【にゃーと鳴く人々】

　本来なら出演者か裏方さんだけ、スタッフオンリーな舞台裏の楽屋フロア。そこを歩く桜庭 円は、そのどちらでもありません。あくまで、観客の一人として、今日はこのスターヒル・シアターを訪れました。
　けれど一般客であっても、とある条件を満たせば、ここへ足を踏み入れることはできました。即ち、出演者のいずれかの応援のため、知り合いを尋ねるという名目であれば、円もこの空間を歩くことは許されるというわけなのです。
　そして本日この後に、円の大事な大事な家族が、舞台の上に立ちスポットライトを浴びることになっているのです。
（さーて、にゃーくんったら皆に迷惑かけてないかな？　立派にやってるかなぁ？）
　そう、にゃーくん！　円の相棒たる茶トラの子猫が、今日は、円とも親交厚いミス研の友人と共に、舞台へと登場することになっていたりするのです……！　しかも聞くところによりますと、これが結構、重要な役どころなんだとか？
　まさににゃーくんの晴れ舞台！　なのですけれど。円としましては、やっぱり……親心？　子離れできぬ親の心境とも申しましょうか、あるいは親バカでしょうか。
　気になってしまうわけなのです。
（本番前で、ぶりちゃんも皆も集中してるだろうし、そーっと……ねっ）
　確かに、楽屋の扉には、『寝子島高校ミステリ研究会様』なんて張り紙がありまして。円はその隙間から、そーっと。そーっと！　中の様子を、覗き込みます。
　すると、本番前ながらにリラックスしてマイペースそうに見える新井 すばるや、友人のブリジット・アーチャーがセリフの最終チェックをしている向こうに、姿が見えました。にゃーくんだ！
「……にゃあ」
　見ればにゃーくんは、真剣な表情を浮かべた神野 美野梨と向かい合って、何やら……一見すると、何かを喋っているような、そんな風にも見えました。まるで、彼女と打ち合わせでもしているかのようで、覗いた円は思わず、うんうん、頑張ってるなぁ、なんて楽しくなってきてしまいます。
（ファイトだ、にゃーくん！　ふふ、ボクは観客席で、応援してるからね？）
　心の中でファイオー！　してから、見つかってしまわないうちに、すすすっと円は退散しました。
　ぴら、と取り出したのは、この演劇祭のパンフレット。
（幕の内弁当はやっぱり、気になるなぁ……他には何か買っていこうかな？）
　客席へ行く前に、物販コーナーをひと巡りしてからにしようかな？　なんて考えながら、円はスタッフフロアを出ました。



「……よし！　こんなところだな。助かったぜ、刀くん」
　こちらは物販コーナー。アイルランド料理店、『spraoi』の出張店を出している七條 蛟が笑って、御剣 刀へお礼を述べました。
　そろそろお昼時が近くなってきたこともあってでしょうか、美味しそうなパンの匂いに、お客様が急に殺到！　てんてこまいになっていたところを、お弁当の売り子をしていた刀が突発的にヘルプに入り、どうにか捌き切ったところ。というわけなのです。
「いえ。コーヒーショップでのバイト経験が、役に立って良かった」
「お礼に……そら。持ってけよ」
「いいんですか？　ありがとう！」
　蛟が寄越してくれたのは、アイルランドの主食パン、ソーダブレッドのナッツ入りに、アップルジュース。刀はさっそくその場で、ぱくり！
「……うん、美味い！」
　外はサクサク、中はもっちり！
　ちなみに『spraoi』のお隣では、深縹 露草がお店を出しておりまして、
「お、これも美味そうだ……すいません、これ下さい！」
「いらっしゃいませ。手巻き海苔巻きと緑茶ですね、ありがとうございます」
　刀はこちらもその場で、ぱくり！
「……うん、美味い！」
　海苔巻きもソーダブレッドも、歩きながらでも手軽で食べやすく、刀はついつい食べ歩き。
　ふと見ると、物販コーナーに据えられているテーブルセットや長椅子などでは、ちょっと早めの昼食を広げるお客も、ちらほらと見受けられます。
（お、あれは……）
　とある親子連れが楽しそうにおしゃべりしながら食べているのは、紛れも無く刀が売った、幕の内弁当。
（あいつと一緒に作った弁当だ。良かった……喜んでもらえてるみたいだな）
　この幕の内弁当を巡っては、演劇祭の開催を前に、それこそちょっとした一幕がありました。せっかくの機会に、このイベントならではの特製幕の内弁当を、みんなで作ろう！　といった動きがありまして、刀も友人と一緒に、そこへ参加していたのです。
　親子連れの子供がぱくりと口に入れたのは、刀自身が作った鶏のから揚げ。お父さんとお母さんがはむっと頬張ったのは、友人が提案した俵型のおにぎりです。
　彼らだけでなく、頑張って作った幕の内弁当は大変に好評なようで、売り子も務める刀が担当する分は、早くに完売してしまっておりました。刀が今提げている箱の中には、友人への差し入れのつもりでキープしているものだけ……軽くなった箱の重みには、刀は何となく、誇らしい気分になってくるのです。
（後であいつに、好評ですぐに完売したぞ！　って報告してやらないとな……ん？）
　と。刀がそんな風に考えつつ、歩いていたところ。
　何やら見知った顔が、慌しく場内を駆ける姿が目に付きまして。だだだだだ、とこちらへやってきたところで、
「……逆巻じゃないか。何やってるんだ？」
「うわ！？　って御剣か……」
　逆巻 天野は、いつもクールな顔に汗粒を浮かばせて、忙しく何かしているように見えました。肩に提げた大量の荷物は、届け物？　でしょうか。それに、手に持っているのは……ポラロイドカメラ？
　彼は、時計へずばっと目線を走らせて、
「ああ、まずい、時間が無い！　僕は行くぞ、またな御剣！」
「？　ああ……」
　だだだだだ！　天野はばびゅんと、もはや全力疾走と言っても過言では無いスピードで、急いで行ってしまいました。
「……あいつも何か、アルバイトかな」
　良くは分かりませんけれど、とにかく友人も、頑張っているようです。



　物販コーナーへやってきた円は、そこで顔見知りとばったり出会い、ちょっぴりお話中。
「月ちゃんは、何を見に来たの？」
「衣装デザインの参考になるものはあるかな、とね。旅鴉さんたちのパフォーマンスには、とても良い刺激を受けられたよ」
　桜 月でした。あちらこちらを歩き回って、彼女は手にしたノートへ、すらすらと気になったものをスケッチしているのだそう。
「それと、稲場さん……知り合いが即興劇に出るそうだから、それも見てあげたいんだ。桜庭さん、君は？」
「ボクはね、にゃーくんが次の劇に出るから、何か食べ物でも買って、それから観に行こうかなって。月ちゃん、一緒に観客席、いこっか？」
　月にとってもきっと、嬉しい申し出だったことでしょう。
　快く了承して、二人で、さてお昼に何を買って行こうか……なんて、楽しく相談をしておりましたら。
「お、桜庭じゃないか？」
「あ、ムッツルギくんだ」
「御剣だ、御剣……なんだ、昼飯か？　なら、これやるよ。知り合いがいたら差し入れしようと思ってたんだ」
「え、いいの！？」
　刀がやってきて、何と、特製幕の内弁当をくれると言いました。ラッキー！
「ありがとー、刀くん！」
「いいんだ。和風と洋風があるけど、どっちがいい？　君は？　サンドイッチの入ったランチボックスとか、おかずは一品ものもあるぞ、サンマ太巻きとか、サンマ稲荷とかサンマ姿ずしとか」
「ん……私もいいのか？」
「ああ、もちろん」
　と、刀はもちろん、月へもお裾分け。せっかく頑張って作ったお弁当ですから、たくさんの人に食べてもらいたいのです。円と月は、ありがたくお弁当をいただくことにしまして。
「あ、そうそう。次はミス研の劇で、にゃーくんが出るんだよ。刀くんも観に行く？」
「にゃーくんが？　そりゃ応援してやらないとな。ああ、行こうか」
「そうか、アーチャーさんも出演するのか……彼女は個性的だし、衣装にも注目しておこう」
　三人連れ立って、観客席へ行くことに……といったところで、円が、
「あ、にゃーくんちっちゃいし、なるべく前で見たいから、一階席の前のほうね！　お弁当は後で、ミス研の楽屋にお邪魔して、一緒に食べようよ」
　二人もうなずいて、飲食禁止の一階席へと向かうことにしました。
　さて、ミス研の劇は、にゃーくんの演技とは、はたしてどんな具合なのでしょうか？