授業風景～倫理の時間の場合～｜リアクション

授業風景～倫理の時間の場合～

＜旅鴉月詠の場合＞
「……非常にやりづらくなったのだが」
　剣呑な雰囲気の中、出番の旅鴉はスケッチブックを持って壇上に登った。
「ふむ、しかし魔女から魔女に出番が繋がるというのも一興か」
「私は魔女じゃないですぅ」
　旅鴉の言葉に不服そうな牡丹。
　だが、神魂事件で魔女化していた事を思い出すと、ぷいっと窓の方へそっぽ向いてしまった。
　そんな牡丹に軽く頭を下げる旅鴉。
「気分を害したのなら謝るよ、フィングストローズ＝サン」
「ナンデ！？　ナンデ知ってるんですか、旅鴉＝サン！？」
　驚きでエセ外国人口調っぽくなってしまう牡丹。
　旅鴉は真顔で言った。
「人の口に戸は立てられないものだよ。それに私、ネコミケのとき見てたし」
　牡丹は「ぐぬぬ、解せぬ」と羞恥心とともに頭を抱えた。
　クールな旅鴉の会心の一撃は、見事に教室内の鬱屈な空気を完全に吹き飛ばしてくれた。
「さて、本題に入ろうか。私が選んだ言葉はこれだ」
　半紙には【社会】と書かれていた。
「何故、人を殺してはいけないのかというと、やはり先生の言った通りだが法が支配しているから。我が国の法によって全ての人には生きる権利があり、それを侵してはならない。人を殺した罪を裁く法もある。何故こうした法ができるのかといえば、殺されたくないからだろう。法を作る者も人間だ」
　そう言うと、持参したスケッチブックをめくる旅鴉。
　そこには紙芝居のようにイラストで解説が描かれていた。
「この質問には『自分が殺される可能性』が抜け落ちている。他人の生を尊重し合わねば社会は構成できない。人は１人で生きていくものではないからね」
　ページをめくると、白丸の群衆と黒丸の個人が描かれていた。
「更に『自分が死んでもいい』と思って他者を殺す者は既に『人でなし』なのだろう。この黒丸がそうだ。その存在を人間の社会、つまり白の群衆が許さない」
　彼女はページをめくった。
　群生する背丈の高い草の絵だ。
「違う話を１つしよう。人間は思索する生物だ。フランスの１７世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルは『人間は考える葦である』と言った。『何故、人を殺してはいけないか』という質問は人を殺した事がないからくる純粋な思索も、既に殺してしまった者が同じ質問を投げかける場合、それは自分を欺き弁解している姿だ。思索をしたいならば人を殺すべきではない」
　もう１つページをめくると、今度は頭部の断面図が描かれていた。前頭葉の部分に、赤文字で『ストレス』と書かれている。
「もう１つ違う話をしよう。人は生物を殺すとストレスを感じる生物であるらしい。知識を持ったが故、相手が受けた痛みが解ってしまう。ましてや同じ姿をした生物をや、だな」
　ここまで言うと、スケッチブックを畳んで、背筋を伸ばしたまま冷静にまとめた。
「無益な殺生をしてはならない。己の欲せざることは他人にも為すなかれ。己が生きる為に奪った生への尊重を。これが私の現実と感情の視点において現実的な解だ」
　そして中野先生の顔を見遣る旅鴉。
「もっと詳しくしたいが、時間がないのでここまででいいでしょうか？」
「分かりました。気が向いたら、是非とも職員室で深い部分まで聞かせていただけると幸いです。お茶くらい出しますよ」
　中野先生の知識欲に、思わず旅鴉は口元を緩めた。
「では、そのときは茶菓子を持参しないといけませんね」
　そんな機会が実際に来たら素敵だろうな、と旅鴉は席について静かに期待した。