鏡の中の、あなた。｜リアクション

鏡の中の、あなた。

●ジェレミア・ベルトーニの場合

　ジェレミアが訪れた理由は単純に言えば好奇心だった。不思議な話は彼の母国にも沢山あったけれど、実際に体験した事は無いに等しい。そんな彼の前に、鏡は現れた。逸る気持ちを抑えながら、その姿を鏡に映す。そして現れたもう一人の自分を見て、ジェレミアは少し溜息を吐いた。
　既製品ではないであろう仕立ての良さそうなスーツ、髪は今の自分よりも短めでオールバックだ。自分が実業家であれば、こういう姿になっているのだろうと容易く想像できる……そんな姿だ。

『こんな辺境の島で遊んでいる暇があるなら、さっさと実家に戻ったらどうだ』
「遊んでいる訳じゃないよ、ちゃんと勉強も続けているし……動物のお医者さんというのは君にとっては遊びなのかい？」
『お前にはもっと他にやるべき事があるだろう』

　ジェレミアの実家は事業を幾つか展開している、所謂お金持ちという奴だ。ジェレミアもいずれは実家に戻り、その中の幾つかを経営し……家督を継ぐ事になっている。もう一人の自分がこうやって急かすのは、本来であれば大学卒業後に経営の手伝いをし、ノウハウを学ぶ予定だったからだ。
　けれどジェレミアは既に敷かれたレールを嫌い、他の国で少しの間社会勉強をさせて欲しいと頼み込み現在は寝子島で獣医師を営んでいる。それを許せない自分が出てきてしまったと言う所だろうか。

『そんなに獣医がいいなら、牧場の家畜達を診て経営に役立てればいいだろう』
「それは正論だと俺も思うけどね」
『だったら』
「君は将来が周りから決められている事に対して、閉塞感を覚えたりはしないかい？」

　もう一人の自分から目を逸らさずにジェレミアは言う。自由のない人生等つまらない、と。

『お前には責任がある』
「もちろんそれはわかっているよ。社員達の生活にも責任を持たなきゃならない事くらいはね。それに家族だって大切だ」

　一生それから逃げて生きていくつもりはない。ただ、少しくらい羽を伸ばしてもいいのではないかと思い、以前より興味があった日本に……特に猫天国とも言われるこの寝子島にやってきた。
　ただ日本で遊んでいると思われるのも心外だったので、家畜治療の勉強を続けながら動物病院を開院した。それに、実家の事業を全て放り出している訳ではない、重要な決済などにはきっちりと関わっている。

「世界的にも独特な文化を持つこの日本のいい所を巧く取り入れられれば……それは将来的に見てうちの事業にもメリットがある事だろう？」
『ふん……考え無しではないようだな』
「だから、俺はもう暫くの間はここで過ごすよ」
『いずれは戻らねばならないのにか』
「そうさ、いずれ戻るその日まではね」

　ジェレミアもそれについては重々承知しているのだ。今更言われるまでもない。でも、改めて考えるいい機会にはなったのかもしれない。そう思いながらもう一人の自分を見ると、それならば仕方ないというような顔を見せてジェレミアの前からふわりと姿を消した。

「さすが神秘の国、日本……不思議な体験ができるものだ」

　もう一人の自分との会話で、まるで心の中にあった棘が消えたような気がしてジェレミアはふふ、と笑った。