天使と悪魔のロマネスク｜リアクション

天使と悪魔のロマネスク

真説・地獄めぐり

　湯川馳夫と、湯川ミヨ。長年連れ添う、熟年仲良し夫婦の楽しみのひとつは、観光旅行へ出かけることだ。ふたりで巡った全国の名所旧跡は数知れず、本日もまた、何年ぶりかに大分県は別府の温泉地、地獄めぐりへ向かうところだった。
　そのはずだった……のだが。気付けば見慣れない、やけに険しいところに、ふたりは立っている。
「あらま。しばらく来ないうちに、地獄めぐりも変わったもんだねぇ、ミヨちゃん」
「そうですねぇ馳夫さん、何だかヘンテコな場所になってしまったみたいですねぇ」
　ぽかんとして眺めた、ごつごつとした黒い岩肌は、まるで溶岩石のようだ。というより、近くには白熱した溶岩流が川となって流れているし、向こうの山々の連なりを眺めれば、そのものずばり。火山がどかんと火を噴いている。
　いかに地獄と名は付けど、別府と魔界では、随分と様相も違おうというものだ。
　だというのに、
「ふむ？　血の池地獄や、間欠泉はどこだろか……」
「そういえば、昔このあたりで、地獄蒸しを作ったのを思い出しますねぇ」
「ああ、ありゃあ美味しかったねぇ。今回も食べられると良いね……おや？　ずいぶんと口の大きな生き物がいるねぇ、ということは、ここはワニ園のあたりかな？」
　大口を開けた奇怪な魔物を眺めて馳夫が言えば、ミヨはにこにこと微笑んで、
「そうですねぇ。少し、あたりを散策してみましょうか？　別府もすっかり変わってしまったみたいですけど、これはこれで」
「うん、そうだね。これもまた、旅の醍醐味ってやつだろうさ」
　きゅ、と優しく手を握り合い、夫婦は魔界……いやさ、ふたりの思い出に横たわる懐かしき地獄を、ゆっくりと見物して歩く。
「あら、馳夫さん。あそこに、カラス天狗の恰好をした人がいますよ」
「本当だ。こっちの、青い法被を着た人は、ガイドさんかね？　もしもし、教えてくれんかね。ここらはこの地図だと、どのあたりになるのかね？　鉄輪温泉はどの辺かしら？」
「ああん？　温泉だぁ？」
　ミヨが指差したのは翼を持つ鳥の魔物で、馳夫が地獄めぐりのガイドブックを手に話しかけたのは、青い肌の悪魔だった。
　悪魔はじろり、仲睦まじい夫婦をひとつ睨みつけ、しばし険しい視線を送った後に、
「……なんだぁ、この地図？　ここらで温泉と言やあ、溶岩温泉だろ！」
「溶岩風呂？　それはまた、面白そうだねぇ」
「新しい地獄でしょうかねぇ、行ってみましょうか、馳夫さん」
　にこにこ。悪魔を前にしても、ふたりは相も変わらず笑顔を浮かべ、実に楽しそうだ。
　何しろ彼ら、旅慣れているのである。この程度の変わりようでは、いちいちうろたえたりはしないのだ。
「溶岩風呂は最初は熱イが、慣れれば気持ちイイぜ。道がちょいと険しいから、足元に気を付けなよ、爺さん婆さん」
「ご親切にありがとう、ガイドさん。うふふ、楽しみですねぇ、馳夫さん♪」
「うんうん。今度の旅も、めいっぱい楽しむとしようかねぇ、ミヨちゃん」
　コワモテと粗野な態度に反し、意外にも親切な青肌悪魔に見送られて、彼らはさっそく温泉へと向かう。
　地獄だろうと魔界だろうと、結局のところ、さしたる違いは無いのだろう。こうして固く手を結び、互いのぬくもりを感じていられるなら、幸せは常に、ふたりを満たしてくれるのだから。