胸に沁みいる秋の空｜リアクション

胸に沁みいる秋の空

　寝子島高校の第一グラウンドでは体育の授業が行われていた。四限目もあって生徒の意欲は低い。大半は力なく、だらだらと走る。
　楡宮遠海は例外で全力に近い走りを見せた。目には強い意志が宿り、ショートの髪を弾ませて向かい風を腕の振りで断ち割った。
「……空腹は最高の調味料」
　走りながら何度も同じ言葉を呟く。
　体育の授業が終わっても遠海の力は衰えない。今度は短距離走の選手となって北校舎のカフェテリアに駆け込んだ。
　食券機を眼前に据えて突っ込む。靴底を鳴らし、ぶつかる寸前で止まった。ジャージのポケットから札を取り出し、挿入口に押し込む。高まる食欲でメニューのボタンを連打。出てきた二枚の食券を引っ掴み、即座に注文した。
「お願いします！」
「時間差で出すよ。ご飯はいつもの大盛りだね」
「助かります！」
　流れるような遣り取りで遠海は一つ目の料理を受け取る。迷うことなく調理場に近い席に落ち着いた。
「これが日替わり定食Ｂ！」
　心なしか目が潤んでいる。角皿には程よく焼けたサンマが主役とばかりに存在感を醸し出す。近くに添えられた大根おろしが心憎い。赤だしの味噌汁は具沢山で食欲を否応なく引き出し、準主役の炊き込みご飯には生唾を呑んだ。シメジやシイタケに紛れて鶏肉が見て取れた。
　――旬のサンマに贅沢なキノコご飯が、もう、ダメだよ。これ以上の空腹には耐えられそうにない。
　手を合わせて、いただきます、と歓喜で震える声を漏らす。
　目は主役のサンマに向かう。いきなりふっくらした腹部は狙わず、尻尾の一部を箸で摘まみ、軽く揺するようにして身を剥がした。盛られた大根おろしを上に載せて一口で食べる。
　咀嚼の最中に笑みが零れた。噛む度に染み出す極上の脂と旨味に身体が震える。いつまでも噛んでいたい欲求を泣く泣く手放して溜息を吐いた。鼻腔にサンマの香りが溢れて美味しさが瞬時に蘇る。
　遠海は笑顔のまま次々に箸を伸ばす。行儀よく加速して締めの一品、白菜の浅漬けを口にした。
　最初の時と同じように手を合わせて、ごちそうさまでした、と感謝を込めて言った。
　立ち上がると軽い足取りでトレイを運ぶ。
「できたよ」
　返却と同時に調理場から声を掛けられ、新たなトレイを持って席に戻った。
「これが日替わり定食Ａ！」
　最初と変わらないテンションでトレイの中身を覗き込む。
　メインの鉄板にはこんがりと焼けた牛肉の塊が威圧感を放つ。周りを囲むのはカボチャとレンコンで、とろりとしたバター醤油のソースが全体に掛けられていた。立ち上る濃厚な匂いに深呼吸が止まらない。
　ナイフとフォークを持った状態で、いただきます、と言って肉の塊に挑む。切っては食べて蕩けるような笑みを浮かべた。
　唇を艶やかにしてライスを食べる。口直しのポテトサラダのコーンが口の中で甘く弾けた。コンソメスープは野菜の甘味とベーコンの塩味が調和して優しく胃を満たす。
　やはり加速が止まらない。絶えない笑顔を周囲に振り撒く。影響を受けた者達はいつも以上の空腹に襲われ、カフェテリアは混雑を極めた。
　最後の肉の一切れを口に含む。咀嚼した状態で手を合わせて飲み下したと同時に、ごちそうさまでした、と品よく言った。
　余韻に浸るような顔で声を漏らす。
「次はカキフライ、カツオのタタキに、あと秋鮭も……」
　言いながら口元が緩む。ふらりと立ち上がってトレイを持つと目が丸くなる。
　ランチを求めて長蛇の列ができていた。
　――最後尾に並ぶと昼休みが終わりそうなんだけど。
　トレイを返却した遠海はなだらかな腹部を撫でて苦笑いを浮かべた。
　しょんぼりと引き返す。その間に笑顔を取り戻した。
「秋は始まったばかりだもんね！」
　遠海は元気よく走り出した。

　食欲の秋はまだまだ終わらない。

このページにイラストを設定する