満月の夜に｜リアクション

満月の夜に

「おつかれ」
　舞台を降りたメンバー一人ひとりに声を掛ける響也に、征一郎は苛立ちを隠さぬ足取りで近づく。どこか気遣わしげな表情を見せる響也の前に立ち塞がり、舞台袖に引いてすぐに自分の荷物から取り出したプラスチックケース入りのCDと楽譜を突き出す。
　響也は胸に叩き付けられるように渡されたCDと楽譜を受け取ってから、
（前に言ってた奴だな）
　以前、神奈川のコンクールに出た帰りの寝子電の中で約束したものだと気付く。イヤホンで自作の曲を聞き取り譜面を確認する征一郎に興味を惹かれて問うて、興味があるならと作曲の約束を取り付けた、その楽譜。確かパソコンで音を組み上げるのだと言っていた。

　不機嫌な顔で足早に立ち去ろうとする征一郎に、響也は嬉しげな微笑みを見せる。
「さんきゅ」
　何の屈託もない礼を長身の背に受け、征一郎は足を止める。肩越しに振り返り、挑発的な笑みと言葉を吐き捨てる。
「今度自分の前で弾いてみせろ」
「ああ」
　挑発にも乗らず、ただ楽しげに頷く響也の声を背に、他のメンバーに一言も告げぬまま、その場を立ち去るべく足を早める。
「おつかれ、神嶋」
　他人と距離を置くことの多い、己と同じヴァイオリニストに穏かな声を掛け、響也は手元の楽譜とCDに視線を落とす。家に帰ってからゆっくりと聞いて練習しよう、と大事に鞄に仕舞おうとしながら、
（神嶋はどんな曲を創るのだろう）
　音楽に対する好奇心には勝てなかった。一度譜面に眼を落としてしまえば、音をなぞる眼が離せなくなってしまった。
（テンポは少し遅め）
　譜面に記された音符を辿る。心に音を響かせる。冷たく緩やかに流れて行く音の底に、水底のような静けさと溶岩のような熱さを感じ取り、響也は知らず唇に笑みを滲ませる。
　演奏時間にしてみれば四分程度の短い曲。
　征一郎が見せた挑戦的な笑みの通り、弾きこなすには相当の技量と、――音楽に対する熱情が要る。
（……楽しみだ）
　作品番号が振られただけの楽譜の端、曲名と思しき文字が示すのは、『深海』。