ブラック・ブラックの夜｜リアクション

ブラック・ブラックの夜

◆9:44　電車と唐獅子と怪盗と

　鰐淵が反射的に瞼を閉じる――鋭い衝撃音。
　しかし、いつまでたっても鰐淵の顔に痛みは走らない。
　恐る恐る眼を開けると、眼前に葦原が立ち塞がり、影人間の腕を掴んでいた。
「敵わないと踏んで戦いに向いていなさそうな者から、というつもりか……それとも、恐れをなしたか？　漆黒の愚者よ」
「ハッ！　笑わせんなっていってんだろうがッ」
　影人間が、掴まれた腕を振りほどく。と、同時に葦原も距離を取り、指を鳴らした。
　――赤、青、緑、紫。色とりどりの光の玉が影人間の周囲に現れ、消え、そしてまた現れていく。
「……へぇ」目の前の出来事に関心があるのか無いのか、鰐淵は僅かに残った霧を撫で、眼を細める。「随分と汎用性が高い……なるほど。最初の霧は『偶然』か」
　ツインテールの先を指で弄びながら、嘲笑を含めた表情を浮かべ、彼女は唇を歪めた。

　当の影人間は自身の周囲を旋回、明滅する発光球に拳を当てようとしていたが、それは不発に終わる。
　二度三度とそれを繰り返す影人間に『蒼穹』を発動させた如月が再び攻撃を仕掛けようとした時――その場にいた全員の鼓膜を、大音響のブザー音が震わせた。
　見れば、大きく口を開けた雨寺が誘導するかのように手を降っている。
　その隣には緑色のパーカーに身を包んだ猫村翡翠が、腕を組んで自慢げな表情を浮かべていた。
　――猫村の背後、黒く塗り潰された壁面の上には、見事なスカイブルーの寝子島電鉄、通称『ねこでん』の車両が大きく描かれている。
「よっくも『ねこでん』を真っ黒にしてくれたな……！　もう、絶～～～～～ッ対ッにッ！　許さない！」
　猫村が叫びとともに、手にしたスプレー缶を影人間へ向けて突き出す。
　週に一度は「ねこでん」に乗るために通学ルートを変更するほど「ねこでん」を好む猫村の瞳は、黒く染め上げられた車両を思い出し、怒りに燃えていた。着込んでいるパーカーの色と同じ、緑の双眸が煌めく。
「……オイコラ何だそこの『ついさっき芽吹いたばかりの新芽です』みてェな服着てるお前……自分が何したかわかってんのか？」
「……ハァア？　いや、君こそ何してくれてんですかこの野郎」
　頬を痙攣させる影人間の問いかけに奇妙な言葉で応じたのは、猫村――ではなく、その隣にいた唐獅子柄のパーカーを着た男だ。
「黒黒黒黒って、そんなに黒に拘るってことは、さ。おおかた『自分は美しく立派で強い』って言いたいんだろうけど……僕から言わせればそんな奴は一生強くなれないし、支配も出来ない。君は一生弱者のままだよ」パーカーについたフードを目深に被り、ニヤニヤと笑みを浮かべた口元だけを見せて、添木千唐は更に続ける。「てか、ね。何より……黒に拘って、厨二病かよ。だっせーなァ」
　ケラケラと笑う添木に――影人間は弾丸のように跳ね、駆けた。
　黒い軌跡を残し、猛然と走る線に――横合いから『別の』黒が、交差する。
　飛び出した黒影は、影人間を通り超えて地面を転がり、勢いを殺すと膝をつく。
　残された慣性で、黒いマントが音を立てて広がった。
「……パーフェクト」自賛の言葉を呟いたシグレが手にしているのは――黒い羽根。
「あ、怪盗アヤシーだ。逃げたのかと思った」新井がポツリと呟く。
「シーしか合ってない！　俺は怪盗ケットシーだ！」シグレが猛然と反論する。「ずっと物陰からチャンスを窺っていただけだ……で、奴は？」
「駄目だな……止まらない。戦闘続行、だ」
　如月の言葉に、その場に居た全員が視線を交わし、走りだした。