悠久の時の彼方へ～牢獄の聖女｜リアクション

悠久の時の彼方へ～牢獄の聖女

　馬車が通過したのを確認した薫は、そっと数を数え始めた。リミットは1分間。
「何をしてくれるんだ！」
「いいだろう、少しくらい！」
　衛兵が喧嘩しているところに、薫は近づいて声をかける。
「ちょっと失礼―――」
「なんだ、お前は」
　衛兵は薫の姿に不審の表情を見せた。顔や髪をスカーフで隠しているのだから当然だ。兵士は手を伸ばして顔を暴こうとする。嫌そうに避ける薫。実際顔を見られるのは嫌なのだから演技には迫真性があった。
　衛兵が彼女の顔を見た瞬間だった。薫は片方の頭をぽかりと殴った。薫のろっこんにより、彼は直前1分間の記憶を失う。
「何者だ！」
　もうひとりが掴みかかってくるが、薫は体をひねり、兵士の手をすり抜けた。得意の棒術で手にした棒を巧みに操り、相手の手と足を払いのける。ろっこん発動に、ダメージを与える必要はない。相手が怯んだ隙にこつり。これで十分だ。
「あなたは何も見ていない。あなたたちは馬車なんて見ていない。そうですね？」
　きょとんとした顔の衛兵たちを残し、薫はその場を立ち去った。

　長い道中、馬を休ませるための休憩が必要だ。市子は、この時間を使ってジャンヌに飲み物や菓子パンを渡す。
「これ、少ねーかもだけど」
「お気遣い、感謝します」
　しかし、思わぬ邪魔が入る。イングランドの紋章をつけた兵士がひとり近づいてきたのだ。
「お前たち、こんな夜中に何をしている」
　疑いの目を向ける兵士。ここで、芽瑠がとっさに馬車から飛び出した。
「おい、待て！」
　全速で逃げて適当に兵士を引きつけると、芽瑠は止まって兵士のほうを向く。
「私、こう見えても合気道の有段者なのですよ」
　にっこりと笑うなり、芽瑠は飛びかかってきた兵士に技をかけた。手加減なしで地面に叩きつけられた兵士は、ぐったりと動けなくなった。
「相手が一人でよかった……覚悟していたより警備は薄いのね」

　その頃、ルーアンの関所の外で警備に当たるべき兵士たちは何をしていたかというと―――
「大変です！邪神の使いが生贄を求めて暴れてます！」
　夕鈴翼の声が、村を恐怖に陥れていた。
「ぐへへへへ……」
　川の水でろっこんを発動させた朝野未沙が、自在に動くピンクの触手を駆使して暴れまわっているのだ。
「前回、ジャンヌたんは好きにさせてくれるって約束したもんね！張り切っちゃうよー！ジャンヌたんが無事に逃げのびたら、あんなこととかこんなこととか……」
　妄想の激しさに比例して、触手の動きも激しさを増す。中世の人間相手でなくても、十分にホラーな光景だった。

「魔女が邪神の眠りを覚ましたそうだぞ！」
「眠りを妨げられた邪神は怒っているんだ！」
「邪神は、眠りを妨げた魔女を探してさまよっているのよ！」
　未沙を目撃した村人たちの間で、噂が錯綜する。すべて、翼が触れ回ったものだった。
　この騒動のおかげで、周辺の警備兵は出払ってしまったのだった。
　村人に怪しまれないよう、村娘の服装で変装した翼はさらに大声を出して駆け回る。普段のいたずらの延長のようなもの、彼女の得意分野だ。
「逃げた魔女を取り戻したら、そこに邪神が襲って来るかも！魔女は遠くに行かせるのです！」
　兵士の姿を見て、翼は噂話に工夫を混ぜ込む。ジャンヌを奪還したら邪神が襲ってくると思わせれば、イングランドの兵士たちはジャンヌ奪還をためらうかも知れない。
「ジャンヌたん、待っててねー！」
　暴走気味に、近くのものを壊したり、少女を捕まえたりする未沙。
「あまり騒ぎを大きくしても良くないです。そろそろ離脱しましょう！」
　ここらが引き際と判断した翼は、未沙に合図した。

　かくして、ジャンヌ護送班は一足先にオルレアンへと向かったのだった―――