでしたか？　寂しい気持ちになりました？」
　質問した綾花は珪の横顔を見つめる。
「卒業の嬉しさが勝ったように思う」
「そう、ですか。私は少し寂しいです」
「その理由を聞いてもいいかい？」
　珪は綾花の目を見て言った。全てを受け入れるような優しさに触れて口はぽつぽつと語り出す。
「卒業もありますが、三年生になって図書委員としての活動が少なくなりました。私だけの話ではないのですが」
「その気持ちはわかるよ。僕も当事者の一人だからね」
　何かを思い出すように珪はしみじみと言った。
　綾花は横目で窺いながら言葉を続ける。
「学校の図書室は勉強で使う場合もありますが、寮に帰って勉強することが増えて余計に寂しさを募らせていると思うのです」
「そのような時はいつでも図書室にくればいい。勉強の量は必要だけど、質も疎かにはできないからね」
「ありがとうございます。勉強、頑張れそうです」
　綾花は会心の笑みとなった。
　――大好きな珪先生に会いに行きます。
　心を想いで満たした綾花は珪と共に歩いてゆく。

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