天神平薬局のお薬キャンペーン｜リアクション

天神平薬局のお薬キャンペーン

　夕焼けを背にした小野田万里が朦朧とした顔で帰路に就く。眠そうに沈んだ目が心の深淵を思わせる。髪型はポニーテールで愛らしい一面を覗かせた。結わえている物体が輪ゴムの為、同時に哀愁も醸し出していた。着込んだピンクのセーターはどこか古めかしく、袖の部分に毛玉が幾つか出来ていた。
　だらだらと歩く中、いつもの道から外れた。意識までぼんやりしているのかもしれない。適当に角を曲がって自ら深みに入っていった。
　薬局が視野に割り込んできた。若い女性店員が長机の前に待機している。
「何、この薬は」
　不機嫌な声で万里が顔を突き出す。目は机上の薬に興味を示した。
「お薬キャンペーンをしていましてー、無料で試飲できますぅ」
「色々あるけど、どんな効果？」
　疑わしそうな目で万里が店員に聞いた。
「それはですねー、こちらが媚薬になりまして」
「ねぇ、それ本当？　本物の媚薬で酒池肉林の免罪符なのよね？」
　完全に目が覚めた。覚醒した感がある。物凄い勢いで万里が店員に詰め寄った。
「こ、効果には個人差がありますぅ」
「でも、効果はあるのよね」
　頷く店員を見て万里の口元が極端に緩んだ。
「空からあたし好みの美少年が落ちてきたら、介抱のついでに飲ませりゃいいのよね、グフフ」
　万里は口元を瞬時に手で押さえた。溢れる欲望を防いでいるようにも見える。
　腕を組んだ若い男女が歩いてきた。万里はそれとなく横目で男の顔を眺めた。
　男性にしては睫毛が長い。鼻筋はすっきりと通り、笑うと薄い唇から八重歯が零れた。何かを見つけた女に腕を引っ張られ、横道に入っていった。
「非現実な美少年でなくても、その辺の可愛い男の子に飲ませる手もあるよねー」
　店員は何とも言えない顔で笑っていた。
「ではー、このお薬をどうぞー」
「えー、どうしようかなー」
　万里は手に取らなかった。わざと周囲に聞こえるように声を張り上げる。耳にした一人の青年が近づいてきた。
「この薬、試飲できるみたいだけどぉ。女の子が飲むには勇気がいるよねー。お兄さんもそう思いませんか」
　万里は上目遣いで青年に擦り寄っていく。そ、そうですね、と同意しながらも足早に立ち去っていった。
「そんなこともあるよね」
　自身に言い聞かせて周囲を見やる。
　今度は茶髪の少年が歩いてきた。背は低いものの、凛々しい顔をしていた。浅黒い肌が若々しい肉体を想像させる。
「とても魅力的な薬だけど、少し怖いのよね。誰かあたしの代わりに飲んでくれないかなー」
　少年は薬局の方に目を動かした。ここぞとばかりに万里は両腕を前にやり、胸を挟んで前屈みの姿勢を取った。意識して瞬きの回数を増やす。
　少年は立ち止まった。踵を返すと全力の走りを見せた。数秒の間を空けて、なんでよー、と万里は口にした。
「あたしはいつでもフリー素材だから、喜んで持っていけばいいのに……」
「あのー、魅力的なものでもぉ、無料になると手が出し難いなんてこと、あるかもしれませんよぉ。お薬キャンペーンをしていてぇ、そう強く感じましたぁ」
「……そうよ。そういうことなのよね」
　涙目となった万里は復活を果たした。早速、通り掛かった可愛らしい少年の前に立ちはだかると激しく腰をくねらせた。
「お姉さんのお願い、聞いてくれない？」
「ぼ、僕、お金ないです！」
　少年は見つけた路地へと走り込んだ。
　万里は微笑んで媚薬を手にした。
「安酒と一緒に飲んでやるぅ」

　その日、万里のアパートの近くでは奇妙な人形が空から落ちてきて人々を驚かせた。酔っ払った挙句に発動した、「あー空から美少年が落ちてこないかなー」のろっこんの影響であった。
「……坊や、可愛いわね……あたしの、胸で……グフフ……」
　本人は散らかった部屋の中に突っ伏して夢の住人となっていた。