ドレスに願いをかけて｜リアクション

ドレスに願いをかけて

●この狂おしくも愛しい日常に
　桃川圭花は、爽やかな緑青系のドレスをまとい、ダンス会場を訪れていた。
　肩口にはシンプルかつ上品な色合いのボレロ。
　あわせたアクセサリーなどからも、彼女のセンスの良さが伝わってくる。
　会場を見渡していた圭花は、この日待ち合わせをしていた相手の姿を見つけて
　そちらへと歩いていく――ステラ・マリスでバイト中の獅子島市子だ。
「よ。ホントに来てくれたんだ」
　市子はシックなマーメイドラインのドレスを選んでいた。
　持ち前のプロポーションをやや抑えめにして、上品さを醸し出している。
　綺麗に着飾った友人の姿に、楽しい時間への期待が高まる。
「私こういうダンスは初めてだから、リードしてね？」
　圭花が手を差し出し、茶目っ気たっぷりに市子へリードを願った。
「喜んで」
　そういって市子が手を引き、二人はダンスの輪の中へと混ざっていった。

　パートナーを落ち着かせるように、市子が声をかける。
「そーそー、いい感じ。もうちょい肩の力抜いて」
　ペアダンスを踊るには本来、結構なコツがいる。
　ステップに慣れない圭花に小声でアドバイスをしていたのだが、市子は圭花の飲み込みの早さに舌を巻いていた。
（「要領いいんだね……うれしーけど」）
　リズムはおろか、市子がどちらへ足を踏み出すかも読まれているようで、圭花はぴたりとダンスの動きをあわせてくる。
（「舞踏会ってはじめてなんだけど、獅子島さんとなら」）
　圭花のダンスの上達が早いのは、市子への信頼あってこそだった。
　相手の足を踏んづけやしないか、他のペアにぶつかりはしないか……そういったことを気にせず踊りに専念できるのは、頼れるパートナーのおかげ。
　身を預け、ステップを踏み出すにもまた、勇気がいるのだ。

　移ろいゆくパーティ会場の光景。
　踊り疲れたペアが休憩に向かうのと入れ替わりに、また誰かがやってくる。
　視界の隅ではスタッフが会場の様子を見つつ、時折ソフトドリンクやオードブルを追加している。
　踊り明かすうちに、今ではふたりのどちらがリード役なのか、もはやわからなくなっていた。
　それほどまでに二人の踊りはシンクロし、
　どちらが気負うこともなく心のままに動きをゆだねていた。

　スワロフスキーグラスを通して、シャンデリアのやわらかな光がホールいっぱいに散らばる。
　市子の視線は、ずっと目の前の少女――圭花に注がれていた。
　楽しんでいるかなどと、無粋なことは聞くまでもない。
　そして、このまま終わらせてもよかった。
　このまま仲のよい友達として、何事もなく踊りを終え、楽しい思い出だけを共有して家路につく――。
　そういう選択肢も、この時確かにあったのだ。

　唐突に、市子が口を開いた。
「なーオマエさ。どー思ってる？」
　からかうような、誘うような、蠱惑的な笑みが浮かぶ。
「どうって、何を？」
　戸惑いながら返す圭花の言葉に、市子はさらに言葉を重ねる。
　何をだなんて、言うまでもない。
「あたしのコト」
　それまでの日常の光景に、しずかに亀裂が走った。