授業風景～倫理の時間の場合～｜リアクション

授業風景～倫理の時間の場合～

＜添木牡丹の場合＞
『人を殺してはならないと考える理由』
　→自己満足のため

『その理由を端的に表した言葉』
　→【人間とは「感情」で生きる醜い生き物】

「不殺生……いい綺麗事ですね」
　開口一番、牡丹は嘲笑った。
「ええ、とっても綺麗で耳障りのいい考えですね。けど、先生。そもそも人間に限らず生きるもの全て、日々の糧を得る為にナニカを『殺して』生きてます。宇佐見くんが言うように、ね？」
　それに憮然とした表情で宇佐見は睨み返していた。
「生物を殺して摂取している時点で『不殺生』なんて言葉は意味を成しませんよ。それ以上に人間は醜い」
　牡丹はキリスト教（主にカトリック）における七つの大罪を黒板に書き始めた。
「先生のおっしゃる通り、確かに不殺生の思想は現代社会の根底に多少はあるでしょう。ですが、それ以上に人間は『感情』で動く生き物です。“色欲”から来る愛憎、“傲慢”による差別、“憤怒”と“嫉妬”から生まれる他者への敵意、誰かがやってくれると知らん振りする“怠惰”に飢えなどの“暴食”、そして地位や金銭、名誉などを欲する“強欲”……。これらの感情で、人は簡単に他者を害し、踏みにじれます。だから、殺人や戦争はなくなりません。いつの時代でも！」
　牡丹は声を上げて嘲笑した。
　その顔は、どこか優越感に浸っているように見えた。
「正しい教えを広めるはずの宗教ですら『宗教戦争』という名の殺し合いしてますし、宗派同士の争いは今尚なくならない。仏教だって、そういった事実がありますしね？　歴史を見ても、今でさえ、宗教の教え故に異端扱いで殺された人も多い。……所詮、綺麗事ですよ、不殺生なんて」
　敢えて悪感情を煽るような口調で牡丹は発表を続ける。
　まるで教室に居る者達の反応を伺うかの如く、彼女は挑発的な態度を貫く。
「だからこそ、私は人殺しはしませんよ？　人は『死』という穢れを忌み嫌いますからね……。それだけでも私が大好きな人達に私が嫌われない要素になります。こんな私でも、嫌われたくないって願うんです。……ええ、エゴな感情ですよ、自認します。でも。突き詰めれば理由なんてそんなものです」
　最後に、受講者を見透かすかのように牡丹は壇上から見下した。
「あなた達の理由だって、『そうしたい』『そうありたい』っていう、エゴじゃないですか？」
　そう言うと、上機嫌に席へ戻る牡丹。
　受講者は口にスポンジでも詰め込まれたように、意見を出そうにも言葉が出てこない。
「……添木さんの意見はよく分かりました。確かにエゴかもしれません。ですが、他人を故意に害してはいけないという『正しい心のあり方』をずっと古くから願って現代に伝えてきたことは、……単なるエゴではないと、私は思うのです」
　唯一、中野先生だけが寂しそうに、そんな言葉を口にするのだった。