ブラック・ブラックの夜｜リアクション

ブラック・ブラックの夜

◆AM8:47　始まりの黒

　混乱と畏怖を交えた騒がしさに沸いていたシーサイドタウン駅は、まるでそれが幻想であったかのような静寂に包まれている。
　駅の周辺だけではなく、寝子島一体に『ほとんどの生き物が溶けてしまった』かのような、不気味な静けさが広がっていた。
　そんな中、風に揺られて微かな音を立てる草花に紛れるように、小さな声が一つ。
「ハッカチョウ……ミヤマガラスにビロードキンクロ、ハシビロコウ……は違う」
　――黒。
　街灯もアスファルトも薬局の前に置かれた薬箱を抱えた招き猫も、ポストも信号機も、全てが黒い。
　そんな異常な景観の中にあっても、大天使天吏は鞄から野鳥図鑑を取り出して、パラパラとページをめくりながらキャットロードを歩いていた。
「オウチュウ……クロウタドリ……クロツグミ、クロサギ」
　図鑑、あるいは頭の中に収められている『黒い鳥』の名前を口ずさみ、あてもなく歩き続ける。
　世界の変化を認識していないのではなく、色どりを変えていく世界の中でさえ、彼女の頭の中で一番最初に浮かんだのは――鳥。
　周りが黒くなっていく。世の中の黒くない鳥はどうなるのだろう。黒い鳥だけが残されるのか。黒くない鳥も黒くなって生きていくのか。
　――見てみたい。そんな多くの嗜好と、少しの好奇心。
　それだけで動いているのか、自分でさえも把握していないが、足は動いて、目は空を映している。
　空を飛ぶ鳥も見当たらず、視線を下げた大天使の視界に『黒い人影』が入った。
（マネキン……コンクリートから生えている？）
　足が地面と同化しているように見えて、小首を傾げる。
　しかしその人影が、大天使の気配に気付いて『振り向いた』のを見て、理解した。
　比喩ではなく、あれは人であって、影。
　僅かな光沢が描く起伏から、正面を向いていることが、かろうじてわかった。しかし影は微動だにせず、大天使を見据えている。
　大天使が、傾けた首の角度を深めた。思考、思案、思惟。おそらく、この影人間こそが、この景観を生み出している張本人だろう。
　奇妙な影を瞬きもせずに見つめて、大天使が思い出したかのように口を開く。
「……黒い鳥を見かけませんでした？」不意の一言に、影人間が眉間に皺を寄せたような気配があったが、大天使は構わず続ける。
「鳥って自分の体が色鮮やかであれば有るほど分かる色も増えるらしいの。だから黒い鳥さんでも物を分かりやすく判別できるよう世界を黒く染めてくれるのはいい事かもしれないですね、頑張ってください」
　小さくゆっくりと頷く大天使に、影人間が無言のまま一歩足を踏み出す。
　その姿を見て、大天使は引き下がるわけでも、身構えるわけでもなく、歩道に設えられた花壇――その上に舞う蝶を見ていた。
　眩しく目に飛び込む、白い羽根。
「もしかして……生物は黒く出来ない？」
　疑問を口にしながら、視線を戻す。
　しかし、既に影人間の姿は消えていた。
「…………試してみるか？」
　耳元で、聞き慣れない男の声が響く。背後に粘つく気配。
　次の瞬間、大天使の視界は黒に覆われ――そして何も聞こえなくなった。

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