天使と悪魔のロマネスク｜リアクション

天使と悪魔のロマネスク

漫画喫茶『怠惰屋』

　黒雲渦巻く魔界ではあるが、そこには何も、剣呑な悪魔ばかりがひしめいているわけでは無いようだ。
　なぜだかそこに建っている、漫画喫茶『怠惰屋（なまけや）』も、そんな魔界の一側面を表すもののひとつであるらしい。
「これは、何とも……興味深いですねぇ」
　ぐるりとその店内を見渡し、久須部紀伸は浮かれたようにつぶやいた。ホラー系イラストレーター、『KISHIN』として活躍する彼のこと、魔界産の漫画やアニメなどと聞けば、興味を惹かれないわけがない。
　漫画を楽しむ、どちらかと言えば温厚そうな悪魔たちに混じり、棚に収められている書籍の数々を手に取ってみれば、それらは紀伸にとって、垂涎の代物といっても過言では無かった。
　エロ・グロの基準が人間世界のそれと比べて格段に緩やかで、端的に言ってスプラッタでバイオレンス、エロティックだ。それもかなり。
「ほほう、これは……『憎き勇者を倒すため、魔王よ立ち上がれ！　絶望と裏切りの王道ファンタジー巨編』、ですか。こちらの漫画は、少女漫画のようですが……『悪魔と天使の禁断の恋を描いたラブストーリー。切ないラストに、女性悪魔１００人が共感の涙』……？」
　前者の『ヒューマンクエスト』は、魔王が忠実な部下を次々と使い捨てながら、勇者を惨殺するために権謀術数を巡らせるというファンタジーもの。ぱらりとページをめくると、のっけから凄まじい暴力描写が飛び出す。
　後者、『食べたいくらい愛してる。』は意外にも普通の恋愛もの……と思いきや、成年漫画もかくやといった濃厚なラブシーンが随所に散りばめられている。女悪魔たちが共感したというラストは、悪魔が恋した天使を泣きながら食べてしまうという、人間的には衝撃サイコホラーエンドであったが、魔界ではそれほどショッキングな展開では無いらしい。というより、近くで同じ本を読んでいるらしい少女悪魔の顔は、まさしく共感に打たれ、こぼれる涙でくしゃくしゃになっている。
「あっはっは！　おもろいなぁこの漫画！」
　軽やかな笑い声に、見ればアベル・タウンゼンドが、さもこの店の常連であるかのようにすっかりくつろいで、魔界漫画を読み漁っていた。
「楽しそうですね。何を読まれているんですか？」
　店員らしき小悪魔に頼んでみた軽食……血の滴る肉片といった趣きの何か、意外にも美味であるそれを頬張りつつ。紀伸が尋ねてみると、
「ん、これ？　『さつじんっ！』って漫画なんやねけどな、読んでみる？」
　オススメや！　といって渡されたそれは、どうやら魔界においては異色の、人間の世界を舞台にした物語であるらしい。
「ほう、ほう。『平凡な少年、ヒロシが立派な連続殺人鬼として成長していく様を快活に描く、サクセスストーリー』……」
「な、おもろいやろ！　ここんとこ、ヒロシがうっかり友だちをバットで撲殺してもうて、あたふたしてるとこなんか……あっははははは！」
　何かがツボにはまったのか、あるいは背に生えた黒い翼の影響か、血みどろの暴力シーンをけらけら笑いながら読んでいる彼女に、紀伸は苦笑いである。
「悪魔の描いたマンガって、こんななんやなあ。おもろいなぁ」
「そうですね。どんなものであれ、我々とは全く違った感性に触れられるのは、楽しいものですね。あ、食べますか？　意外にイケますよ」
「おーきに……ってこれ何の肉や、気色悪ぅっ！　おもろいなぁ、あははははー♪」
　謎の肉をシェアしつつ、互いに気になる本を紹介し合ったりしながら、ふたりは魔界漫画を大いに楽しんだ。