悠久の時の彼方へ～牢獄の聖女｜リアクション

悠久の時の彼方へ～牢獄の聖女

Dix.

　5月29日、深夜。ルーアンのル・ブーヴルイユ城の城門にほど近い路上で、穀物や材木を積んだ馬車が一台待機していた。ジャンヌの護送を受け持つのは、八神修、獅子島市子、桜崎巴、間宮芽瑠、そして仲秋薫というメンバーだ。打ち合わせの時刻が近づいてきているが―――
　近づいてくる数人の足音に、馬車の面々は色めき立った。ジャンヌ救出班が、無事役目を終えてジャンヌを送り届けに来たのだ。
「ジャンヌちゃんを頼むよ！」
　ジャンヌを送ってきた一人、ニコ・ライニオの言葉に、護送班の皆が頷く。
　さっそく、御者台の八神修が馬に鞭を入れる。馬持ちは伊達ではない。馬の扱いは慣れている。馬車の上では、間宮芽瑠がジャンヌに向かって事情を説明している。
「ジャンヌさん、私達はこれからオルレアンに向かいます。追っ手や関所をごまかすために、下働きの女性に変装してもらいますね」
　自分も同じように下働きの女性に扮した芽瑠は、粗末な服をジャンヌに被せ、長髪の鬘をつけさせた。
「顔もちょっと変えます……ごめんなさいね」
　芽瑠はジャンヌの顔にあばたを書き、醜女に仕立て上げた。
「名前を聞かれたら、マリーとでも名乗るといいでしょう。とてもいい名前ですしね。神のご加護がありますように……」
「不思議な方たち……ええ、私は神のご加護をいつも信じています。ありがとうございます」
　ジャンヌは感謝の言葉を口にした。

　一行はルーアンの市街地を通り、城壁まで向かうが―――
「こんな夜中に何を運んでいる！さっき市街地で放火騒ぎがあったそうだ。調べさせてもらおう」
　早速、街の警備兵に捕まった。
「ルアーブルまで、至急納品を頼まれまして……さらにもう一台来るのですが」
　修が通行証を示して説明するが、兵士は納得いかない様子だ。
「物資の輸送はわかるが、下女がなぜそんなにいるんだ。お前、どうなんだ！」
　まずいことに、兵士がジャンヌを疑いの目で見ている。思わず動揺した顔をするジャンヌに、修はとっさに歌舞伎「勧進帳」の有名なくだりを思い出した。
「お前がグズだから変に思われるんだぞ！」
　修はジャンヌをどなり、鞭を上に振り上げた。その剣幕に、兵士も修を思わず止めた。
「もういい、行け」

　一行は一旦窮地を脱する。兵士たちが見えなくなると、修は小声でジャンヌに謝った。

　ルーアン市街地を出てほかの町に向かうには、関所を通らなければならない。ルーアンの関所には、すでに牢獄での騒ぎの知らせが入っており、警備はさらに物々しかった。
　関所を前にして、薫はそっと馬車を降りる。彼女の能力を使った作戦のためだ。

　眼鏡を外し、コンタクトをいれた市子は、静かに取り調べの様子を見守っていた。貧しい容貌や服装を意識し、ジャンヌたちとともに目立たないようにしている。
「積荷と人員、少々調べさせてもらおうか」
　関所の二人の衛兵は、修の見せた通行証にも、首を縦に振らなかった。
　疑り深い衛兵に、巴が出てくる。
「妙に念入りだねぇ。もしや、大罪人でも逃がしたのかい？」
　衛兵は思わず口をつぐんだ。確かに、重要な罪人が脱獄したとの情報は入っているが―――
　巴は衛兵の心理を読み取る。彼女の言葉を肯定すれば国として大恥だ。だが、否定すれば取り調べをする理由に困る。衛兵が悩んでいるのを見切った巴は、銀貨の入った袋を見せてさらに追い討ちをかける。
「急がないといけないんでねぇ。こいつでお一つ……」
　一人の兵士は誘惑に負けそうになった。しかし、もう一人の方はまだ落ちない。
「いや、それはならん……」

　市子は、苦しげに咳き込み始めた。体調不良の演技に、衛兵の視線が集まる。
「この女、病気か。まさか疫病ではなかろうな……」
　賄賂を受け取ろうとしない方の一人が市子に近づく。その時、市子は兵士の顔を見るなり、一声叫んだ。
「ジャン！？」
　衛兵に抱きつく市子。
「今までどこに？母さんも心配してるのよ！」
「まて、俺はそんな名じゃない、人違いだ！」
　ひとしきり喚いた挙句、市子はようやく「人違いに気づいた」。
「あら、顔がジャンに生き写しだったの……ごめんなさいね」
　衛兵に謝罪する市子。それとともに、馬車が動き出す―――
「待て、取り調べはまだ―――」
　衛兵の言葉は無視され、馬車は関所を素早く通過した。今のひと騒ぎの間に、片方の兵士は賄賂の誘惑に負け、門を開いてしまったのだった。